第X話 鋼鉄のガールフレンド
夜、深夜というには、まだもう少しだけ余裕の時間。
シンジはSDATに封じ込められたクラッシックに浸り、
最近めっきり少なくなった一人の時間って奴を堪能中。
いつになく上機嫌のアスカは、鼻歌と共に風呂の人。
で、なんでかこんな時間にも葛城家にお邪魔している、
いらない子のはずの綾波レイだが…
レイ「シンちゃん、遊んで?」
全然帰る気ナッシング。
家主が戻らないのを幸いに、このまま泊まり込みまでキメそうな勢いだ。
シンジ「遊んでっていったって……。」
律儀にイヤホンを外しながら、綾波の相手をするシンジ。
彼女の喜びそうなものといったら、むしろ喜ばないものを探す方が大変なくらいで、
夕ご飯に何が食べたいと聞いて、何でもいいと答えられた時と同じ程度には迷わされた。
とはいえ、ゲームの類いも全部しまっちゃったし、テレビの類いも大して面白いものはやってない。
しばし悩むシンジ、結局自身の選択を、内包する主婦回路に任せたらしい。
シンジ「遊ぶのはいいけどさ、先にお風呂、入っちゃわない?
アスカはちょっと長風呂だけど、もうすぐ出ると思うから」
少し考えるレイ。
ぎろっと半眼でシンジのことを睨み据えると、
レイ「そのまま眠くなって寝ちゃってくれれば、うるさいのを二人まとめて殲滅できて
楽できてお得とか思ってるでしょ。そーなんでしょ。くうぅー!アタシの知ってる
シンちゃんは、そんな打算とは最も縁遠い人だったはずなのにー!」
じたんだ。
シンジ、盛大にため息。
シンジ「そんなんじゃなくって、明日は普通に学校あるんだから。寝坊助の綾波の面倒までは
さすがに見てらんないよ。お弁当は頑張って作るから、楽しみにしてて」
つまりシンジは、アスカとレイが風呂に入っている隙に、お弁当の下ごしらえを
すると言っているのだ。
レイ「ならアタシ、手伝うよ?」
シンジ「気持ちは嬉しいけど、どうせなら明日食べるものが何なのかは、
わからない方が楽しいと思わない?」
レイ「うー、シンちゃんの料理って何食べても美味しいから、どうせなら
サプライズ効果に期待するより、現時点での正確な情報を把握して、
明日を生き抜く力としたい感じ?」
シンジ「なに言ってるのさ。ほら、お風呂空いたみたいだよ。行ってきたら?」
レイ「ぶー。ま、いいや。お湯、お先にいただくねー。」
苦笑気味でレイの背中を見送るシンジの前に、入れ替わりで現れるバスタオル姿のアスカ。
ニヤニヤ笑いのシンジの顔がお気に召さなかったらしい。
アスカ「なによ、そのへらへらした締まりのない顔は。もうちっとは日々の生活に
張りって奴を入れてられないのかね、この男は」
シンジ、聞く耳も持たず、アスカの専用マグに冷たいミルクを注いで、はいと彼女に渡してやる。
例も言わずに受け取るアスカ、ごっごっごっと男らしい音を立てて飲み下すと、
ぷは〜!五臓六腑に染み渡る〜!と、実に親父臭いリアクション。
シンジ「百年の恋も醒めるってのは、こういうことだよねえ……。」
達観するシンジを、怪訝な目で見るアスカ。
と、そこに突然、マンション全体を揺るがすような爆発音と閃光が飛び込んできて、思わずギャー!と悲鳴を上げてしまう二人。
あわててベランダに駆け寄り、外を見下ろせば、遠く未だ続く爆発と立ち上る黒煙、街を焼く紅蓮の炎。
第三新東京市にはよくある光景だが、かといって看過できる事態ではない。
アスカ「なんでぇ!?なんで非常事態宣言が発令されないのよー!ほんッとにこの国ってトロいんだからあ!」
シンジ「敵は!?新手の使徒!?でも、ミサトさんから何の連絡もないよ!?」
第三新東京市に大事あれば、いの一番に声がかかるのが、決戦兵器エヴァンゲリオンを駆る彼らチルドレンズの面々で
あるはずなのだが、その彼らの携帯、ポケベルはおろか、自宅の電話すら鳴りゃしない。
そこに、
レイ「スカちゃんスカちゃん。」
アスカ「誰がスカちゃんか、馬鹿ファースト!!」
てんで緊張感の伴ってないレイが、
レイ「スカちゃん、お尻見えてる。」
てんで緊張感の伴わないことを言う。
そりゃそうだ、だって風呂上りに赤いバスタオル一枚巻きつけただけの格好で飛び出しちゃったんですもの。
アスカ「うっひゃああああ!!」
奇怪な叫び声を上げてタオルをかき寄せるアスカ。
レイ「シンちゃん、なにか突っ込みのお言葉をひとつ。」
シンジ「ぼ、僕?えーと、」
しばし考えて
シンジ「……頭かくして尻隠さず?」
アスカ「Vielen
Dank!!(そりゃまたどうもご親切に!!)」
きれいに体重の乗ったアスカの後ろ回し蹴りに、屋外から屋内に、キレイにすぽーんと吹き飛ばされるシンジ。
が、着地した先は……これまたタオルでガシガシ頭を拭いていたレイの胸の中。
思わず飛んできた頭を、よいっと胸に抱きこむように受け止めちゃったりして。
シンジ「え?」
レイ「……あ」
しばしの沈黙の後、
シンジ「うわあああああー!アスカのお尻がどうこう言う前に、自分の格好なんとかしてよー!!」
レイ「え?え??あれ???ごめん、つい自分の部屋のつもりで!!だってこの家、無闇やたらに安らぐんだもんー!!」
アスカ「こっこっこっこの変態インモラリストどもー!!こんな生活もう嫌あー!!」
もうしっちゃかめっちゃか。
その後も眼下の街では爆発の炎が上がり続けていたのだが、ついにその晩、チルドレンズ三人のところに
召集の声がかかることは無かった。
アスカ「……ぐぅてんもーげん」
明けて翌朝。
通学路。
さわやかな日差しの下、目の下にクマを作って、疲れ切った表情のアスカと、
シンジ「……もーげん」
それに準ずるシンジ。
昨夜の騒動で全然寝付かれなかったのだ。
レイ「二人とも元気ないねえ」
アスカ「おかげさんでね!」
シンジ「綾波はいつも元気だね……。」
こっちは言わずもがな、呼び出しが無いなら無いで、いくらでも寝ていられる鉄の心臓のナマケモノ、綾波レイ。
どこまでもマイペースな彼女は、かき集めた携帯電話をフルに使ってネルフに連絡を取っていたアスカと、
それに付き合って何時呼び出しがかかっても大丈夫なよう準備を整えていたシンジを横目に、ひとりぐっすりばっちり
睡眠を取っていたのだ。
無防備にお腹を出して眠りこける彼女のヘソのあたりに、怒り心頭に発したアスカが、八つ当たりの踵を
落とそうとしたのを、必死のシンジが羽交い絞めにして止めたのは、まあ余談。
アスカ「ったく、こんだけ明らかな物的証拠がありながら、謎の移動物体って。
この国の報道管制ってどうなってんのよ、一体」
通い慣れた第壱中学校への道をふさぐ「KEEP OUT!」のシールと、それに囲われた……なんともメカニカルな足跡。
シンジ「UNの飛行機も随分飛んでたよね。これで使徒がらみじゃないってのは、ちょっと信じられないけど。」
欠伸をかみ殺しながらシンジのたもうも、結局保護者にしてネルフ作戦本部長たるミサトは捕まらず、チルドレンズ召集もなし。
つまり現時点で彼らにできることは……平常どおり、学生らしく学校に行くこと。
どうせならより学生らしくってことで、
アスカ「……じゃんけんで負けた奴が、次の電信柱までカバン持ち。おーけー?」
シンジ「……この疲れてるのにそーいうことを……」
アスカ「……疲れてるからこそよ……All or Nothing, OK?
つーわけでじゃーんけん、じゃーんけん」
シンジ「じゃーんけん」
レイ「ぽん!」
アスカ、レイ、チョキ。
シンジ、パー。
パーの手を出したまま、無言で震えるシンジの首と肩に、ぽいぽいとカバンをひっかけていくレイにアスカ。
アスカ「あーああ!らく・ちん・ポンだあー!」
シンジをいじめて気が晴れたのか、突然生き返ったかの様に元気を取り戻すアスカと、
レイ「……えい」
のてのて歩くシンジの無防備な背中に、ぴょいと飛び乗るレイ。
シンジ「って、いくら綾波が軽くっても、それは流石に辛いから!!」
首を締め上げられて、悲鳴をあげるシンジに、えーシンちゃんだらしなーいとブーたれるレイ。
アスカ「相変わらず太平楽な上に破廉恥な奴らあ。こんなのが同僚なのかと思うと、あたし情けないわよ。」
これでいざ使徒戦となった時にはそれなりに心強いのだから、かえってタチが悪い。
一人孤独を深めるアスカの悩みは深い。
なものだから、
マナ「霧島、マナです♪」
トウジ「よろしゅー!」
レイ「以下同文!」
男子と女子のムードメーカー二人に歓迎の挨拶をもらい、順調にクラスデビューを果たした
ニコニコ笑顔大盤振る舞いの転校生の顔を見ても、アスカはほとんど気にもしなかった。
眠いし。だるいし。疲れてるし。シンジとファーストが馬鹿だし。
明るい色の髪に明るい雰囲気、人懐っこげで魅力的な笑顔の彼女に、同い年のクラスメイト男子が
色めき立っているのを、盛っている犬を見るような目で流すのがせいぜい。
もとより既に学士であるアスカにとって、中学校は半ばミサトの命令で来ている義務の様なもの。
ごく一部の例外である同性の友人を除いて、クラスメイトが増えようが減ろうが、大して興味をそそられる
ことはないのだったが……
レイ「……」
およそ人付き合いでマイナス面の感情を顔に見せることのないレイが、さっきまでの笑顔を消し去って、
なにか親の仇でも睨みつけるかの様な表情をしてるとなれば、話は別だ。
アスカ「なによ、アンタらしくもない。付き合いやすそーな奴じゃない。キャラ被りでも気にしてんの?」
レイ「あの子、シンちゃんに粉かけてる。」
アスカ「……はぁ?」
見れば確かに、クラスの女子連中の質問攻めを如才なくかわした後は、
なんでかシンジの横にべったり張り付いて質問攻めをくれている彼女。
マナ「どこに住んでるの?趣味は?へー、お料理得意なんだ。あたしも上手なんだよ!」
それもなんでか個人的なことばかり。
案の定気圧されてるシンジに、転校早々馴れないクラスに馴染む努力をそっちのけ、
やたらと楽しそうにシンジをいぢるマナ。
むしろシンジが気弱な転校生で、クラスの顔役たる彼女が早く馴染めるように
気を使ってやっている絵に見た方が自然なくらい。
アスカ「蓼食う虫も好き好き、にしちゃあ、露骨もいいところだわね」
レイ「……。」
アスカ「まあ、世間には、あーいう生っちろいのが好みって奴もいるんじゃないの?
シンジのバカも満更でもなさそうだし、奴には少し騒がしいくらいの女の方が
釣り合いが取れていいんじゃないかって……あによ馬鹿ファースト、あんたひょっとして
妬いてたりするわけ?」
レイ「ちっがーう!シンちゃんのだらしない顔がムカツクだけよ!」
アスカ「しっかり妬いてんじゃないのよ」
キャラ被りの上にアピールの仕方も似たようなもんで、シンジの対応も自分に対するソレと
大して変わらない(様に見える)ものだから、レイ的には心中穏やかならざるものがあるんだろう。
何を今更な話してんだかと、アスカ、やれやれのポーズ。
アスカ「シンジは自分に優しくしてくれる奴が相手なら誰だっていいのよ。
気づいてなかったとは言わせないわよ?」
レイ「それはシンちゃんのせいじゃないもん!アスカぶつよ!?」
アスカ「なんでアタシがぶたれなきゃなんないのよ……つーか、あの二人、どっか行っちゃったわよ?」
レイ「はい??」
拳骨を振り上げたポーズのレイがギロっとロボットめいた動きでシンジの席を振り向くと、確かにさっきまで
そこで人の許可も無しにいちゃつきやがっていた馬鹿二人の姿が見えない。
レイ「何処に行ったの!?」
アスカ「さあ、あの女に手ぇ引っ張られて、教室出てっちゃったけど?」
流石にトイレってことはないわね、といいかけて、いやいやこのジョークは自分のキャラじゃないと飲み込むアスカ。
アスカ「大方、校内の案内して〜んとか、そんなとこでしょ。まあ、休み時間も大して残ってないし、すぐに帰ってく」
そこまで言いかけたところで、レイにがっしと音を立てて肩を掴まれるアスカ。
レイ「探すの。」
アスカ「はぁ?」
レイ「二人を探すの!シンちゃん盗られちゃってもいいの!?」
いいも悪いも、シンジの所有権なんてアタシ知らないわよ、好きにすれば?と本心では言いたかったが、
炎を宿したかのように真っ赤に輝くレイの瞳に睨み据えられて、思わずこくんと頷いてしまうアスカ。
アスカ「大体さあ」
アンタ、バカシンジのこと、どーいう風に思ってるわけよ。
付き合うなら付き合うで止めないけど、そういう目で見て欲しいなら、
あんまし開けっぴろげすぎるのも考えモンなんじゃないの?
具体的には毎日朝から二合飯かっ食らってく奴とかを、女として見てくれってのは難しいんじゃん?
レイ「自分の作った料理を美味しそうに食べてくれるのは嬉しいって、シンちゃん言ってたもん」
アスカ「まさかアンタ、シンジがそう言ったもんだから、毎日あんだけバカみたいにガツガツ食ってたわけじゃないわよね?」
レイ「……それだけじゃないけどさ」
何割かはそうなのかよ。あーっと天を仰ぐアスカ。
じゃあアレか。
シンジの奴が、デリカシーの欠片もなく「綾波って餌付けされやすいタイプだよね」とか言って、
バカファーストが「シンちゃんひどーい!」とかて奴の後頭部をポカポカ叩いてたとき、
ひょっとしてこいつは、心の中では滂沱の涙を流してたりしてたんだろうか。
下唇を噛む様に拗ねた顔のレイは、見様によっては可愛いんだろうが、とりあえず見せる相手は違ってると思うアスカ。
アスカ「まあ、いくらシンジがバカでスケベでボンクラでも、アンタが言うところの絆って奴を、
一朝一夕で無にするほどのバカタレじゃないとは思うわけよ。
いい機会だから、告白でもなんでもしちゃってくっついちゃえばいいじゃ……
なによその顔」
アスカの制服の袖を掴んで、ふるふると首を横に振るレイ。
レイ「今のままがいい」
アスカ「はぁあ?」
レイ「あたしがボケやって、アスカがツッコんで、シンちゃんと葛城三佐が
しょうがないなあって言いながらフォローしてくれる、今の関係が、あたし一番好き」
アスカ「また勝手なこと言ってやがるわね。つーか、なんか話の方向性、ズレてきてない?」
レイ「勝手に恋愛話にしたのはアスカの方だよ。あたしとシンちゃんは……そんなんじゃないもん」
傍目に見てると、そんなもんにしか見えないんだけどねえ。
アスカ内の呆れゲージは大分満タン気味。
レイ「あたしとシンちゃんは、そんな風になれないんだもん。それはそれでいいの。仕方ないから。
でも、あの子は駄目。絶対最後にシンちゃんを傷つける。」
アスカ「アンタ、発言が完全にイタイ奴になってるわよ?自覚ある?つーか、さっきから何処に向かってるのよ」
レイ「勘も冴え渡ってるよ。だからほら」
アスカとレイがたどり着いたのは、屋上につながる階段の踊り場。
重い防火扉に体重をかけるようにして開けると、熱気をはらんだ風と
アスカ「……本当にいるじゃん」
レイ「……」
シンジと霧島マナのツーショット姿が飛び込んできた。
その後。
二人を追いかけてきたはずのレイは踊り場の影に引っ込んだまま、殺気立った目で
転校生をねめつけるばかりで、自分からは動こうとせず。
なんでアタシがとトホホのアスカ、
アスカ「アタシたち、これから大事な用がございますの〜♪」
と、シンジの首根っこを捕まえて撤収…
で、いまは放課後、ネルフ本部へと向かう電車の中。
いつもなら、煩いくらいにくっちゃべるレイが、細い眉をきりきり釣り上げながら
そっぽ向いて黙り込んだままでいやがるもんだから、空気の気まずい事気まずい事。
もっとも気まずがってるのはアスカだけで、どうもシンジはその事にてんで気付いてない様子。
アスカ「で?」
シンジ「は?」
放ってもおけないアスカ、最大限に譲歩して、シンジからの懺悔を待ったつもりだが、
やっぱり当のシンジになんの自覚もない。
アスカ「転校生よ。アンタ、なんか妙に仲良くしてたじゃん。何話してたの?」
シンジ「何って、普通だよ。学校の事とか、景色の事とか。エヴァのパイロットかって聞かれちゃったけど」
守秘義務の類いは守ってるはずだよ?と、小首をかしげるシンジ。
アスカ「そーいうことだけど、そーいうことじゃないのよぅ!」
ガリガリガリガリガリと頭をかきむしるアスカの狂態に、いささかヒくシンジ。
話をはぐらかす様に、
シンジ「今の時期の転校生って、珍しいよね。疎開でこの街を離れてく人は多いのに、転入してくるなんて。
ひょっとしてお父さんがネルフの関係の人とかなのかな。」
アスカ「それよ」
レイの電波めいた懐疑の念はさておき、アスカの疑問はその一点に尽きる。
即ち、なんでこの使徒戦が激化する中……政府公報は秘匿を図ってるが、少なくともこの街において
使徒の存在は公然の秘密だ……に、好き好んで転校なんかしてきやがるのか。
ネルフの技術者招聘は続いているし、親がその関係者ってんなら、話はわかる。
だが、どうもシンジの話を総合するに、彼女はその辺りの事情をぼかしてしか教えてくれなかったらしい。
アスカ「案外、戦自あたりのスパイなんじゃないの?バカのアンタが女に免疫無いのを狙って、
見た目が良さそうなのを送りつけて寄越したとかさあ!」
シンジ「いくら何でも確証もなしにそんな物言い、霧島さんに失礼だと思うよ。」
基本的にはフェミニスト(アスカに言わせると「気取り」でしかないらしいが)のシンジの、ムッとした声。
なんでアタシが憎まれ役買って出なけりゃならないのよぅー!
再び頭をかきむしるアスカ。
そんなアスカの横をすっと音もなく抜けて、シンジの目の前に顔を突き出したレイ。
その表情は、見るからに「あたし怒ってるんだけど、理由わかる?」という、まるで浮気者の亭主を断罪する奥さんのもの。
そのレイが、
レイ「それ、なに」
シンジの首元を睨んで言う。
シンジ「なにって」
これ?と、制服の襟の下から、ちゃらりと音を立てて、鎖を引き出すシンジ。
ネックレス……中学生の男子が制服に合わせる様なアクセサリーじゃないし、その種の装飾具を身につけるのは、
そもそもシンジのキャラじゃない。
シンジ「霧島さんがくれたんだ。よくわからないんだけど、出会いの記念とかなんとかって。」
女の子って、そういうの好きだよね?と、勝手に同意を求めるシンジに対してレイの取った行動は、極めて過激なものだった。
いきなりシンジの頬を平手で張りつけるや、ネックレスを掴み音を立てて引きちぎったのだ。
シンジ「綾波!?」
アスカ「ファースト!?」
頬を張られて怒るとか以前に、あまりにも彼女らしくない行動に面食らってしまい、驚くばかりのシンジにアスカ。
レイ「これ、預かるわ。後でちゃんと返すから、少し貸しておいて。」
レイらしくない、冷たく感情の消えた声にうなずくしか無いシンジと、呆気にとられるアスカ。
アスカ「……いったいどうしちゃったってのよ。」
基本的に事態が自分の与り知らぬところで進むのを好まないアスカだが、あまりのことに思考が停止気味。
そんなところに突然
マナ「こんにちわ!」
空気をまるで読んでない、天真爛漫な声が降ってきたものだから、
シンジ・アスカ・レイ「うっひゃああああ!!!」
チルドレンどものビビることビビること。
さっきまで、滅多に見せないシリアスモードだったレイまで一緒になって、
三人そろって「いやーんな感じポーズ」で、びたっと電車の座席に張り付いた。
マナ「?ねえねえ、それってこっちの方の流行りなの?」
不思議そうに小首をかしげるマナに、
アスカ「そんなわけないでしょ!知らない顔が急に現れるから驚いただけよっ!」
いやーんな感じで固まったまま怒鳴り返すも、
マナ「そうなんだ。驚かせちゃってごめんね?」
ぺろっと舌を出して謝るマナの前に、毒気を抜かれた馬鹿面を晒すアスカ。
シンジ「……霧島さんって、天然なんだ……」
アンタに言われるってことは、きっと極上物ね。
アスカはもはや声も無い。
シンジ「って、この電車、ネルフ本部行きなんだけど。霧島さん、どうしたの?」
どうしたもこうしたも、ネルフに用がある人間以外が、この電車に乗っているはずもない。
マナ「シンジ君の仕事場見たくって、付いてきちゃった。プチストーキングって奴?」
アスカ「ストーキングに、プチもヒュージも無いっつーの。」
本当はもう本部に着くまで黙りを決め込みたいアスカなのだが、生来の突っ込み体質が、
天然を前におとなしくしていることを許さない。
シンジ「霧島さんには悪いけど、ネルフはID持ってない人は入れないんだ。
せっかく来てもらっても、無駄足になっちゃうよ?」
マナ「うーん、見学者パスとか、出してもらえないのかなあ。」
アスカ「国連直属の特務機関が、一介の中学生にそんなモン出す訳ないでしょーが。」
黙ってたい、黙ってたいのだが、どうしても相手をしてしまう。
アタシってばなんて心優しいのかしら。
とりあえずこの借りはバカシンジにツケとくとして。
アスカ、ちらりと横を見る。
さすがにもう「いやーんな感じポーズ」からは回復しているが、普段なら会話の先陣切るのが
当たり前のレイは、いつのまにやら取り出したのか、文庫本なんか読みつつ、霧島マナを
徹底無視の構え。
「形而上生物学序論」…うわあ、似合わねえー。
つーか、
アスカ「あんた、なにが気に食わないかは……大体わかるからいいけど。
だからってあからさまなシカトは無いんじゃない?
友達百人できるかなの綾波レイともあろう人間がさあ。」
アスカ、レイの顔を覗き込む様にしてぼそぼそ。
レイ「こう見えてもあたし、友達は選ぶんだもん」
レイ、そっぽ向いてぼそぼそ。
マナ「二人ともなに話してるの?」
アスカ・レイ「なんでもなーい。」
二人して首をぶんぶん。
マナ「面白い人たちだね、シンジ君?」
シンジに話を振るマナに、
シンジ「うん、二人ともすごく面白い人だと思うよ?」
めっさ素で答えるシンジ。
とりあえずこの馬鹿は後でコロすと心に誓う野獣二匹と、その餌食たる天然一匹、
それに霧島マナを乗せた電車は、いつの間にやらネルフ本部ゲート前駅ホームに滑り込んでいた。
数時間後。
夕暮れの紅い光が差し込むゲート前。
任務を終えて解放されたチルドレン達が見たのは、
マナ「あ、おかえり、シンジ君。遅かったね」
音楽で時間を潰していたのか、イヤホンを外しながら、はにかむ様な笑みを浮かべる
霧島マナの姿だった。
アスカ「アンタ、ひょっとしてあの後、ずっとここで待ってた訳ぇ!?」
ネルフ関係者でもなんでもないマナが本部ゲートを通過できるはずもなく、
ゲート前で置いてけぼりになった彼女。
アスカなどは、とっくの昔に帰ったものかとばっかり思っていたのだが
(少なくとも自分ならそうする)、どっこいこの天然女の行動力と暇人ぶりは
自分の予想の遥か斜め上を行っていたらしい。
マナ「あちこち散歩とかもしたけどね。結構退屈しなかったよ。
すっごいところだねー、ネルフって。本当、科学の要塞みたい」
アスカ「…ま、いいんだけど」
彼女の行動が予想外だったところで、それはアスカの興味の範疇にない。
マナ自身からしても、アタシの事なんて本当は大して気になる存在じゃないだろう。
こいつが気にしてるのは、
シンジ「あ、霧島さん。どうしたの?」
太平楽なマヌケ面をさらして見せる、バカシンジただ一人だろう。
現にそのすぐ後ろに控えて、目を鬼の様に鋭くしている綾波レイの存在は眼中にないっぽい。
アスカは胸中、そっとため息をついた。
マナ「せっかく来たんだし、シンジ君と一緒に帰ろうと思って。迷惑だった?」
シンジ「迷惑だなんて、そんなことないけど…霧島さんこそ、退屈じゃなかった?」
マナ「アスカさんとも話したんだけど、ぜーんぜん。ネルフって飽きないところだねー」
そこまでニコニコと話してたマナ、突然心配そうな表情で、
マナ「どうしたの?シンジ君、なんか顔色よくないよ。体調でも悪いの?」
そんなことを言う。
アスカ「シンジのバカが実験でポカやってね。偉いさんに大目玉食らったのよ」
マナ「そうなんだ…大変だったんだね」
シンジ「うん、まあ…でも、悪いのは僕だし。仕方ないよ」
力なく笑うシンジ。
そんなんだから、アンタは内罰的だっつーのよ。そんなのちっとも美徳じゃないって
わかってんの?と、内心忸怩たる思いのアスカ。
マナ「そういうのってさ。誰かに話すとすっきりしたりしない?わたしでよければ、付き合うよ?」
シンジ「気持ちは嬉しいんだけど、霧島さんにも話せないことは多いんだ…ごめんね。ほんと、ありがと」
そうは言うが、相変わらず生気に欠けるシンジ。
マナ、腕組みしてムウとうなると、
マナ「じゃあさ!話せないのは構わないから、これからどこか、ぱっと遊びに行こう!?
辛い事があったときには、ぱっと発散するのが一番だよ!」
シンジの手を取るや、たったったと駆け出してしまった。
シンジ「え、あ、ちょっと!霧島さん!?」
マナ「あ、ついでだから、市内の案内して欲しいな!いい?いいよね?やったあ!」
シンジ「え?え?え?わー!」
早々に視界から消えてしまうカップル二人と、取り残される女子二人。
アスカ「…あいつら、完全にアタシたちのこと無視してくれやがりやがったわね」
特にレイなんか台詞ひとつ与えられなかった。
レイ「……」
アスカ「シンジのバカは、帰ってきたらアタシが責任もってとっちめとくから。
アンタの言いたい事は、明日まで取っておきなさい。今日のところは
アタシに免じて、それで許すこと。それでいい?」
レイ「……よろしく」
いまだかつてない仏頂面で家路につくレイの背中を、ため息つきつつ見送るアスカ。
アスカ「こんなんアタシのキャラじゃないんだけどなあ…バカシンジのバカ、
帰ってきたらギタギタにしてやる。とりあえず3回死ぬくらい」
彼女もまた、精神的疲労やらなにやらで、すっかり重くなった足を引きずる様にして、
コンフォートへの家路を辿った。
アスカ「で、どうだったのよ」
シンジ「どうだったのよって、何がだよ!」
アスカは自身の言葉通り、シンジを三回くらい死なす目に合わせていた。
具体的には、帰ってくるなり、あからさまに自分を避けて目を合わせない話を聞かないシンジの耳から
イヤホンをひっこ抜き、彼のほとんど唯一と言っていい愛着ある私物であるところのSDATウォークマンを
粉砕せしめたりした。
シンジ「僕の内田有紀が……」
アスカ「黙れババコン」
めそめそorz状態に突入したシンジの尻を蹴っ飛ばし、とりあえず夕食を作らせる。
ぶーたれたシンジ、手を抜いてピラフの素を使った簡単エビピラフで済ませてしまう。
当然、アスカはご立腹。
アスカ「こーんな食事ばっかじゃ、必要な栄養素が全然取れないんじゃないの?」
たとえば食物繊維とか、ベータカロチンとか、カルシウムとか。
シンジ「じゃあ、たまにはアスカ自分で作ってよ」
ロールキャベツとか、にんじんのソテーとか、ほうれん草のお浸しとか。
アスカ「アタシにできるわけないでしょ」
シンジ「お嫁にいけなくなるよ?」
アスカ「アタシのことはどうでもよろしい!」
がつがつとピラフを平らげながら、
アスカ「で、どうだったのよ」
シンジ「どうだったって、だから何が」
アスカ「薄らとぼけてると、本気で殺すわよ。霧島さんのことだっつってんのよ!」
シンジ、スプーンをおろして
シンジ「……わからない」
アスカ「わからないってアンタ」
シンジ「わかるわけないじゃないか。突然あんな」
アスカ「突然、なによ」
シンジ「……なんでもない」
アスカ「最後までいいなさいよ、この馬鹿」
シンジ「なんでもない……」
うつむいて黙々とピラフを口に運ぶシンジを眺めながら、ファーストにしろ霧島ってあの女にしろ、
こんななよっちい奴の一体どこがいいんだろ?
シンジ「……」
まあ母性本能豊かな奴には、くすぐったいものがあるのかもね。
ふん、と鼻息一発。
アスカ「シンジってさあ。誰か彼女作ったりしないわけ?」
シンジ「なんだよ突然!?」
テキメンにうろたえるシンジにアスカ、指をくるくる回しながら
アスカ「アンタ、不安定なんだもん。誰か傍に支えてくれる人がいないと潰れるわよ、そのうち」
シンジ「なにをいきなり」
アスカ「そんなわけで、シンジ・オン・ザ・バージンロードクイズー!」
シンジ「聞いてよ!」
っていうか、なんで僕がバージンロードの上なの!?
がーがーと抗議するシンジの声を無視して、
アスカ「いちばーん、葛城ミサトさーん」
シンジ「ミサトさん!?」
アスカ「にばーん、霧島マナちゃーん」
シンジ「霧島さん!?なんで!?」
アスカ「んでもってさんばーん」
アスカ、つとめて気だるげに
アスカ「綾波レイさーん……」
シンジ「……」
言っちゃった。
口をぱくぱくさせて固まるシンジを冷ややかな目で見つめるアスカ。
アスカ「いい加減、気づいてないとか言わさないわよ。人の好意に甘えるだけ甘えて安穏としてるなんてサイテー」
シンジ「……」
アスカ「ま、アンタが誰と付き合うんでもいいけど。たまには男らしいところを同僚に見せてくんない?」
シンジ「……」
アスカ「お相手が決まったら、ちゃんと教えなさいよ。お祝いに新型のWウォークマン買ってあげるから」
完全に固まってしまったシンジにそれだけ言い捨てて、ごちそうさまをするアスカ。
自分の分の食器を流しに持っていって、部屋に入る。
シンジは固まりっぱなし。
本当、どいつもこいつも、こんな奴のどこがいいんだか。
そしてアタシってば本当、
アスカ「何やってんだか、ったく……」
翌朝。
レイ「何やってんのよ、このバカアスカー!!」
アスカ「ふげらっ!!」
学校、教室にて、律儀に昨夜のことをレイに報告したアスカは、
レイ渾身のカカト落としを顔面に食らって地に伏す羽目になった。
レイ「あたしとシンちゃんはそんなんじゃないって言ったじゃないのよー!
こんなのフォローでも何でもないよ、
馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿、バカアスカー!!おたんちーん!!」
ストンピング、ストンピング、ストンピング、ストンピング、ストンピング。
アスカ「ちょ、ごめん、悪かった!悪かったから!ギブ!ギブ!」
清々しくあるべき朝の学舎に吹き荒れる暴力の嵐に、レイを止めることも忘れて怯え竦む2−Aのクラスメイト達。
レイ「あたしっ、あたしっ……帰る!」
アスカ「ま、待ちなさいってば!本当悪かったって、謝るから!」
涙ほとばしらせながらカバンをひっつかんで教室を飛び出そうとするレイの肩を、
鼻血を抑えながら必死の形相で掴んで、アスカが止める。
レイ「……本当はあたし、きょうは待機任務だったんだもん。学校にはシンちゃんの顔見たくて来ただけだもん」
アスカ「待機って、そんな予定入ってたっけ!?」
レイ「例の謎の移動物体、芦ノ湖の方に逃げ込んだ可能性があるかもしれないんだって。連絡があったの」
アスカ「あー、そんな奴の話もあったわね」
昨日一日でドタバタしすぎて、すっかり忘れちまってたわよ。
ぼりぼり頬をかくアスカに、
レイ「シンちゃんのこと、ぶったりしちゃったの、謝ろうと思ってたのに。
こんなんじゃ、どんな顔してシンちゃんと話していいのか、わかんないよぅ……」
アスカ「……ごめん。本気で悪かったわ」
レイ「……いい。アスカも、いろいろ考えてくれてたんだし。ありがと」
笑ってみせるレイ。
とはいえ、その笑顔はいつもに比べれば随分と弱々しいもの。
レイ「シンちゃんには、アスカからよろしく言っておいて、それじゃ」
そこまで言って立ち去りかけるレイの目の前に、
シンジ「なに?僕がどうかしたの?」
キング・オブ・間が悪い男、シンジ登場。
レイ「うひゃああああ!?」
奇声をあげて、二日連続の「いやーんな感じ」ポーズを披露してしまうレイ。
頭の中が漂白されてしまって言葉が出ない……でいると、
マナ「やっぱり流行ってるの?」
こんどはシンジの肩越しに霧島マナ登場。
どうやら二人仲良く一緒に登校してきたらしい。
「いやーんな感じ」ポーズのまま、氷が凍る様に表情を消し、
レイ「ふんっ!!」
シンジ「もげらっ!?」
レイ、そのまま後ろ回し蹴りに移行。
シンジを撃墜するや、ドカドカと足音高く、そのまま教室を出て行ってしまった。
アスカ「……ごめん、シンジ。半分はアタシのせいだけど、残り半分はアンタの自業自得だから」
シンジ「……」
朝っぱらから白目を剥いて昏倒するシンジと、それをいささかバツの悪そうな顔で見下ろすアスカ。
そして、
マナ「アスカさん、鼻血」
アスカ「うるさい天然女」
呑気にハンカチを差し出してよこすマナ。
こいつが来てからってもの、なんだか空気がグダグダだ。
つーかもう、アタシは天然どもの狂宴に関わるのはやめよう。
身体もたないし。
首の後ろをトントン叩きながら、アスカは深く深く思ったとさ。
数日後。
ミサト「餌が悪いのかしらねえ」
芦ノ湖湖畔に突き立てたビーチパラソルの下、ミサトはやってらんねーという顔を隠しもせずに、そうのたもうた。
レイ「魚じゃないんですからあ……」
周囲の迷惑顧みず、外部スピーカー全開で響き渡るレイの声。
ミサトの眼前には、先日シンジの初号機を釣り上げた「垂直式使徒キャッチャー」を構え、
特大のディレクターズチェアに腰を下ろす零号機の姿。
謎の移動物体騒ぎからこっち、シンジ、アスカ、レイのチルドレン三人衆は、ミサトの命令の下、こうして交代で
それぞれの専属操縦機を湖畔に控えさせては竿を垂れ、いつ当たるとも知れない魚を待ち続けていた。
ガギエル戦、レリエル戦で回収されたノウハウを元に再設計された使徒キャッチャーが備えるアクティブソナーの性能は
超広範囲を超高精度にスキャン可能、誰はばかることなく世界一を名乗れるほどのものだったが、
ミサト「あんだけの図体のメカなんだから、そう隠れ覆せられるはずもないんだけどねえ……。
地上に出たなら、衛星に引っかからないはずないし」
いまのところ釣果ゼロ。
残された足跡や UN
の交戦記録から推測されるアンノウンの全長は最低でも約 40m、エヴァに匹敵する
サイズのはずにもかかわらず、だ。
レイ「ずっと湖の中に沈みぱなしってことですかあー?」
ミサト「穴掘って地面に潜ったとかじゃないならねえー……食事とかトイレとかどーしてんのかしら」
常夏の第三新東京市。
日陰とは言え軽く三十度を超えている炎天下、ガリガリ君を文字通りがりがりと音を立てて齧りながら、ミサトが言う。
ミサト「プラグスーツだって、そう何日ももたないわよねえ、レイ?」
レイ「汚い話はやめてくださいよぅ……」
実際問題、かなりの大型と想像される機体は巧妙に湖底に隠され、パイロットはとうに脱出しているとしか考え様が無い。
ソナーは芦ノ湖の緻密なマップを返してよこしてはいるが、度重なる使徒襲来(と、迎撃に用いられた N2 兵器)のため、
MAGI
とて現時点での正確な地形を把握しているわけではない。
比較走査は半ば無意味なものとなっていた。
こう言ってはなんだが、使徒迎撃をその第一義とする NERV にとって、使徒以外の UMA だか UMO だかは、心底どうでもいい存在だ。
ついでに結論してしまえば、件の UMA は、当の昔に「使徒ではない」と NERV 上層部によって処理されていたのだ。
にもかかわらず、ミサトが配下にあるエヴァンゲリオンを繰り出してまで頑なに捜索に当たってるのは、当人の弁によれば
ミサト「女の意地」
に他ならない。
実戦部隊を率いる自分と、いざ戦いとなれば真っ先に身を危険に晒すチルドレンを差し置いて、勝手に情報を制限してやがる
NERV の闇……ミサトからすれば、NERV の前身たるゲヒルン時代から変わらない悪習……が気に食わない、その一点に尽きる。
例え行動理念の先頭に使徒への復讐心があるにせよ、自分には前線で命を張ってる自負がある。
そして子供達に身勝手な債務を背負わせてしまってる引け目がある。
子供たちへの負い目。
使徒への恐怖と、それを打倒しなければならないという義務感。
そんなことは NERV
に籍を置く誰もが認識していることのはずだのに、ちょっとしたことで露呈する、ドブ川のそれにも似た
汚臭漂わす秘密体質。
裏取引の相手は大方戦自のどこぞの師団かなんかなんだろうけど、相手が何者だろうと知るかっつーの。
利があるとなれば幾らでも汚い手に出るこの厚顔無恥ぶりってばどうよ、ええい腹の立つ。
レイ「三佐の気持ちはよくわかりますけど、いい加減飽きましたよー!」
ミサト「釣りは短気の方が向くって言うんだけどねえ〜」
本日の犠牲者、零号機専属操縦者たるレイ、盛大にぶーたれるも、ミサトに退く気配は無い。
レイ「……こうしてる間にも、シンちゃんがさあ……」
ミサト「なーに?シンジ君がどーかした?」
レイ「なんでもありませーん!」
ミサト「あー。そういや、こないだ街中で会ったわよ、シンジ君の彼女」
レイ「嘘"っ!?」
ミサト「一緒に夕飯の買い物してた。アンタがリツコにつかまって帰れないでいた日だったかなー」
レイ「……」
ミサト「彼女っつーかガールフレンドっつーか、とりあえずいい雰囲気だったわよー。いわゆる茶ーミーグリーンって奴?」
レイ「……」
ミサト「一度うちに遊びに来なさいって誘ったら、すごく嬉しそうな顔してさー。笑顔の可愛い女の子ってトクよねー」
レイ「……」
ミサト「気になる?」
レイ「べべべべべべええぇーつううぅーにいいぃーーーっ!!」
ミサト「ひねくれたガキンチョだわねえ、ほんと」
中学生だろうと恋愛は当人同士の問題、頼られれば人生の先達として何か言う程度はやぶさかではないが、それを超える
事柄については不干渉であるべきというのが、ミサトのスタンスだ。
アスカが指摘するまでもなく、ミサトの目から見てもレイからシンジへの好意はあからさますぎるほどで、
主体性の無いシンちゃんのことだし、そのままくっつくものかとばっかし思っていたのだが、どっこいレイの胸中には
ミサトにはわからない何かが眠っているらしい。
ミサト「楽になっちゃえばいーのに」
アイスの棒を咥えてプラプラさせながらミサト。
レイ「……楽になれるものなら、そうなりたいよ……」
彼女を知る人間誰ひとりとして見たことの無いような悲痛極まる顔で呟いたレイの声は、エントリープラグの中から
こぼれることは無かった。
さて、転入後の霧島マナ。
嫌味を感じさせない明るく朗らかな笑顔は男女の別なく好かれ、2-A クラスメートの一員として
認知される様になるまでの過程は、至極あっさりとしたものだった。
また、マナは何故か碇シンジへの異常とも言える執着を見せ、それを隠しはばかることが無かった。
登校を待ち伏せ、昼には手製の弁当を持ってシンジの席に馳せ参じ、彼の背に抱きつくようにして下校し、
シンジがネルフに出頭する日はそのゲートまで、そうでない日には彼の住居であるコンフォートマンションの
足元までついて回った。
アプローチは露骨なほどだったが、マナの絶妙なバランス感覚によるものか、シンジがそれを疎んじることはなかった。
むしろ趣味の話、勉強の話、そういった身近な話題を中心に距離を詰めるマナは、いつしかシンジにとって
只の友人以上の存在になっていた。
マナがシンジとの距離を詰めるのに割りを食う格好で、ぎこちない間柄となってしまったのはレイだった。
人見知りせず、誰とでも即友達になるレイが、どうしたことかマナ相手にはまるで蛇蝎を見るかの様な嫌悪感を
剥き出しにする。
レイに親しいアスカやミサトなどは、そんな彼女の態度をひどくいぶかしんだが、当のレイはその理由を
固く黙秘して語ろうとしなかった。
「謎の移動物体」は、あれからまるで動きを見せなかった。
ミサトがムキになるまでもなく、明らかな機械的痕跡から、使徒をはじめとする UMA の類ではないことは
間違いなかったが、如何せんその後の消息が掴めない。
3日経ち、2週間が過ぎ、一ヶ月が経過するに至って、彼の存在は人々の記憶からほとんど忘れ去られてしまった。
特務機関ネルフの、エヴァンゲリオン関係スタッフを除いて。
アスカ「よりによって、アタシの当番の時にあたるたあねえ!」
観光名所、白糸の滝。
その滝の根元に大々的に突っ込む形で大破した、ひとつの巨大な陸戦兵器が確認された。
アスカ「湖からいぶりだされたってんなら、ミサトの執念も満更捨てたもんじゃないってことよね」
ミサト「アスカ!擱坐してるとは言え、まだ息があるかもしれないわ。油断だけはするんじゃないわよ」
アスカ「了解、了解」
軽口を叩きながらも、高度に訓練された、まるで暗殺者のごとき油断無い動きで弐号機を駆り、
目標との距離を詰めるアスカ。
アスカ「カメラ画像、回ってる?コックピットと思しきハッチを確認。
周辺の武装は死んでるっぽいわね……強制開放するわ」
抜き手で装甲に穴をうがち、蟹の甲羅でも剥ぐ様にハッチを開口する。
アスカ「カメラ画像、行ってるわよね。パイロット1名を確認。生命反応微弱。意識レベル不明。
生きてるけど、重体っぽいわね……まだ子供よ、アタシ達と同じ歳くらいね」
年端も行かないような少年を、こんな重武装な兵器にのっける組織が、NERV の他にもあるってのか。
アスカ「……くそったれ!」
アスカは苦りきった声でつぶやいていた。
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