第26話 まごころを、君に
「アスカ!もうこれ以上は無理よ!エントリープラグを射出するから脱出して!」
「ダメよ!コイツらをこのまま放っておけるワケないじゃない!」
伊吹二尉が最終手段である脱出を指示するが、アスカはそれを拒否。
すでに弐号機の内部電源は残り30秒にさしかかろうとしている。
このままではEVAシリーズを殲滅する以前に、戦闘不能に陥ってしまうのは確実だろう。
だが、撤退しようにも周囲を完全に囲まれてしまっている為、もはやそれすらもままならない。
弐号機を取り囲むように立つ全てのEVAシリーズはその手に大剣を携え翼を展開させている。
「うおぉぉぉぉぉぉっ!」
その状況にアスカは意を決し、弐号機を駆り一直線に突進させた。
目標は先程パージしたアンビリカルケーブル・・・。
進路を邪魔する量産機を突破、可能なら破壊しつつアンビリカルケーブルのある地点に到達し迅速に接続する・・・。
これが、アスカがとっさに考えた自身が生き残る為のプランであった。
猪突猛進ともとれる行動だが、小細工を弄する時間はすでに無い。
「アス――、今、――ンジ君が――へ―」
不意に第二発令所の伊吹二尉から通信が聞こえてきたが、アスカにはよく聞き取る事が出来なかった。
正直、今はそれどころではない。
突進を続ける弐号機は待ち受ける量産機・・・右腕が欠けていたその機体は7号機なのだが、
アスカが弐号機の両腕をその7号機に伸ばそうとしたその時、量産機は空へと舞い上がってしまった。
「な・・・!」
上空から攻撃されればひとたまりも無いが、今はそんな事を気にしている時間すら無い。
程無くして弐号機のモニターにアンビリカルケーブルのソケットが確認された。
アスカの弐号機はヘッドダイビングでもするかの様にソケットに手を伸ばす。
「はぁっ!」
アメフトのタッチダウンを髣髴とさせる動きで弐号機は地面をゴロゴロと転がる・・・。
そして、その手には見事アンビリカルケーブルのソケットが握られていた。
アスカはそのソケットを急いで弐号機の背中に接続する。
再び外部電源の表示へと切り替わる弐号機内のモニター・・・直前に見たそのカウントは残り10秒を切っていた。
だが、かろうじて活動限界を避ける事が出来たとはいえ、ホッとしている時間は無い。
いくら他に手段が無かったとは言え、その行動はあまりにも無謀だとアスカ自身認識していたからだ。
量産機が飛び上がったはずの上空をアスカは慌てて確認する。
「え・・・?」
アスカが予想していた場所に量産機の姿は無かった。
さっき自分が包囲されていた場所にも・・・その上空にも・・・再び包囲されたのかと思えばそうでもない。
一応、頭上も見てみたものの・・・量産機の存在は確認出来ない。
「うわぁぁぁぁぁっ!」
「アスカ!シンジ君が!シンジ君が!」
突然聞こえてきた、シンジの絶叫と伊吹二尉の悲痛な叫び。
アスカが振り返るとそこには・・・
「な・・・なによ、あれ?」
両手両足をロンギヌスの槍に貫かれ、まるで磔にでもされたかの様に空中に拘束された初号機の姿があった。
でも、いつの間に初号機が出撃していたのだろう・・・。
そういえば、さっき聞こえてきた伊吹二尉の通信は・・・?
よく聞いてなかったが、シンジが出撃したというような事を言っていた様な気もする。
「ちょっと、馬鹿シンジ!出てきていきなり拉致られるなんて何やってんのよ!」
アスカが率直な感想を叫ぶが彼からの返答は無い。
聞こえてくるのは絶叫とガチャガチャとエントリープラグのレバーを操作する音のみ・・・
もっとも、戦自との戦いを経て量産機との戦闘に移行したアスカとは違い、今のシンジは戦意に欠けていた。
そんな状態で突然EVAシリーズ9機の襲撃を受けては、そうそう反応できるものでも無いだろう。
「初号機、高度1000mに到達!なおも上昇中!」
第二発令所から日向二尉の報告が届く。
その間も、初号機がEVAシリーズによって上空へと連れ去られていく光景をただ見上げるしかないアスカ。
だが、その時
「EVA零号機、ジオフロントに出ます!」
青葉二尉の声が聞こえるのとほぼ同時にジオフロントに青い色のEVAが出現した。
前回、渚カヲルに制御されアスカ自身で制止させた零号機・・・その時の損傷はすっかり修理されている。
あの時とは違い、零号機の中には人が乗っているはずだ。
「アスカ!遅れてごめん!だいじょぶだった?」
零号機から聞こえてきた慌てた様な声の主は、当然専属パイロットである綾波レイである。
だが、弐号機のモニターに映し出されているレイのその姿は、頭にインターフェイスヘッドセットを付けているのみ。
いつもの白いプラグスーツではなく第壱中学校の制服のままである。
どうやら、本当に慌しく出撃してきたらしい。
「大丈夫じゃないわよ!馬鹿ファースト!遅すぎるっての!」
開口一番、アスカの罵声が飛んできた。
いつも通りの反応が返ってくるという事は彼女が無事である事を示しており
その事実はレイを少なからず安心させた。しかし・・・
「ねぇ、今って何がどうなってんの?それにシンちゃんは?」
その言葉通り、レイには今の状況がまるで分かっていなかった。
戦自の襲撃を受けている今のネルフ本部では、いつもの様に出撃前に説明らしい説明を受けていられるような状況では無かったのだ。
第二発令所においても本部内に侵入してきた制圧部隊への対処やアスカのサポートなど
こなさなければならない仕事が山積みとなってしまっている。
おまけに作戦部長であるミサトが不在では・・・無理もない話と言えるだろう。
「・・・馬鹿シンジならあそこ。EVAシリーズに連れ去られちゃったのよ。」
一言二言で状況説明をあっさり終わらせるアスカ。
そして彼女が指し示した方向はジオフロントのはるか上空・・・
青い空と白い雲の隙間にEVA初号機と翼を広げたEVAシリーズが昇っていくのが見える。
「ちょ・・・ちょっと!なんでそんなに落ち着いてんの?なんとかしなきゃ・・・!そうだ、通信で―――」
「あいつ、今パ二くってるから無駄。でも、今ならあの馬鹿を連れ戻すことが出来るかもしれないわ。」
慌てふためくレイに対し、冷静沈着なアスカ・・・
もっとも、冷静と言うよりは呆れた様な様子でもある。
「ねぇ・・・ねぇ!どうしよう!このままじゃシンちゃんが・・・!もしかしたらあの白いのに食べられちゃうかも・・・!」
「・・・EVAが共食いなんかするわけないでしょうが。」
ため息交じりにレイの妄想にツッコミを入れるアスカだったが・・・
そういえば・・・第14使徒が襲来した時に初号機がその使徒を捕食した事があったらしい。
アスカ自身、直接見たわけではないのだが・・・
使徒とEVAを同列に扱うのは無理があるかもしれないが、レイの意見にも妙な説得力が感じられる。
「とにかく人の話を聞きなさいって。今なら手があるんだから」
やんわりと自分の意見を述べるアスカ。
だが、一方のレイは上空に昇っていくシンジを目の当たりにし、ただオロオロするばかり。
彼女にとって希望となりえる発言をアスカがさらりと言っているにも関わらず、その事実に気付く気配すら無い。
そして、そんなレイの態度にアスカは段々腹が立ってきた。
「いい加減、落ち着きなさいよ!」
ゴッ!
アスカの怒りそのままに弐号機の拳が零号機の頭部に振り落ろされた。
嫌な鈍い音が周囲に響き渡る。
当然、神経接続されているレイにもその痛みがダイレクトに伝わってしまい、零号機は頭を抱えてしゃがみこんでいる。
「いったぁ〜。」
レイはエントリープラグ内で頭を抱え痛みをこらえていた。
ふと見上げると、そこには仁王立ちをしているアスカ・・・もとい、弐号機の姿が。
「いい?ファースト。
EVAシリーズに連れてかれたシンジは、今も昇ってっちゃってるから当然私達の手は届かない。
私達のEVAは空を飛べないからね・・・ここまでは分かった?」
アスカの状況説明にコクコクと頷くレイ。
彼女はただ黙ってアスカの説明を聞いている。
「かと言って、狙撃すれば良いってモンでもないワケ。
EVAシリーズに効くかどうかは別として、私達がやらなきゃならないのはシンジの救出なんだから。」
「うん。でも、どうやって?」
レイの問いに、アスカは弐号機で遠方を指し示した。
その先にはジオフロントの森林が続いているだけで、これといって目に付くものは無いが・・・
「あんたは向こうの方からこっちに向かって全力で駆けてきて。
私の弐号機は正面に手を組んで待ってるから、ファーストはそれに足を掛けて全力でジャンプ。
そうすれば、多分あの馬鹿のいるところくらいまでは届くはずよ。」
アスカの言う提案とは、
どうやら1機のEVAがアシストに回り、もう1機のEVAを上空へ放り投げるというものであるらしい。
EVA自体の重量は相当なものだが、EVAにはそれにも勝る筋力、そして瞬発力がある。
こういった事は初めての試みだが・・・もしかしたらうまくいくかもしれない。しかし・・・
「でもさ、うまく出来るかな・・・?」
初めてやる事だけにレイは不安の表情を覗かせている。
正直なところ、レイは自らの操縦技術にそれほど自信があるわけではない。
EVAの操縦に優れたアスカが2人いれば出来そうな事なのだろうが・・・
最悪、ジャンプできずに零号機と弐号機が激突という可能性だってある。
「うまく出来るか?じゃなくて、やらなきゃ駄目なのよ。
それ以外にシンジを連れ戻す方法なんて無いんだから。のんびり考えてる時間があるわけでもないしね。」
アスカの言う事も一理ある。
空を飛べないEVAがシンジの居る高度まで昇るには・・・今すぐに取りえる手段としては他に方法は無いだろう。
専用の輸送機を使う事も不可能では無いだろうが、今のネルフ本部にそこまでのサポートは期待出来ない。
結局、彼女達2人でどうにか対処する以外に方法は無いのだ。
「わかった。やれる事はやっとかなきゃならないもんね。」
そう言うとレイの零号機は弐号機から離れていった。
その間、アスカは第二発令所と連絡を取り、零号機投擲時の細かい調整を依頼している。
程なくしてEVA2体は約1km程の距離を開け・・・、お互いに向き合う形で対峙した。
「じゃ、行くよ!」
「りょーかい。しくじるんじゃないわよ。」
いつになく真剣なレイに対し、少々気が抜けている様に聞こえなくも無いアスカの返答。
アスカなりのレイを焦らせない様にする配慮なのかもしれないが・・・それは当の本人にしか分からない事だ。
直後、レイの零号機はアンビリカルケーブルをパージ。EVA特有のけたたましい足音を轟かせながら弐号機に向かって突進を開始した。
一方のアスカは弐号機の正面で手を組ませ腰を限界まで落としている。
それなりの距離が開いていたはずが、EVAの脚力によりみるみる2機の相対距離が縮まっていく。そして・・・
「うあぁぁぁぁぁっ!」
「どおりゃぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ジオフロントに響かんばかりの2人の掛け声。
弐号機が組んだ両手に右足を掛けるレイの零号機は一気に上空へと放り投げられた。
2機のEVAの力により、地上で踏ん張った弐号機の周囲の地面は崩れている。そして・・・それらは一瞬の出来事であった。
「すごい・・・!ホントに空飛んでるみたい・・・!」
零号機のエントリープラグ内で周りを見渡しながらレイは驚きの声を上げていた。
上空の雲は見る間に通り過ぎていき、地上のジオフロントはあっという間に小さくなっている。
その間も零号機は凄まじいスピードで空中を昇っていた。
当然、推進力は時を追うごとに落ち始めてはいるが、このままなら今も上空へと昇っている初号機にもなんとか追いつけるだろう。
「アスカ、スゴい!とっさにこんな方法思いつくなんてさっすが〜!」
「フッ、当然よ。アンタはアンタでしっかりあの馬鹿を連れ戻してきなさいよ。」
モニター越しに映るニコニコ顔のレイに褒められ、勝ち誇ったような表情で笑みを浮かべるアスカ。
確かにこのまま順調に進めばシンジの元に到達するのは確実である。
「え・・・あれ?なんか・・・来た?」
レイの眼に上空から舞い降りてくる白い影が飛び込んできた。
「レイ!量産機が1機降下中だ!気をつけろ!」
間髪入れずに第二発令所の日向二尉から警告が入る。
確かに、上空から降りてくる物体が翼を広げた白いEVAシリーズの内の1機である事はまず間違いない。
巨大な剣を携えた量産機は一直線に零号機に向かってくる。
それに対し、零号機は即座にプログレッシブナイフを装備。
あの巨大な剣の前には玩具同然であるが、それでも装備していないよりはマシである。
「はあっ!」
零号機は手にしていたプログレッシブナイフを量産機に投げつけた。
だが、そんな攻撃が通用するはずもなく、量産機は手にしていた大剣でプログレッシブナイフを振り払う。
しかし、剣を振るった事で量産機に僅かな隙が生まれ・・・そして、その瞬間をレイは見逃さなかった。
「えいっ!」
隙の生まれた量産機に接近した零号機は、量産機に足をかけ再び跳躍。
落ちかけていた推進力を再び得て、零号機はスピードを増しながら再び上昇を開始した。
一方、踏み台にされた量産機は地上へと墜落していく。
「へぇ〜、アンタにしては機転が利くわね。」
地上で眺めていたアスカは珍しく感心した声を上げる。
そんなアスカに対し、モニター越しに得意気にVサインを決めるレイ。
だが、そんな明るい状況も長くは続かなかった。
零号機の接近が阻止できなかった事を確認した別の量産機が降下を始め、レイの零号機へと向かってきたからだ。
「あわわ・・・!ど・・・どうしよう!ねぇ・・・どうすれば良いの!?」
先程とはうって変わって、慌てた様子のレイはモニターに映るアスカに叫ぶ。
唯一の武器であったプログレッシブナイフはすでに使ってしまって、今の零号機は素手の状態。
地上ならレイにも対処方法くらい思い浮かぶのだろうが・・・ここは空中である。
独自に空を飛ぶことの出来ない零号機では攻撃はおろか避ける事すらままならない。
「どうしようって・・・!アンタ自分でどうにかしなさいよ!」
「そんな無茶な!」
突き放す言い方のアスカにレイは言葉を失う。
そして、そうしている間にも量産機は迫ってきている。
敵は大剣を正面に構えて突進してきており、このままの状態では零号機が真っ二つにされかねない。
だが、何も妙案は思い浮かばず・・・やむなく、レイは零号機の両手を正面にかざした。
「アンタ、なにする気よ・・・?」
「・・・し、白刃取り。」
アスカの問いに答えるレイの声には自信が全く感じられなかった。
それも当たり前の話で、レイは当然白刃取りなどやった事は無く、それをとっさに行えるだけの技量もあるかどうかも疑わしい。
仮に大剣を受け止められたとしても、そこから再びシンジの救出に向かえるかどうか・・・
だが、地上のアスカにしても何も策は思い浮かばない。そんな時
「レイ!肩に非常制御用の固体ロケットがあるわ!それを噴射させれば少しは推進力が得られるはずよ!」
「肩の・・・?」
伊吹二尉の提案をレイが理解するまで少し時間がかかった。
EVAの肩のパーツには、高度から着地した際の衝撃を抑えるためのロケットが左右に5基づつ内臓されている。
すっかり忘れていたがネルフが停電した時にやってきた使徒を倒す時に使った・・・様な気がする。
だが、量産機はすでに目前・・・今から作動させたところで間に合うかどうかは自信が無い。
「やっ!」
それでも、すぐさま非常制御用のロケットを点火させるレイ。
点火させると同時に先程までより少しスピードが上がった様に感じられた。
突然、目標としていた零号機のスピードが変化し戸惑う仕草を見せる量産機。
その量産機を下にかわし、同機をふたたび足場に跳躍しようとした零号機だったが・・・
ガシッ!
「わっ!」
ロケット噴射のタイミングが遅すぎた。
完全に避けきる前に量産機と接触、零号機の腰の部分をガッチリと抱え量産機は離脱を始めてしまった。
肩に担がれるような格好で零号機は連れ去られていく。
「ちょっと!なにすんのよ!放して!放しなさいってばぁ!」
必死に手の届く範囲をボカボカと殴るレイの零号機だったが、腰の入ってない打撃が通用するはずもない。
そして、初号機や他のEVAシリーズと十分に距離を取ったところでレイの希望通り・・・量産機は零号機を振り落とそうと力を込め始めた。
逆に、今度は振り落とされまいと量産機の背中に必死にしがみつくレイの零号機。
高度はおよそ3000m・・・この高さから落ちてEVAが壊れる事は無いだろうが、振り落とされてしまえばシンジの救出は絶望的となる。
「くぅっ・・・!」
全力で量産機の背中に手をかける零号機だったが、
EVAの背中には取っ掛かりになるような場所は無く、現在の状態を維持するだけでも一杯一杯である。
羽ばたいている量産機の羽も零号機にとっては非常に邪魔な存在だ。
おまけに、段々と手が滑り始めてきており・・・このままでは地上に落とされるのも時間の問題だった。
量産機の背中にある数少ない突起に手をかけ、なんとか耐えていた零号機だったが・・・
バキッ!
「へ・・・?なに?今のバキッって・・・?」
何か嫌な音がしたが、その原因が分からずキョトンとするレイ。
その瞬間、零号機を振り落とそうとしていた量産機の力がとたんに無くなった。
これ幸いと量産機の背中に掛けていた手の位置を直そうとした零号機だったが・・・レイはふと零号機が手に何かを持っているのに気付く。
同機が手にしていたのは白いカバーの様なもので、その下には灰色をした何かの機械が付いている。
もっとよく確認しようとそのカバーを目の前に近づけた、その時
「え?」
その機械から細長い筒の様なモノがズルリと抜け落ち、そのまま地上へと落下していった。
赤い色をしたその表面にはアルファベットがなにやら書かれていて・・・以前どこかで見たような気がする。何だろう・・・?
だが、レイにはそれを思い出す時間すら与えられる事は無かった。なぜなら・・・
「わぁぁぁぁ〜!」
その量産機が突然降下を始めたからだ。突然の状況変化に素っ頓狂な声を上げるレイ。
同機は翼をほんの少し広げ零号機を肩に担いだまま、真っ逆さまに地上へと突き進んでいる。
「やだ!放して!」
だが、量産機は零号機の身体をまるで離そうとはしない・・・。
いや・・・放す放さないの話ではなく、どうも量産機が活動している様には見えない。
口や手足は硬直したまま、翼も中途半端な位置で完全に停止・・・さっきまでの量産機とは動きがまるで違っている。
もっとも、レイにとってはそんな事を気にしていられる状況では無かった。
「ね、ねぇ!放さなくても良いからとりあえず飛んで!このままじゃ墜落しちゃうよ?」
気が動転したのか、量産機に対し必死に話しかけるレイ。
もちろん、量産機がその声に答える事は無く、ただ地上へと降下するのみである。
なんとか抜け出そうとするも、零号機の腰は量産機の腕にしっかり抱えられており、そこから抜け出す事も出来ない。
「ったく!世話が焼けるわね〜!」
地上でその様子を眺めていたアスカ。
彼女は文句を言いながらも、零号機と量産機が墜落するであろう地点に弐号機を移動させる。
万が一の場合に備えて零号機を受け止めようというのだろう。
(飛び上がんの・・・ファーストじゃなく、自分のほうが良かったかしら・・・?)
移動しながら、アスカはふと心の中で自身に問いただしてみる。
自分ならきっと量産機にも対処出来ていたはず・・・だが、上空に放り投げるというのも楽な仕事では無い。
レイに放り投げられていたとして・・・果たして、ちゃんと上空へ飛び上がれていただろうか・・・?
「・・・・・。」
否。おそらく、あらぬ方向に投げ飛ばされネルフ本部の建物にでも突き刺さっていた事だろう。
アスカは改めで自分の判断の正しさを再認識する。
「飛べ!飛んで!飛んでってば!」
一方、レイはエントリープラグのレバーをガチャガチャ動かしながら叫んでいる。
「今、行かなきゃ・・・!このままじゃシンちゃんが!」
レイの眼に映るのは上昇していく初号機の姿・・・だが、すっかり距離が離れてしまった。
初号機と、その周囲に在るEVAシリーズは浮かびながらそれぞれの配置に付き、宙に何かの模様を浮かび上がらせている。
何をするつもりなのかは分からないが・・・このまま放っておけるワケが無い。
「飛んで!飛べ!飛んでよっ!
じゃないとその羽、手羽先にしちゃうからねっ!」
レバーを動かしながら精一杯の声で叫ぶレイ。
だが、量産機は何の反応も示さない。このままでは本当に量産機もろとも地表に激突してしまう。
「あたし・・・、あたし、どうしてもシンちゃんを助けなきゃならないの!
碇司令との約束・・・守らなきゃならないの・・・!
だから・・・お願い!飛んで!飛び上がって!」
レイの懇願するかのような叫び。
その瞬間、量産機の眼が光った・・・様な気がした。
もっとも、量産機の頭部には口があるのみで、その表面に眼は見当たらないのだが・・・
だが、さっきまでの硬直が嘘のように量産機は活動を再開。
再び翼を羽ばたかせ、零号機を抱えたまま滞空している。
「あ、やった・・・やった!助かったぁ〜!君、偉い!」
降下が止まった事に気付き、レイは零号機の手で量産機の頭をペチペチと叩いて喜んでいる。
彼女の言う君とは・・・おそらく自分の零号機を抱えている量産機に対してのものだろう。
本来、敵のはずの量産機に感謝の言葉を述べるのもアレなのだが・・・レイの素直な気持ちの表れでもあった。
それにしても・・・零号機に攻撃を仕掛けてきた時とは違い、その量産機には何の意思も感じられない。
「ファースト・・・、あんた何してんの?」
量産機に抱えられている零号機を眼に素直な疑問を口にするアスカ。
その量産機は自分がコアを潰そうとしていた13号機なのだが・・・その13号機がなぜ大人しくしているのか分からなかった。
ダミープラグにより起動しているとは言え、その行動は決して生易しいものでは無かったからだ。
「よくわかんないけど・・・なんか、この子言う事聞いてくれたの。
じゃ、あらためてシンちゃんを助けに・・・わっ!」
レイの言葉が言い終わる前に13号機は行動を開始した。
だが、今度は急降下ではなく翼を羽ばたかせて上昇している。まるでレイの意思を汲み取っているかの様に・・・
一直線に初号機とEVAシリーズの居る場所へ向かってくれている。
「君・・・、どうして?」
13号機の背に乗せられた零号機。
そのエントリープラグ内でレイは率直な疑問を口にする。
少なくとも、EVAシリーズ・・・いや、EVAシリーズの主である彼らにとって敵であるはずの自分を助ける道理は無い。
だが、今の13号機の行動は明らかにレイにとって手助けとなっている。
「もしかして、助けて・・・くれるの?」
その時、レイはふと量産機の背中に大きな穴が開いているのに気付く。
なんだろう・・・?背中の首元から少し伸びた部分・・・、その周辺のパーツがごっそり消えてしまっていた。
そこはダミープラグを挿入する場所であり、図らずも彼女が先程壊してしまった部分でもある。
つまり、今の13号機は通常の方法で起動しているワケでは無く・・・
「よ〜し!それじゃ、そのままあたしをシンちゃんのトコまで連れてって!」
その瞬間、さらにスピードを増す13号機。
一見、13号機の意思でレイを助けている様にも見えるが・・・実のところ、この量産機を制御しているのは他ならぬレイ自身なのだ。
以前、渚カヲルが零号機を従えたのと同様の方法で・・・
もっとも、カヲルとは違いレイは無意識下で制御している為、彼女自身にその自覚はまるで無い。
「レイ!聞こえる?活動限界まであと2分、気をつけて!」
第二発令所から届く伊吹二尉の警告。
さっきまで色々あったのですっかり忘れていたが、今の零号機は空中に昇るためアンビリカルケーブルを繋いでいないのだ。
一時はどうなる事かと思ったが13号機の協力のおかげで、もうすぐ初号機の元へとたどり着ける。
また、初号機の周囲に展開しているEVAシリーズは何かの儀式を進めているらしく、そちらの方を優先するつもりの様だ。
レイの零号機が接近しているにも関わらず妨害しようとはしてこない。
「EVAシリーズ!S2機関を解放!」
「次元測定値が反転、マイナスを示しています!観測不能!数値化出来ません!」
青葉二尉と日向二尉の声がレイの元にも聞こえてくる。
上空で光り輝いているEVAシリーズと何か関係があるのだろうか・・・?
何が起きているのかは分からないが・・・のんびりとしている時間は無いらしい。
「はあぁぁぁぁっ!」
レイはATフィールド全開でEVAシリーズの待ち受ける空域へと突入していく。
もう迷っている時間は無い・・・。
目の前には、空中に磔にされ巨大な十字架の様な形のATフィールドらしきものを展開している初号機が在る。
「えい!」
それは意外とすんなりうまくいった。
零号機は初号機の腰を肩に担ぎ、そこから一気に離脱を開始。
彼女の行動に何の小細工も無かったためか、EVAシリーズ各機とも全く反応が出来ていない。
そのままの空域で呆然としているかの様に・・・ただ、浮かんでいた。
先程までの輝きも空に浮かび上がっていた模様も・・・今はすっかり消えてしまっている。
「ありがと!今度はあたし達を地上に連れてって!」
自分を乗せてくれている13号機に指示・・・いや、お願いをするレイ。
13号機は嫌がる素振りも見せずレイの指示に素直に従ってくれている。
操っているのはレイ本人なのだから、当然といえば当然なのだが・・・当の本人には量産機が協力してくれている様にしか見えない。
「・・・綾波?」
突然、レイの元にシンジの呟きが聞こえてきた。
彼は今現在の自分の状況が飲み込めていないらしい。
「シンちゃん、大丈夫?ケガとかしてない?」
ずいぶん久しぶりとなるシンジとの会話・・・。だが、シンジからの返事は中々返ってこない。
「・・・僕は・・・やっぱり駄目なんだ。
EVAに乗っても・・・何も出来ない。人を・・・みんなを傷つけるだけなんだ。」
エントリープラグの映像は繋がっていないが、弱々しいシンジの声は聞こえてくる。
今にも泣き出しそうな・・・そんな声だった。
「トウジも・・・カヲル君も・・・殺してしまったんだ・・・。僕は・・・僕は・・・」
自問自答するシンジの声。
そんなシンジの初号機を肩に担ぎながらレイの零号機はその背中を優しく撫でている。
「あたしも・・・一緒だよ。
あたしも・・・知らないうちに他の人の事を傷つけてた・・・。」
今のレイの脳裏に浮かぶのは、ターミナルドグマで出会ったリツコの姿だった・・・。
彼女が自分に対し抱いていたある種の感情・・・レイはその瞬間までその事に気付けなかったのだ。
銃口をこちらに向け憎しみと悲しみに満ちた眼で自分を睨みつけていたリツコ・・・
多分、あの眼は一生忘れる事が出来ないだろう・・・。
「多分、シンちゃんだけじゃなく・・・みんな一緒なんだと思うよ。
生きているんだから・・・生きていくんだから・・・・・ね。
気にしないのは駄目かもしれないけど・・・それでも、精一杯生きていった方が良いんじゃないかな。」
まるで自分自身にも言い聞かせている様なレイの言葉。
その間も零号機と初号機、そして彼らを乗せてくれている13号機は地上へと近づいていた。そして・・・
ズシィィィィン!
ある程度の高度から、零号機はシンジの初号機を抱えたまま地上へと飛び降りた。
そして、彼らに付き従うかの様に遅れて着地する13号機・・・
「今は・・・頑張ろうよ?このままだとみんな死んじゃうかもしれないし・・・。」
レイは、初号機を立たせ同機の両肩を掴みながらエントリープラグ内のシンジに言葉をかける。
「・・・うん。」
初号機から聞こえてくるシンジの小さな声・・・
とりあえず、レイの言う事を分かってくれた様だ。
「ファースト!アンタ、何やってんのよ!」
ふいに聞こえてくるアスカのいつも通りの罵声。
と、同時にレイの零号機の活動限界を示す数値が停止、外部電源の表示へと切り替わった。
「あ、アスカ。ありがと。」
アンビリカルケーブルを繋いでくれたであろうアスカに、レイは感謝の言葉を述べる。
だが、当のアスカにはそんなレイの言葉など届いていない。
「なんでEVAシリーズがそこに居んのよ!おかしいでしょうが!」
アスカにとっては、先程まで死闘を演じていたEVAシリーズ。
その内の1機がさも当然の様にレイの零号機の傍らに立っている・・・その事実にアスカは納得がいかなかったのだ。
「この子敵じゃないよ・・・。だって、あたしの事を助けてくれたもん。」
「んなワケないでしょ!そいつは敵よ、敵!」
レイがなだめようとするがアスカは聞く耳を持とうともしない。
一歩間違えばEVAシリーズに殺されていたアスカからすれば、そう考えるのも無理は無いだろう。
弐号機には量産機が手にしていた大剣が携えられており、その気さえあればいつでも13号機に振り下ろせる体勢にある。
ちなみに今、弐号機が手にしている大剣の主は、零号機が踏み台にした量産機であり・・・
同機は墜落と同時に弐号機の手によりダミープラグもろとも完膚なきまでに破壊され、すでに亡くなっていた。
「駄目!アスカちゃんを殺さないで!」
レイの唐突な言葉に、手にしていた大剣が手から滑り落ちそうになりバランスを崩すアスカの弐号機。
アスカは慌てて、よろめいてしまった弐号機の体勢を整える。
「綾波さん。どうして私をちゃん付けで呼ぶのかしら?」
満面の笑みを浮かべ、レイに尋ねるアスカ。
優しそうに微笑む彼女はどう見てもいつものアスカでは無かった。
おまけに彼女がレイの事をさん付けで呼ぶなど・・・これが最初で最後かもしれないし明日は嵐かもしれない。
「違うよ。アスカちゃんってこの子の名前。いつまでも君とかって呼ぶのは可哀想で―――」
ドゴッ!
レイの言葉が言い終わるか終わらないか・・・その瞬間に弐号機の回し蹴りが零号機の腹部にヒットした。
蹴りがクリーンヒットし思いっきり吹っ飛ばされるレイの零号機。
「ファ〜スト〜!なんでよりにもよって私とその白ウナギが同じ名前なのよ!」
ジオフロントに倒れ付す零号機に怒鳴るアスカ。
もっとも、質問する前からなんとなく分かってはいたのだが・・・
「酷い!アスカちゃんは白ウナギじゃないもん!」
首をフルフルと横に振り、眼には涙を浮かべて必死の主張をするレイだったが・・・
どう見てもワザとやっている様にしか見えず、彼女のその行動はアスカの神経を逆撫でしただけに過ぎなかった。
「やかましい!」
簡潔な一言でレイをピシャリと黙らせるアスカ。
その間、零号機の頭にアイアンクローをかける弐号機の姿がジオフロントに在ったのは決して見間違いなどでは無い。
あまりの痛さに零号機ごとレイは両手をブンブン振ってもがいていた・・・。そんな時
「くぉらぁ〜!三馬鹿ぁ、何しとるかぁ!」
ふいに、馴染みのある女性の声が第二発令所から聞こえてきた・・・
「・・・ミサトさん!」
その声に驚いたのはシンジだった。
自らを命懸けでEVAのところへ送ってくれた人・・・
シンジが知っているのは戦自の制圧部隊の襲撃を受け、別れてしまったところまで・・・
もしかしたら・・・と、最悪の事態すら考えていたが、通信により聞こえてくるミサトの声はいつもの調子そのままだった。
「現在EVAシリーズは高度3000mで滞空中、依然変化は見られません。」
「こっちの出方を見ているのかしら・・・。」
日向二尉の報告に腕を組みながら思案をめぐらせているミサト。
上空の量産機はそれぞれ弐号機による損傷の痕が見られるが、それでも戦闘能力そのものは依然健在と思われる。
手持ちのEVAの数から考えてもこちらの不利は否めない・・・。
だが、主モニターに映し出される光景に、真剣な彼女の表情が一気に呆れたものへと変わった。
「はぁ・・・、それにしても、この非常時にあの子達は何やってんだか・・・。」
弐号機と零号機のやり取りを見ながらミサトがため息混じりに呟く。
レイやアスカ・・・当人達にしてみれば真剣そのものなのだが、第三者の視点から見ればふざけている様にしか見えない。
アイアンクローを外された弐号機だったが、今度は踵落としを零号機にお見舞い中である。
そして、彼女らのやり取りの声は第二発令所にもちゃんと届いていた。
いまだに続いているアスカの怒号とレイの弁解はまるで終わりを見せようとはしていない。
「やれやれ・・・また恥をかかせおって。」
発令所の上部にある司令専用席の傍らで同じく主モニターを眺めていた冬月副司令。
頭を抱えてはいるが、以前とは違いその表情は苦笑気味である。
「・・・葛城三佐、お体は大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。こんなのかすり傷みたいなモンだから。まぁ、ちょっちヤバかったけどね。」
心配そうに問う日向二尉に対し、彼を安心させるかの様に明るい口調で返すミサト。
彼女の左腕には包帯が巻かれている。
戦自の制圧部隊との銃撃戦において負傷したものであるが・・・
ネルフ側の支援部隊が間に合い、第二発令所へ戻ってくる事が出来たのは不幸中の幸いと言えるだろう。
「現在、戦自の部隊の大半が第二層の確保に当たっています。第三層への侵入は比較的小規模の模様です。」
「あっちもあっちで様子見ってワケか・・・戦自と言えど攻めあぐねてるってトコかしらね。
弐号機が踏ん張ってくれたおかげかしら・・・。」
青葉二尉の報告もあわせ、ミサトは現在の状況把握に努めている。
一個師団を投入してきた戦自だったが・・・やはり、弐号機による漸減はかなり効いていた様だった。
戦車大隊を始めとする地上戦力は序盤でほぼ壊滅。
後詰めとして期待された航空部隊も弐号機に対し有効な攻撃を与える事は出来なかった。
唯一の利点である制圧部隊での本部侵入も途中まではうまくいっていたものの・・・
全体的な戦力が減衰していたためか、さすがの戦自も手詰まりと言った状況へ陥っていたのだ。
「シンジ君、レイ、アスカ、よく聞いて。」
考えをまとめたミサトが三人に指示を与えようとする。しかし・・・
「だって、アスカちゃんがこの名前が気に入ったって言うんだもん。ね〜?」
「ね〜?じゃないわよ!
気に入ったかどうかなんてアンタに分かるワケないでしょ!
・・・って、アンタもアンタで適当に頷いてんじゃないわよ!白ウナギの分際で!」
レイとアスカの口論はいまだに続いていた。このままだと本当に延々と口喧嘩が続きかねない。
一応、シンジが仲裁しようともしているのだが、
ほとんどオロオロしているだけで何の役にも立てていないのが原状である。
「だまらっしゃぁぁぁい!」
ミサトの怒鳴り声がレイ、アスカのエントリープラグ内に響き渡った。
当然、何もしていないシンジもミサトの大声による被害を被っており、第二発令所の面々も同様に巻き添えを食らってしまっている。
あまりの声の大きさにレイもアスカもキョトンとしてそれまで続けていた口論を止めてしまった。
「あれ?葛城三佐・・・どうしたんです?」
「なに、ミサト?いつ戻ってきたのよ?」
ミサトの存在にたった今気付いたレイとアスカの二人組。
喧嘩に夢中だったため、先程のミサトの声はまるで届いていなかったのだろう。
「戻ってきたのはついさっきよ。
ところで、あなた達に聞きたい事があるんだけど・・・・・・・・・その量産機、何?」
「アスカちゃん。」
ミサトの問いに即答するレイ。
その直後、弐号機に拳骨を振り下ろされる零号機の図が第二発令所の主モニターに映し出されたのは言うまでもない。
「そんなの私らも知らないわよ〜。なんかファーストに懐いてるみたいだけど?」
頭を抱え蹲っている零号機をよそにアスカがやれやれといった態度で質問に答えている。
とは言っても、量産機がなぜ零号機・・・いや、レイと行動を共にしているのかはアスカにも解りようが無いのだが・・・
「あのアス・・・EVA13号機にエントリープラグは挿入されていません。理論上、起動出来るはずは・・・」
状況を察した伊吹二尉が現状で得られている情報をミサトに報告する。
MAGIによって得られた情報であるEVA量産機の基本性能や飛翔能力、
武装であるロンギヌスの槍のコピーの存在などなど・・・適度に掻い摘んで分かりやすく説明している。
しかし、今の13号機がなぜ起動しているのかまでは突き止められていない。
「でも、事実なのよ。まずそれらを受け止めて・・・そこから探ってみて。」
ミサトの眼に映る13号機には、敵対する意思はおろか独自に何かをしようという仕草すら感じ取れない。
常にレイの零号機の傍らに佇んでいるだけである。
本当に味方となってくれるのであれば心強い存在となりえるのだろうが・・・
本当に信頼できるかどうか・・・現時点ではまだ情報が足りなさ過ぎた。
「いい?みんな、よく聞いて。これからの作戦を説明するわ。」
ミサトがこれからの行動についての説明を3人に始める。
「・・・要は、EVAシリーズを全滅させれば良いってコト?」
「そ。残り8機のEVAシリーズを殲滅してちょうだい。私達が生き残るにはそれしかないわ。」
説明を聞いたアスカがミサトに確認する。
ミサトが下した命令は単純明快、ネルフが現有するEVA3体によるEVAシリーズの殲滅・・・
もっとも、アスカがすでに1機破壊しているため残るEVAシリーズは8機となるのだが。
しかし、そのミサトの作戦に異を唱える人間がここに1人・・・
「葛城三佐・・・。アスカちゃんは違いますよ。この子はあたしを助けてくれたんです。」
切々と自分の心情を上司であるミサトに訴えるレイ。
いつになく真剣な彼女の表情にミサトもやや引き気味である。
「え・・・あ、あぁ、そうね。一応、報告は聞いてるわ。ま、とりあえず上空の7機は確実に殲滅して。
そのアス・・・あ〜、アンタ達の近くにいる量産機のコトは後で考えましょ。」
ミサトの提案は平たく言うなら問題の先送りなのだが、今はそれ以外に妙案も浮かばない。
第一、のんびり考えている様な時間的余裕は今のネルフには存在しないのだ。
「いい?シンジ君がオフェンス。アスカがディフェンス。レイがバックアップ。
再生能力の高い量産機を仕留めるにはエントリープラグの破壊が現時点で考えられる最も確実な手段よ。
今、それぞれの武器を上げるからそれを装備してEVAシリーズの攻撃に備えて。」
程なくしてジオフロントにEVA専用の武器が用意された。
初号機用のマゴロク・E・ソード、弐号機用のソニックグレイブ、零号機用のスナイパーライフル・・・
銃器は先程、戦自との戦闘で弐号機がほとんど使ってしまっていたが、
スナイパーライフルが残っていたのは幸運と言えるだろう。
「あ、私は要らないわ。コレがあるし。敵の攻撃を防ぐならこっちの方がマシでしょ。」
とはアスカの言葉。
弐号機の手には量産機からの戦利品である巨大な大剣が握られている。
たしかに、前にかざすだけであらゆる攻撃が防げそうなほど巨大で肉厚なため、攻撃だけではなく防御にも十分使えるだろう。
「そう?アスカがそれで良いならこちらとしてもかまわないけど・・・
シンジ君、大丈夫ね?」
ミサトがまだ何か迷っているかのような態度のシンジに声をかける。
シンジは返事らしい返事もせず・・・その態度から見ると戦意はあまり感じられない。
だが、それでも彼なりに気持ちの整理はつけているのだろう。
それを証明するかの様に。シンジの乗る初号機はマゴロク・E・ソードを手に戦闘準備を整えている。
「EVAシリーズ、全機降下開始!」
日向二尉の声はジオフロントの3人にも届く。
翼を広げた7機のEVAシリーズが舞い降りてくる姿が彼らの眼にも確認出来た。
「さ、いくわよ。シンジ、ファースト。」
そう言うと、アスカの弐号機は配置へと向かう。
EVA量産機に最も近いところで攻撃を防ぐのが仕事となるからだ。
フォーメーションは、アスカを先頭にシンジがその後方、やや離れた位置にレイの零号機が支援射撃のために待機する予定である。
アスカの後を追おうとしたシンジだったが・・・ふと何かが眼についたらしい。初号機はその歩みを止めてしまった。
「綾波・・・どうしたの?」
彼の眼に映ったのは、いまだに地表に膝をついてしゃがみこんでいる零号機だった。
急がなければならない状況なのだが、レイの様子がちょっと気になったらしい。
「うん。なんか・・・頭が痛くて。」
「アスカ。やりすぎよ。」
自分の頭に手を添えながら返答するレイの声を聞き、ミサトがアスカに注意する。
さっきまでアイアンクローや踵落としなどを食らわせていた為か、すっかり悪役に仕立てられてしまっていた。
「なんで私のせいなのよ!ちゃんと手加減してたっての!」
ズシンズシンと弐号機を進ませながらアスカが怒鳴る。
心当たりが無いわけでは無いのだが、彼女なりに手加減していたのに自分のせいにされたのでは面白くないだろう。
先程からのレイとのやり取りもあるため・・・今のアスカの機嫌は最悪だった。
「よ〜し!なんか頭が痛い気がするけど平気平気!アスカちゃんもがんばろ〜ね!」
他意は無いのだろうが火に油を注ぐレイの掛け声。
そして、彼女の声に呼応するかの如く、巨大な大剣を手に零号機の頭上へと舞うEVA13号機。
一方、後で必ずレイをとっちめてやろうと心の中で固く誓うアスカ。
その不満の捌け口は最初に降下してきた量産機に向けられた。
「どりゃぁぁぁぁっ!」
地上に降りようとしていた量産機に向け、弐号機は手にしていた大剣を衝き立てる。
その量産機も弐号機に対し上段から大剣を振り下ろそうとしていたのだが、わずかな差で弐号機に軍配が上がった。
弐号機が衝き立てた大剣は正確に量産機の胸部を貫き、切っ先は背中にまで達しており・・・
その途中に目標であるダミープラグが存在した。
弐号機は串刺しとなった量産機を地上に叩き付け、躊躇う事無くその身体を大剣で真っ二つに両断した。
「Erst。」
1機目を手際良く片付けたアスカが呟く。
「エステ?何それ?」
スナイパーライフルを手に装備の確認をしていたレイが率直な疑問を口にした。
ドイツ語で1つの意味合いを持つこの言語もレイにしてみれば聞きなれない摩訶不思議な言葉に過ぎない。
「るさい!いちいちツッコミ入れるんじゃないわよ!」
怒鳴るアスカと怒られてしょぼくれてしまうレイ。
量産機との戦いはすでに始まっているも同然なのにこの有り様・・・第二発令所のミサトはすっかり頭を抱えてしまっていた。
「う、うわぁぁぁぁぁっ!」
初号機も別の量産機との戦闘に突入していた。
しかし、先程の弐号機との戦いとは違い、量産機は初号機の破壊ではなく捕獲に重点を置いた動きをしている様に見える。
攻撃こそしているものの、相手を倒そうという意思がまるで感じられない。
だが、そんな手加減をして捕獲出来るほど初号機は甘く無かった。
「このおっ!」
大剣を大振りに振り回していた量産機の隙を見逃さず、
左脇に構えていた鞘からマゴロク・E・ソードを一気に抜き放つ。
それはさながら剣術における居合い抜きの動きだった。
戦意に欠けているとは言え、シンジもずっと訓練を受け続けてきたEVA専属パイロットの内の1人。
マゴロク・E・ソードの剣閃は弐号機の攻撃同様、確実にダミープラグを捉えていた。
ズシイィィィィン!
糸の切れた人形の様に量産機は仰向けに崩れ落ちる。
ダミープラグを失ったためか、再起動も再生も行われる気配は全く無い。
戦闘開始からものの5分も経たずに彼らはEVAシリーズを2機撃破、残るは5機となった。
「すっごぉい!シンちゃん、頑張れ〜!」
初号機と弐号機からやや離れた場所で手をブンブン振って声援を送るレイの零号機。
応援された当のシンジは少し照れくさそうに頬を赤らめている。
一方、私には何も無しかよ・・・と、心中穏やかではないアスカ。別にレイに褒められたいワケでも無いのだが・・・やっぱり面白くない。
「アンタもさっさと仕事しなさいよ!
それから・・・その白ウナギ!そいつも遊ばせてないで何かさせなさいっての!」
「え〜と・・・何かって言われても・・・・・・それじゃ、突撃ぃ!」
何かしろと言われても、13号機を制御しているレイ自身にその自覚が無いのではどうにもならない。
だが、とりあえず思いつく行動を13号機に示し・・・対象は彼女の想いに応えた。
零号機の直上で羽を羽ばたかせていた13号機は行動を一変、同じく上空を飛んでいるかつての仲間に対し突撃を開始した。
13号機とそれに反撃するEVAシリーズの内の1機・・・・彼らは上空で大剣同士をぶつけ鍔迫り合いを始める。その時
ダンッ!ダンッ!
13号機が相手をしていた量産機の胴体に二つの穴が開いた。
それは、スナイパーライフルによる狙撃の痕であり、もちろんその攻撃はレイによるものである。
「アスカちゃん!今だよ!」
ふいに響くレイの声。シンジやアスカ、第二発令所の面々にはきちんと聞こえる声だが・・・
彼女の声は肝心の13号機にも届いているのだろうか・・・?
だが、そんな疑問を振り払うかの様に13号機はレイの声に反応。手にしていた大剣を的確に目標の肩口から脇腹へかけて振り下ろす。
両断された量産機は地上へと墜落・・・ジオフロントに広がる森の一角に無造作に激突した。
「ナイスだよ!アスカちゃん!」
レイの声に反応した13号機が微妙に頷いた・・・様に見えた。
13号機はそのまま地上に転がる量産機の身体に剣を突き立て完全に止めを刺す。
一方、他の量産機と大剣をぶつけ合いながら、味方であるレイに確かな殺意を覚えるアスカ。
シンジはシンジですでに2機目を撃破。戦い方はちゃんと身体が覚えているらしい。
程なくして、アスカも対峙していた量産機の破壊に成功・・・EVAシリーズは2機を残すのみとなった。
「フン、歯ごたえが無いわね。」
量産機の返り血を浴びた弐号機、そのエントリープラグでアスカが呟く。
かつて、9対1の彼我兵力差でEVAシリーズと互角以上に渡り合った彼女にしてみれば
慢心とも受け取れかねないこの言葉にも説得力がある。
「シンちゃん、気をつけて!そっちを狙ってるよ!」
主戦場からやや離れた位置にいる零号機には、図らずとも現在の戦況が手に取るように分かる。
2機のみとなり、数の上でも劣勢に立たされたEVAシリーズは再び上空へ飛翔。
一定の高度から地上の様子を伺っている。そして・・・
ドスッ!ドスッ!
2機の量産機は大剣を二股の槍の形状へと変化させ、上空から初号機を貫くべく攻撃を開始した。
「くうっ!」
寸での所で敵の攻撃をかわす初号機。
量産機の執ったその戦術は、シンジの頭上の死角を利用しており、確かに一理ある行動の様にも思えたが・・・
すでに数に勝るレイ達からしてみれば、彼らの行動は単に隙を作っただけに過ぎなかった。
「えい!」
ガギィィィン!
零号機のスナイパーライフルによる牽制に続き、さらなる上空から奇襲をかける13号機。
13号機の攻撃をとっさに防ぐ2機の量産機だったが、スピードの乗った突撃の勢いを受け止める事は出来ず、
それぞれバランスを崩し地上へと墜落していった。そして・・・
「うおぉぉぉぉぉっ!」
「こんのぉぉぉぉっ!」
地上で待ち構えていた初号機と弐号機が落下してきた量産機を確実に仕留めた。
初号機の攻撃はマゴロク・E・ソードによる居合い斬り、弐号機は大剣をそのまま叩きつけるという豪快なものである。
ダミープラグも完全に破壊され、残っていたEVAシリーズ2機は双方共にその機能を停止させた。
「EVAシリーズ、全て沈黙しました!」
第二発令所の青葉二尉が明るい声を上げる。
その報告を証明するかのように、ジオフロントに散らばるEVAシリーズは物言わぬ肉塊と化していた。
「終わったわね・・・。みんな、お疲れ様。」
第二発令所のミサトが激戦を戦い抜いた3人+1機に労いの言葉をかける。
短い言葉だが・・・その心は十分に伝わっているだろう。
「今度こそ本当に大丈夫なんでしょうね・・・?」
疑心暗鬼気味のアスカの一言。
前回、倒したはずのEVAシリーズが再起動したという経緯があるため、彼女が疑いを持つのも当然と言える。
「大丈夫よ。今度は何の動きも見せてないから。」
とは伊吹二尉。安堵したその声は幾分嬉しそうなものだった。
「そ。んじゃさっさと回収してもらえない?いい加減に疲れたし。」
帰る気満々のアスカ。
彼女の弐号機はさっきまで手にしていた大剣もすでに捨ててしまっていた。
態度にこそ示さないが、最初から戦闘に参加していた彼女の疲労はかなりのものだったのだ。
「ちょっと待って。あんた達はその場で待機。もうしばらくはそのままにしてて。」
アスカにとっては意外すぎるミサトの指示。
「えぇぇぇ〜っ!」
「ど・・・、どうしてなんですか?もうEVAシリーズは・・・」
あからさまに嫌そうな声を上げるアスカ。
また、彼女だけではなくシンジもミサトの指示に疑問を持った様だ。率直な疑問を口にしている。
「ん〜とね。これから日本政府と交渉しようかと思うんだけど・・・
ほら、ネルフ本部ん中にも周りにもまだ戦自の連中がいるのよ。
だから、あんた達はそのままの状態で待機して・・・適当に睨みでも効かせといて。」
確かにミサトの言葉通り戦自の部隊はネルフ本部を包囲しており、部隊の一部はネルフ本部内にも侵入している。
また、A801が発令されている今の状況では、例えEVAシリーズを殲滅したとはいっても
彼らの安全が約束されているワケでは無いのだ。
「イヤよ!なんで私らが大人の都合に振り回されなきゃなんないのよ!」
「そう言わないで。
あんた達にそうしててもらないと交渉しようにも出来ないものなんだから。ま、私達なりの砲艦外交ってトコかしらね。」
文句を言うアスカにやんわりと受け応えをするミサト。
交渉と言うのは双方にとって落としどころを探すもの・・・ネルフ側にとっての優位点がEVAの存在である以上
それらを利用して交渉に臨む以外に、生き残る術は無いのかもしれない。そんな時・・・
「綾波?どうしたの?元気無いみたいだけど・・・」
ずっと黙ったままのレイの様子が気になったのか、シンジが心配そうに声をかける。
「う、うん・・・。ちょっとね・・・。」
いつになく気の無い声で返すレイ。
下を向き、うつむき加減の彼女からはいつもの元気が感じられない。
「あのさ・・・、お腹すいたとか・・・言わないよね?」
シンジの脳裏には以前の光景が蘇っていた。
第五使徒を倒した後でレイを救出した時のあの一言・・・
もう少し違う言葉が来るのかと思っていただけに、あの時は本当に脱力してしまった。
「う・・・、なんで分かったの?シンちゃんって超能力者?」
涙目でモニター越しにシンジの方を見るレイ。
予想を裏切らない彼女の言葉に、やっぱり・・・とシンジは呆れ顔でため息をついた。
「アンタが引き篭もってたのが悪いんでしょうが。自業自得よ。」
そのやりとりを横で聞いていたアスカも同様、全力でため息をつく。
考えてみればレイはここしばらく食事をしていた形跡が無い。
餓死するんじゃないかと思うくらい絶食していたのだから、空腹であっても当然なのだが・・・
「葛城三佐ぁ・・・。」
ポロポロと涙を流し、第二発令所のミサトに訴えかけるレイ。
その眼は早く上がらせて、早くご飯食べさせてと言っているかの様だ。
そして、そんな彼女にミサトも少し引いている。
「しょ・・・しょーがないわね。レイは上がって良いわよ。」
ミサトの言葉を聞いてレイはホッとした様な表情に変わる。
レイが先に上がる事に憤りを隠さないアスカと、そんなアスカをなだめるシンジ。
一方、動きらしい動きも見せず、ただ佇んでいるだけのアスカちゃん・・・もとい、EVA13号機。
「んじゃ・・・あたし、先に上がるね。後、よろしく。」
アスカに対しては燃料を注ぐ一言でもあるが、
一応、貧乏くじを引かされる羽目となった同僚に声をかけてその場から立ち去るレイの零号機。
程なくして、零号機を乗せたエレベーターはネルフ本部のケイジへと降りていった。
零号機から降りたレイは、1人ネルフ本部の通路を当て所なく歩いていた。
その足取りは重く・・・今にも倒れてしまいかねない程フラフラとしている。
「あぅっ・・・」
EVAシリーズと戦う前に感じた頭痛がかなり酷くなってきていた。
さっきシンジに尋ねられた時は、お腹がすいたからとは言ったものの・・・、
空腹も確かに、今の彼女の不調の原因のひとつではあるのだが・・・本当の理由は頭痛にあったのだ。
風邪をひいた時の様な感じとは何かが違う痛み・・・
何がヘンなのかは分からないが・・・何かがおかしかった。
「あたし・・・どうしちゃったんだろ・・・。」
あまりのつらさにレイは歩くのも止めてしまう。
通路の壁に手をかけ・・・、
寄りかかるようにして立っているものの、それすらもやっとという様な状況である。
「はぁ・・・はぁ・・・。」
だんだん息も荒くなってきた・・・。
医務室に行った方が良いのかもしれないが・・・正直、医務室に行ったところでどうにかなるのかも分からない。
人とは生まれの違う自分・・・
そんな自分がこの身体をこれまで維持出来たのはリツコのサポートによるところが大きかったのだ。
しかし、頼るべき彼女はすでにこの世にはいない・・・。
もっとも・・・、仮に生きていたとしても自分を助けてくれただろうか・・・?
「あ・・・ぅ・・・頭が・・・痛いよ・・・・。」
床に膝を付き必死に耐えるレイだが、頭痛は収まるどころかさらに悪化し続けている。
痛みのせいか段々と意識が遠のいていく・・・。
気がついたレイが見たのは、
さっきまで自分が居たはずのネルフ本部の通路ではなく、
一面に広がるオレンジ色をした水面が延々と広がっている空間だった。
水面の上は真っ白い空間でそれ以外は何も見えない・・・・・そこが何なのか、何処なのかも分からない。
初めて見る光景・・・。
いや、どこかで見た事がある。だが・・・どこで・・・・・?
「ここって・・・?確か・・・」
そう・・・、これは第16使徒から精神と身体を侵食されていた時に見た光景そのものであった。
確か・・・前はそこに自分の姿を模した使徒が居たのだが・・・
今回、向かい正面に立っているのは4〜5歳くらいの幼女。
彼女の頭髪は自分と同じ特徴的な蒼・・・また、濃い赤をしたボタン締めのワンピースを着ている。
顔の上半分は髪の影に隠れてしまっていて、レイからはその表情をうかがい知る事は出来ない。
― かえりましょ ―
目の前の幼女がレイに語りかけてきた。
耳に聞こえる声ではなく直接頭の中に入ってくる感覚で・・・その声は確かに聞こえてきた。
「帰るって・・・?それにあなたは誰?」
思わずレイが幼女に聞き返す。
その子の特徴は自分によく似ているのだが、レイには心当たりなど無い。
幼い頃の自分かとも思ったが・・・何か違う気がする。
― あなたは私・・・、私はあなた・・・、私たちはかえらなきゃいけないの・・・ ―
そう言うと、彼女は歩く事無くレイの方へと近づき始めた。
その動きにレイも反射的に後ずさる。
空中に浮かびながらゆっくりと近づいてくる幼女は
やや下向き加減に俯いており、どんな顔でこちらを見ているのかすら分からない。
「わかんないよ・・・!誰なの?」
オレンジ色の水面の上を後ずさり、なんとか距離を開けつつ幼女に聞き返すレイ。
状況は分からないものの・・・何か嫌な予感がする。
一歩さがるたびに波紋が周囲に広がっていく・・・。
― 逃げちゃ駄目・・・、あなたにもやらなくちゃいけない事があるんだから・・・ ―
親しげに語りかけてくる幼女だが、その声に親しみはまるで感じられない。
「ダメ・・・!来ないで!」
彼女から発せられる不気味な圧力に押し潰されそうになりながらも、レイはなんとか距離を取ろうとする。
距離を取ったところで逃げられるかどうかは分からないが・・・そうせずにはいられなかったのだ。
もう少し・・・、あの幼女からもう少し離れたら一気に駆け出そう・・・。
レイが頭の中でそう判断したその時・・・
「きゃあっ!」
突然、何かに足を取られ水面にしりもちをついてしまうレイ。
慌てて足元を見ると・・・
「な・・・なにこれ・・・!」
水面の下から現れた何か・・・人の手の様なモノにレイの両足首は完全に掴まれてしまっていた。
振りほどこうとしても華奢な彼女にそれが叶うはずも無く・・・・・
もはや、逃げるどころか立ち上がる事すらままならない。
「・・・う・・・くっ!・・・・っ!」
それでも必死に逃げようともがくレイ。
そんな時、ふと自分が手をついているオレンジ色の水面の下に
見覚えのある多数の人影が彼女の眼に飛び込んできた。オレンジ色の水面の奥に漂う見慣れたシルエット・・・
それらの人影も近づいて来たかと思うと、たくさんの腕が次々と自分に向かって伸びてきた。
「や・・・止めて!放してよ・・・!」
水面から現れた無数の手によりレイはがんじがらめにされてしまう。
四肢はおろか全身が拘束されてしまい、その身体はほぼ完全に自由が利かなくなってしまった。
かろうじて動かせる頭で周りを見回すレイ・・・。
自分の身体を捕らえている人影・・・それは、ダミープラントの中にあった自分と同じ姿をしたモノ達だった。
彼女達は屈託の無い笑顔を見せながらもレイの身体を離そうとはしない。
それがまるで彼女達の意思表示でもあるかの様に・・・
― さぁ・・・、かえりましょ・・・。 ―
宙に浮かんでいた先程の幼女がゆっくりと近づいてきた。
水面の上に仰向けになったレイからすると幼女を見上げる格好となる。
「・・・っ!」
彼女がこちらを見た事で・・・ようやくその表情が見えた。
こちらを見ているであろうその眼は髪の影に隠れてよく見えないが、その口には笑みを浮かべ・・・、
おおよそ4〜5歳の女の子には似つかわしくない禍々しい顔をしている。
「う・・・、あ・・・あなた・・・、何をするつもり・・・なの?」
努めて気丈に振舞ったつもりだが、言い知れぬ恐怖にレイの声は震えていた。
一方、その幼女はクスクスと笑いながらレイに語りかけてくる。
― この世界をやり直すの・・・。リセットして・・・最初から・・・。 ―
「・・・っ!」
再び気が付いたレイが見たのはターミナルドグマの最深部だった。
リツコに撃たれ・・・碇司令と別れた場所・・・。
いつの間にここへ来たのだろう・・・?
それに・・・さっきのは夢・・・?
そう思いたかったが、そのかすかな希望はあっけなく打ち砕かれた。
― さぁ・・・、始めましょ・・・。 ―
再び幼女の声が頭に聞こえてきた。
彼女の姿はどこにも見えないが・・・確かにはっきりと聞こえた。
レイの前には七つ眼の仮面を付けた白い巨人が赤い十字架に磔にされている。
それに気が付いた瞬間、彼女の意思とは裏腹に自分の身体が宙へと浮かび上がり・・・
白い巨人へと引き寄せられ始めた。
「やだ・・・止めて!」
レイ自身の身体のはずなのに自分の意思はまるで無視されてしまっている。
さっきの拘束された感覚が現実の事であるかのように・・・まるで動かせない。
その間も、白い巨人の身体は確実に近づいてくる。
「司令・・・アスカ・・・・・シンちゃ―――」
何かを言おうとしたレイだったが、その言葉を最後まで終わらせる事は出来なかった。
白い巨人に引き寄せられたレイは、巨人の胸部から突き出した白い身体に包み込まれ・・・
その身体の中へと消えていった。
ネルフ本部の第二発令所、
その慌しさは先程までと変わらないが、作業を行う職員達の表情は少し違っていた。
「まさか、戦自の方から停戦を申し入れてくるとはねぇ〜。」
誰に言うとも無く呟くミサト。
彼女の言葉通り・・・つい先程、戦自側からネルフに対し停戦交渉をする用意があるとの呼びかけがあったのだ。
ミサトも自分から戦闘の停止を呼びかけようと思っていただけに、
彼らから提案してくるとは意外だった。
「あちらもこれ以上戦力を消耗させたく無いのでしょう。うちにはアレがありますから。」
そんなミサトに日向二尉が相槌気味に返事をする。
だが、交渉の申し入れというのも無理も無い話なのかもしれない。
戦自側としても、新たな師団を投入して力押しで制圧するという選択肢もあるのだろうが・・・さらなる被害を被るのはまず間違いない。
なぜなら、日向二尉の言うアレが戦闘態勢のままジオフロントに待機しているからだ。
「ところでシンちゃん達の様子はどう?」
「パイロット両名の状態に問題はありません。長時間の戦闘による疲労はありますが・・・」
ミサトの問いに伊吹二尉が答える。
もっとも、アスカはずっと文句を言いつつブーたれているのだが。
また、EVA13号機は特に変わった動きも見せず、大剣を握り猫背のまま・・・ただ立っているだけだった。
「さーて、そろそろ時間ね。それじゃ交渉に行ってくるわ。あと、よろしくね。」
とはミサトの言葉。
交渉はネルフ本部の第三層で行われる予定であり、そのためのセッティングはすでに終了していた。
後は交渉役となる人間がその場に赴くだけである。
だが、ミサトを見送った日向二尉が自身のモニターに眼を戻した瞬間、その表情が一瞬にして緊迫したものへと変わった。そして・・・
「か、葛城三佐!ターミナルドグマに高エネルギー反応!分析パターン青!」
「なんですって!まさか使徒?」
日向二尉の唐突な叫びにミサトは一瞬状況が理解出来なかった。
すでに全ての使徒を倒したはずなのだから、新たな使徒が来るはずは無い。
今回の戦自の襲撃やEVAシリーズの投入も、全ての使徒を倒したからこその彼らの行動なのだから・・・
「違います!人間です!」
そんなミサトの思案を吹き飛ばす日向二尉の報告。
そして、日向二尉がその言葉を終える前に、第二発令所の主モニター付近に巨大な白い人影が現れた。
「これは・・・!」
眼に映る異様な人影に驚きの声を上げるミサト。
第二発令所の下から床や壁をすり抜けるようにして現れた、人間の女性の姿の様な巨大な物体。
大きさこそ違うものの、無造作に短く切られた頭髪らしきものやその華奢な身体付きから・・・彼らには1人の少女が思い出された。
「青葉君!レイの現在位置は?」
「特定出来ません!最終位置は・・・ターミナルドグマです!」
青葉二尉の報告にミサトは言葉を失う。
彼女達のやりとりをよそに、その巨大な人影は第二発令所の天井をすり抜けそのまま上へと昇っていってしまった。
ミサトも全てを知っているわけでは無いが・・・先程まで目の前にいた巨大な人影の正体はすぐに見当がついた。
「ったく、いつまでこうしてなきゃなんないのよ〜!」
愚痴るアスカ。彼女は戦闘が終わってからというものずっとこの調子である。
特に、レイが先に上がった後から輪をかけて酷くなってきた。
「しょうがないよ・・・。ミサトさんがこうしててくれって言うんだし・・・。」
と、アスカにフォローを入れるシンジ。
そんな事を言っても何の意味も無いという事は分かっているのだが、彼女を放置しておいても何も良い事は無いのだ。
今の彼にベストな選択など無く、ベターな方法があるだけ・・・
「そーやって、他人の言う事をホイホイ聞いてるだけなら楽よね!
あーもう!大体、なんでファーストだけ先に上がれんのよ!重役出勤してきたかと思ったら自分だけ早退なんて笑えないっての!」
と、EVA13号機を弐号機で羽交い絞めにしつつ、アスカはありったけの不満を口にする。
不満のはけ口にされてしまった13号機は必死にもがいているが、今抜け出すのは非常に困難だろう。
シンジは、自分がアスカの八つ当たりの対象にならなかった事に安堵しつつ、彼女と13号機のやりとりを苦笑気味に眺めている。
状況はまだ安心出来るものではないが、いつになく和やかな時間が流れていた。そんな時
「シンジ君!アスカ!よく聞いて!」
第二発令所から聞こえてきたミサトの声。
さっきまでやりとりしていた時はいつもの調子だったのに、今回の声は非常に切迫していた。
「いきなりなによ?まさか戦自と何かあったとか?」
アスカは思いついた事をそのまま口にする。
ネルフ本部でこれから交渉するという事は彼女も知っており、その交渉のために自分達はジオフロントで待機させられているのだ。
EVAシリーズはすでに殲滅しているため、何かあるとすれば戦自がらみの事だろう・・・。
アスカはそう判断したのだが・・・
「違うの!今そっちに―――」
「な、なんだ?あれ・・・?」
ミサトの声とシンジの呟きがアスカの耳に同時に聞こえてきた。
シンジの方を振り向こうとした時、異様な白い物体が彼女の眼に映る。
ジオフロントの地面から猫背気味に現れた巨大なそれは、彼女達にとってもよく見覚えのあるものだ。
「綾波・・・レイ?」
アスカの言葉を代弁したのはシンジである。
両手を広げて空中に浮かぶその姿は、大きさこそ違えど・・・彼らのよく知っている綾波レイそのものだった。
だが、口元に薄笑みを浮かべたその表情は酷く歪んでいた。
いつものレイからは考えられないほどに・・・
「シンジ君!アスカ!これより目標を第二使徒リリスと識別するわ!目標の殲滅、急いで!」
「せ、殲滅って・・・?あれ、ファーストじゃないの?
そういえばファーストはどこへいったのよ!」
ミサトの命令に思わず聞き返すアスカ。
先に上がったはずのレイ・・・だが、その姿をしたモノが今、自分達の眼の前にいる。
どうしてかは分からないが、アスカにも・・・そしてシンジにも、ある種の嫌な予感が浮かんでいた。
「レイは・・・行方不明よ。
それよりも・・・・・このままリリスを放っておくわけにはいかないの。目標の殲滅・・・いいわね?」
ミサトの冷徹な命令にアスカは何か言おうとするが・・・、
彼女の声が感情を押し殺したモノであると分かったため、それ以上何も言えなくなってしまった。
しかし、行動をすぐに起こせるほどアスカも物事を割り切って考えられるわけではない。
「う、うわあぁぁぁぁっ!」
唐突に聞こえたシンジの叫び。
いつの間にか、リリスが初号機を左右から包み込むように手をかざし、そのまま同機を自身の胸元へと浮かばせてしまった。
「っの馬鹿!何度拉致られりゃ気が済むのよ!」
攻撃しようと構えるアスカの弐号機だったが、今の装備は大剣・・・宙に浮かぶリリスにはその剣も届かない。
「っ!!」
攻めあぐねているアスカが周囲を見渡すと、
ネルフ本部の周辺施設から多数の砲弾やミサイルがリリスに向かっていくのが見えた。
おそらく、ミサトが生き残っていた施設を用いて総攻撃をかけているのだろう。
だが、リリスの周囲には強力なATフィールドが展開され・・・それらの攻撃は完全に無駄なものとして終わった。
ドオォォォォォン!
そして次の瞬間、リリスが一瞥を加えただけで
先程攻撃をかけていた施設の全てが大音響とともに押し潰される様にして破壊されてしまった。
その攻撃は、直接的なものでも光線や加粒子砲の様なものでもなく・・・
「まさか、ATフィールド・・・?あんなの相手に・・・どう戦えってのよ。」
先程のリリスの攻撃は、アスカが戦自との戦いで偶然使ったATフィールドによるものと同じ方法だと思われる。
だが、リリスの放ったATフィールドのその出力はあまりにも桁違いだった。
まともに喰らえば弐号機と言えどもただでは済まないだろう。
どうする事も出来ず、大剣を手に佇むアスカの弐号機をよそに、リリスは初号機と共に悠然と空へと昇っていってしまう。
「これを使えば・・・もしかしたら・・・!」
アスカは自分が手にしていた大剣の特性に気が付いた。
先程、EVAシリーズ相手に孤軍奮闘していた時・・・
確か、投げつけられた大剣が二股の槍へと変化し、弐号機の展開したATフィールドをもいとも簡単に突き破ったはず。
どう、使えば良いのかは分からないが・・・今の彼女が出来るのは・・・
「うおぉぉぉぉぉっ!」
アスカの弐号機は大剣を構えると、両手を使い全力で投げつけた。
これまでの投擲対象とは比較にならない大きさのリリス相手なら、ネルフ本部にサポートを要請するまでも無い。
かなりの重量の大剣なのだが・・・どういうわけか、投げた時にそれほどの重さは感じられなかった。
大剣はすでに二股の槍へと変化し、そのままリリスへ向かって上昇中。
一方のリリスも槍の接近に気付いたのか・・・面倒そうに槍に対してその視線を向ける。
カキィィィィィン!
リリスの視線の先に展開されるATフィールド。
当然ながら、相転移空間を肉眼で確認できるほど強力なものだ。
だが・・・今、リリスのATフィールドに接触している槍は弐号機のATフィールドを突き破った実績がある。
今回も二股の槍はATフィールドを貫こうとしていた。だが・・・
「そ、そんなっ・・・!」
予想を裏切られて言葉を失うアスカ。
弐号機が投げつけた槍はリリスの展開したATフィールドにはじき返されてしまった。
行き先を失った槍はクルクルと回転しながら落下。
大剣へとその姿を戻し、そのまま力無くジオフロントに広がる森林の一角に突き刺さった。
「っ!」
ふいに何かを感じ、急いでその場を離れるアスカの弐号機。
次の瞬間、さっきまで弐号機が居た場所が不自然にゆがみ始め・・・その周囲に在ったもの全てが粉々に圧壊されてしまった。
これもおそらく、リリスのATフィールドによる攻撃だろう。
その圧倒的な力の前にはコピーされたロンギヌスの槍の力も通用せず・・・
弐号機に、もはや打つ手は残されていなかった。
一方、リリスの力に制され、共に上空へと昇っている初号機。
そのエントリープラグ内でシンジは必死に初号機を動かそうとしていた。
シンジの眼の前には、彼のよく知る姿をした・・・それでいて初めて見る白い物体があり、
その歪んだ顔は、先程から変わらない薄笑みを浮かべたまま、自分の方を興味深そうに眺めている。
「くそぉ・・・!動け動け動け!動け!動いてよ!」
シンジはEVAのコントロールレバーを動かすが、初号機はまるで反応を示さない。
シンクロこそ維持しているものの初号機の機能は完全に停止・・・
いや、まるで別の何かに制御されている様な・・・不自然な状態だった。
「シンジ君!そっちに何かが高速で接近中だ!」
日向二尉の声がシンジの元に届く。
初号機を動かす事は出来なくとも、第二発令所とのやりとりはまだ出来るらしく、その事実はシンジを少なからず安心させた。
しかし、高速で接近する何かとは・・・?
シンジの眼に映るのは、太陽光が反射され紅く輝く長細い物体・・・それが高速でこちらに迫ってきている。
「くっ・・・!」
目前まで迫ったその紅い物体を前に、思わず眼を閉じるシンジ。
1秒・・・2秒と時間が経過するが、初号機にも自分にも何の異常も感じられない。
彼が恐る恐る眼を開けるとそこには・・・
「な・・・なんだよ、これ・・・?」
シンジの目の前に在ったのは紅く長い螺旋状の物体・・・
鈍く紅い光を放つその物体は、先端を初号機の喉元に突きつける形で空中に静止していた。
「うぅ・・・。」
うめき声と共に意識を取り戻すレイ。
しかし・・・今、自分がどこにいるのか・・・どうしてここに居るのか・・・さっぱり分からない。
重いまぶたをなんとか開けて、周囲を確認してみる・・・。
「あれ・・・?ここは・・・どこ・・・?」
彼女の前に広がっているのは、ただ真っ白いだけの世界。
見渡す限り白一色・・・それ以外には何も見えない空間がどこまでも続いていた。
一体どれだけ気を失っていたのか・・・?いや、気を失っていたのかどうかすら分からない。
自分の身に何が起きたのか・・・レイは出来るだけ冷静に思い出そうとする。その時・・・
― 目が覚めた? ―
レイの耳に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
頭の中に直接届いているかの様にハッキリ聞こえる女の子の声・・・気が付けば1人の幼女が眼前に立っている。
その姿を眼にしたレイの脳裏に先程の記憶が一気に蘇ってきた。
「あ、あなたは・・・!」
レイは思わずその場から逃げ出そうとするが、それは叶わなかった。
見ると、自分の肩から下が白い壁の様なモノに完全に埋め込まれてしまっていて、自由が効くのは頭だけ・・・
もはや逃げる事はおろか、指一本すら動かす事が出来なくなってしまっていたのだ。
― 必要なモノは揃ったわ・・・。後は・・・始めるだけ。 ―
赤いワンピースを着た幼女は意味有り気な表情でレイに笑いかけている。
だが、その笑顔は決して好意的なモノではない。
「始めるって何が・・・?全然分かんないよ!」
恐怖に押し潰されそうになるのを必死に堪えながら、レイは幼女に聞き返す。
まるで叫んでいるみたいに大きな声を出してしまったが、そうでもしなければ聞き返すことすら出来なかっただろう。
正直、向かい合っているだけでも恐怖を感じるくらいなのだ。
その容姿とは大きくかけ離れた力を秘めているであろう幼女・・・、彼女はレイの問いに静かに答える。
― 素晴らしい事よ・・・、貴方には特等席で見せてあげる・・・。 ―
その声に反応し、幼女の背後にある光景が映し出された。
青い空に白い雲・・・下の方には緑の森林が広がるジオフロントの一部も見える・・・。
そして、光景の中心には初号機、そしてその喉元に突きつけられているロンギヌスの槍の姿が。
「シ、シンちゃん・・・?な・・・なに?あなた、なにをしてるの・・・?」
レイは状況が分からず不安げに尋ねる。
聞いた所でまともな返事が返ってくるとは思えないが・・・それでも聞かずにはいられなかった。
― 彼の欠けた心で世界を悲しみに包んでもらうの・・・。そうすれば・・・あなたも彼と1つになれる。 ―
幼女の声に呼応したロンギヌスの槍がその矛先を初号機の喉元から胸部へと変更した。
動きはゆっくりとしたものだが、確実に初号機を貫かんと進み始めている。
「ダメ・・・!ダメだよ!止めて!」
その光景を眼に、たまらず悲鳴の様な声を上げるレイ。
唯一自由の効く首を横に振りながら、懇願するかの様に必死に叫んでいる。
― ダメ・・・?碇君と1つになりたくないの?これは貴方が望んだ事なのよ? ―
一方、幼女はレイの意見を聞くつもりなどさらさら無いらしい。
クスクスと笑いながら・・・まるでこの状況を愉しんでいるかのようだ。
その間も槍は空中を突き進み、あと少しで初号機に接触してしまうところまで達している。
「あ・・・あ・・・・・」
レイには幼女が何をしているのか・・・何をするつもりなのかは分からない。
だが、このままではシンジの身に危険が及ぶ事だけは直感として理解出来た。
それなのに自分には何も出来ない。助けに行く事すら叶わない。自分の無力さを嫌でも自覚させられてしまう。
「ダメ・・・!シンちゃんが・・・止めてよ・・・!」
溢れる涙を拭う事も出来ず・・・ただ眼から涙を零しながら悲痛な声で訴えるレイ。
だが、そんな彼女の想いも空しく、無常にも槍は初号機の胸部に突き刺さろうとしている。
幼女が止めとばかりに一瞥を加えようとした、その時
「ダメぇぇぇぇぇーっ!」
「綾・・・波・・・・・?」
シンジの耳にレイの声が聞こえた様な気がした。
それと同時に初号機とロンギヌスの槍を拘束していた力が消え去り、両者は地球の重力に引かれ落下を始める。
彼が上空を見上げると、そこには以前と変わらず空中に静止しているリリスの姿が。
だが・・・先程までとは違い、その顔は・・・彼がよく知る少女の顔そのものだ。
哀しそうにシンジの方を見る赤い眼、そしてその唇が僅かに動くのが見える。その時
ガシッ!
「!!」
落下していく初号機を受け止めたのはEVA13号機だった。
いつの間にか、初号機の元へと駆けつけてくれていたらしい。
また、その手には同時に落下していたはずのロンギヌスの槍も携えられている。
そして、EVA13号機はシンジの初号機を抱えたまま降下を開始した。まるで上空のリリスから逃げるかの様に・・・
「・・・・・。」
降下しながら、呆然と上空のリリスを見上げるシンジ。
遠ざかっていく中、リリスから聞こえてきた小さな声が彼の脳裏に思い出される・・・。
「殺・・・して・・・。」
レイの声でリリスが発した小さな声・・・その呟きがシンジの耳から離れる事は無かった。
「初号機、地表部に到達。弐号機はケイジに回収、これより作業を開始します。」
現状報告する日向二尉、ネルフ本部では新たな作戦に向けて着々と準備が進められていた。
第二発令所でも所員が慌しくそれぞれの作業を行っている。
「葛城三佐、第三層の戦自側から現状を確認したいとの要請がありますが・・・」
報告を受けた青葉二尉がミサトに報告する。
本来なら、ネルフの今後を賭けた戦自との交渉がとっくに始まっているはずなのだが、
リリスが覚醒し、その対応に追われてしまったため、そういった話はどこかへいってしまったのだ。
「ふぅ・・・。今はそんなことやってる場合じゃないんだけど・・・。要請してきてるのはあっちの隊長さん?
う〜ん・・・、仕方ないから、ここへ通しちゃって。」
「え・・・?ここへ・・・ですか?」
意外なミサトの言葉に思わず日向二尉が聞き返す。
いくら戦闘を停止しているとは言え、先程まで交戦していた相手である。
第二発令所に彼らを通してしまうというのは、ネルフ本部を明け渡してしまうも同然なのだ。
「口で説明するより直接見てもらった方が分かりやすいでしょ。
ほら、百聞は一見に如かずって言うじゃない?
それに、この現状を見てそれでもネルフ本部の接収を進めようなんて考えるほど、あちらさんも馬鹿じゃないわよ。」
と、日向二尉の心配をよそにあっけらかんと答えるミサト。
程なくして、戦自の現場指揮官とおぼしき口髭を生やした無骨な印象の男が数人の部下とともに第二発令所に現れた。
「はじめまして。特務機関ネルフ、作戦課の葛城ミサトです。」
すぐさま真面目な表情に変わり来訪者を出迎えるミサト。
一応、表面的には和やかに接しているが、先程まで生死のやりとりをしていた相手でもある。
彼女の心中には含むものが数多くあるのだろう。
もっとも、それは戦自側の指揮官も同じ事で、数多くの部下の命を失っているのはミサトだけではなく彼らも一緒なのだ。
「約束の時間はとっくに過ぎているが・・・どういう事なのか説明して頂きたい。」
濃い紺色の戦闘服に身を固めた戦自の指揮官がミサトに尋ねる。
「現在、ネルフでは滞空している目標に対し、殲滅作戦の準備を遂行中です。
遺憾ながら、あなた方との交渉は作戦完遂後に改めて行うという事で了承して頂きたいのです。」
淡々とした口調で話すミサトに対し、戦自の指揮官は憮然とした表情を崩そうとしない。
口に出すまでも無く、ミサトの出した提案には不満が隠せない様だ。
「我々には無理して交渉を行う理由は無い。そちらの出方如何では、直接制圧を続けても良いのだぞ?」
「ご自由に。ですが、このまま目標を放置しておけば、
遅かれ早かれサードインパクトが引き起こされ全人類は滅亡するでしょう。その事実をあなた方が知らないとは思えませんが。」
戦自指揮官のブラフに対し、口調は丁寧ながらもミサトは一歩も退かない。
もっとも、交渉材料の点ではどちらかと言えばネルフの方に分があるため、戦自の指揮官にはそれ以上高圧的に出る事も難しい。
全体的な戦力としては戦自が上回っているものの、EVAには対してはどう足掻いても勝算が無いのだ。
それに、ミサトの言葉通り・・・現在の状況が認識出来ないほど、彼らも現実が見えていないワケでは無い。
「・・・それで、我々に何か要請したい事でもあるのかね?」
戦自の指揮官がミサトに聞き返す。
これまで何も口に出さなかったミサトだが、第二発令所に自分達を呼び寄せた彼女の真意は感じ取っていたらしい。
その声に、ミサトは日向二尉に眼で合図を送る。
「目標はATフィールドを直接攻撃に転用する力を有しているものと推察されます。
現在はどうやら、攻撃を加えた対象にそのまま報復するという形を取っている模様です。
ATフィールドの破壊力はミサイル施設を瞬時に粉々にしてしまう程のもので、EVAと言えど直撃を受ければ安全とは言えません。」
「目標の身体に従来の使徒に見られたコアは確認されていません。
もちろん体内にある可能性も捨て切れませんが・・・MAGIは判断を保留しています。」
「目標は現在、高度12000mにて滞空中。依然、沈黙を守っています。」
日向二尉、伊吹二尉、青葉二尉が続け様にミサト達に現状を報告する。
まるで戦自側の人間に忙しさをアピールしている様にも見えるが・・・実際、猫の手も借りたいくらいなのだからどうしようも無い。
「お聞きになった通り、目標はATフィールドを利用して攻撃を行います。
こちらから迂闊に攻撃をしても反撃に遭うだけで効果が無い事も既に実証済みです。
これに対抗するには、現存するEVAによる近接攻撃しかありません。」
ミサトの説明を戦自の指揮官はただ黙って聞いている。
眼を閉じたまま・・・何かを考えている様だが、何を考えているのかは本人にしか分からない。
「EVAの目標への接近を成功させる為には支援火力による援護が不可欠なのですが・・・
先の戦闘でネルフ本部の攻撃力はほぼ全て失われてしまっているのが現状です。
稼動する施設を総動員したとしても十分な弾幕を張ることは出来ません。」
とはミサトの言葉。
先の戦闘とは、リリスがジオフロントに出現した直後の攻撃の事を指しているのだろう。
「・・・つまり、我々に支援砲爆撃をして欲しい・・・と。そういう事か?あの白いヤツに通常兵器での攻撃が通用するとは思えんが。」
ミサトの考えを理解したらしく、戦自指揮官は自分の中で考えをまとめた様だ。
その上で導き出された結論、そして疑問を口にする。
「これまで採取されたデータにより、目標は視認により攻撃対象を選別しているものと考えられます。
支援の目的はEVAの援護ですので、目標の眼を晦ませる事が出来れば目的は達成されます。その為の援護をお願いしたいのです。
もっとも、今回のあなた方への要請に関して正式な書類はありませんが。」
と、一応の説明を終えたミサトは、さっきまでの真剣な表情を一転させ人懐っこい笑顔を見せる。
そんな彼女の姿に毒気を抜かれたのか、やや呆れた様な態度でため息を付く戦自指揮官。
「私の権限で許されているのは作戦の遂行とネルフとの交渉に関する事までだ。
残念ながら協力までは許可されていない。」
そう言うと、戦自指揮官はミサトに背を向けてしまった。
彼はそれまで微動だにしていなかった後ろの部下達に何かを指示。どうやら、何かの機械を準備させている様だが・・・
「・・・私だ。ネルフとの交渉は決裂、連中は切り札を持ち出してきた。」
どうやら戦自の指揮官はどこかと連絡を取っているらしい。
専用回線を使っているらしく、ミサトにはそれが何処へ向けてのものなのかは見当もつかないが・・・
今はとりあえず、彼の様子を注視するのみである。
「そっちのレーダーにも芦ノ湖上空のデカブツが映っているだろう?・・・ああ、そいつだ。
我々はそいつに対し総攻撃を行う。だから、そっちからも弾道弾で支援してもらいたい。・・・・・なに、時間?」
戦自の指揮官がミサトの方に眼を向けた。
一方、瞬時に状況を理解したミサトは両手を使って、彼の問いに対し的確に合図を送る。
「総攻撃の開始は14:00だ。その時間に弾着するよう調整してありったけ撃ちこんで来い。
・・・座標?そんなもの無くても当たるくらい大きいヤツだ。
間違っても味方の上に落とすんじゃないぞ。」
戦自指揮官はそこまで言い終えるとさっさと受話器を置いてしまった。
言い方こそ違えど、どうやらミサトの要請に応えてくれたらしい。
御協力に感謝します。と礼を述べるミサトに対し
「これ以上、我々がここに居る理由もあるまい。現場に戻らせてもらう。
今後に関する交渉は後日改めて行おう。」
それだけ言うと、戦自指揮官は部下を引き連れて第二発令所から出ていってしまった。
日の光が照りつける地上で待機していた初号機と13号機、そして非常用バッテリーを装着し再び地上に現れた弐号機。
初号機にはオリジナル、弐号機と13号機にはコピーのロンギヌスの槍がすでに装備されている。
「シンジ君、アスカ、作戦の説明をするわ。よく聞いて。」
ジオフロントに立つ3機のEVAに対し作戦説明を始めるミサト。
今回の作戦は、上空のリリスの殲滅が目的である。
第一段階として戦自の協力による長距離弾道弾、およびネルフ周辺施設からの攻撃により目標周辺に弾幕を展開。
第二段階は支援射撃中に接近させたEVA3機で目標が展開するであろうATフィールドを一点突破。
第三段階でリリスを直接攻撃、目標を殲滅するというものだ。
「・・・と。まぁ、こんなところね。質問はあるかしら?」
「大ありよ!大体、なんで私達のEVAであいつのATフィールドを突破出来るって分かるのよ!」
作戦説明を終えたミサトに対し、アスカがいつも通り不満を述べる。
だが、確かにアスカの言う事にも一理ある。
今回の目標はロンギヌスの槍をはじき返すほどのATフィールドを展開出来る相手である。
いくらEVAと言えど、リリスのATフィールドを突破出来るという保障は何処にも無いのだ。
「これが一番可能性の高い方法なの。
EVAで目標のATフィールドを中和しつつ、ロンギヌスの槍で突破を図る・・・これ以外に方法は無いわ。」
アスカはまだ不満を持っている様だが、他に方法が無い事くらい彼女も分かっている。
文句を言いながらも不承不承、一応納得したらしいが・・・
「ところでさ・・・。ファーストってまだ見つかんないの?」
突然、別の話を切り出すアスカ。
先に上がったはずのレイが行方不明になっているというのは既に聞いていたのだが・・・
しばらく時間が経っているのに、ミサトから何の話も出てこないので不審に思っていたのだ。
「ごめんなさい。レイは・・・まだ捕捉出来ていないの。」
いつに無く力の無いミサトの言葉に、そう・・・と、アスカは気の無い返事で返す。
作戦開始まで間はあるものの双方とも口を開く事無く・・・、
ほんの少しの時間だが場が沈黙に支配されてしまった。そんな時・・・
「ミサトさん・・・。あの、綾波の声が聞こえたんです・・・。あそこから・・・
綾波は多分・・・あそこに居るんだと思います。」
ずっと黙ったままだったシンジが小さな声で話し始めた。
彼の言うあそことは、当然空中に静止しているリリスの事だろう。
だが、シンジの言葉を聞くまでも無く・・・アスカもミサトも薄々そんな気はしていた。
白く巨大で初めて見る敵とは言え、リリスの姿形は綾波レイそのものなのだ。
それでもこれまでその事に触れようとしなかったのは、根拠がなかったからでもあり・・・その事実を認めたくなかったからでもある。
「僕・・・、綾波を助けたいんです。
これまでずっと綾波に助けられてばっかりで・・・、だから・・・・・」
「シンジ君。仮にレイがリリスの中に居るとして・・・
そこから助け出すって言うのは、目標の殲滅より難しい事なのよ。」
自分の意見を述べるシンジに対し、ミサトは真剣な顔でやや冷徹ともとれる現実を口にする。
確かに、彼女の言うとおり・・・現状でも目標を撃破出来るかどうか分からないのに、
さらに困難な、救出という要素を絡めてしまっては作戦の遂行はさらに難しいものとなってしまうだろう。
一方のアスカはシンジとミサトのやりとりを黙って聞いている。
ミサトの言葉に一瞬ためらいの表情を見せるシンジだったが・・・
「お願いします!もう・・・嫌なんです!
トウジもカヲル君も助けられなかった・・・・・綾波まで失ったら・・・僕は・・・僕は・・・・・!」
中々言葉にならないながらも懸命に自分の意見を言うシンジ。
「分かったわ。シンジ君。」
それに対し、ミサトの返事は意外すぎるほど短いものだった。
だが、彼女の表情はさっきまでとは変わり、やや嬉しそうにも見える。
「シンジ君、アスカ。作戦第一段階の変更はもう出来ないけど―――」
と、先程の作戦を修正してその内容を2人に伝えるミサト。
その内容にシンジは静かに頷き・・・一方のアスカも軽口は叩いているもののやる気は十分の様だ。
「ところで、この作戦の要はアスカちゃんなんだけど・・・大丈夫かしら?」
「アスカちゃん言うな!こんなの白ウナギで十分でしょ!」
今さらながら、今回の作戦における一番の不確定要素に関する不安を口にするミサト。
そんな彼女に対し、すっかり名前の定着してしまったEVA13号機の呼称に不満ありありのアスカがツッコミを入れる。
正直なところ、今回の作戦にはEVA13号機の飛行能力が必要不可欠であり、
ミサトの思惑通りに動いてもらわないと作戦の根幹に関わってしまうのだが・・・
「あ・・・、大丈夫だと思いますよ。アスカ・・・ちゃんって僕達の言う事、ちゃんと分かってくれてるみたいだし・・・」
「ちょっと!馬鹿シンジまで何を言い出すのよ!つーか、頷くな!白ウナギ!」
珍しく楽観的な意見をいうシンジとそれに頷く13号機に怒鳴るアスカ。
この後、大事な決戦を控えているのだが・・・
気負いや緊張が無くなったという点ではこれもプラス要素と言えるのかもしれない。
リリスの体内で・・・白い空間に映し出された青空を眺める幼女。
さっきまで手中にあった初号機とロンギヌスの槍はすでに彼女の手を離れ落下してしまっていた。
ロンギヌスの槍で初号機を貫こうとしていたあの時・・・、
あのまま何事も無かったら・・・おそらく彼女の思うとおりの状況になっていたのだろう。
― 貴方も困った人ね・・・。せっかく碇君の望む世界で全てを1つにしてあげようと思ったのに・・・。 ―
「・・・・・。」
幼女の言葉に対し、彼女の思惑を頓挫させた張本人であるレイはずっと黙って俯いている。
彼女は白い壁の様なモノに肩まで埋め込まれた状態のまま・・・
何かを聞こうとするわけでもなく、逃げようとするのでもなく、全てを諦めてしまったかの様にまるで動こうとしない。
一方の幼女は、その顔にずっと変わらぬ薄笑みを浮かべている・・・。
邪魔をされたというのにその状況すら愉しんでいるかの様だ。
― まぁ、いいわ。アレはただの余興。私達さえ居ればそれで十分なんだから・・・。 ―
そう言うと、幼女はふわりと浮かび上がりレイの目の前までやってきた。
その光景にレイは一瞬ハッとした表情を見せたが、幼女を見まいとすぐに顔をそむけてしまう。
唇をキュッとかみ締め・・・眼の前に在る恐怖に必死に耐えているのだろう。
― どうして私を見てくれないの?私はあなたなのに・・・。 ―
クスクスと笑いかけながらレイに話しかける幼女。
相変わらず意味深な事を言っているが・・・その本意や意図がどこにあるのかは飄々として掴ませない。
― でも・・・それで良いの。私にそうしてくれている様に、この世界もそうやって拒絶してくれれば・・・それで十分なんだから。 ―
「世界を・・・拒絶って?」
幼女の意味ありげな言葉に、レイは思わず聞き返す。
一方、ようやくレイが反応を見せた事に、幼女は嬉しそうな表情を覗かせている。
― 言ったでしょ?貴方にもやらなきゃならない事があるって・・・。 ―
「っ!」
途端にレイを襲う激しい頭痛。ネルフ本部の時に感じた痛みより、さらに酷く頭に響いてくる。
まるで、直接刃物を突き立てられている様な鋭い痛み・・・
「あ・・・うぁ・・・・痛いよ・・・・痛い・・・・。」
身体の自由がほとんど失われてしまっているため、レイは手で頭を抑える事すら出来ない。
唯一、自由に動かせる頭を横に振り、襲い掛かる痛みを必死に堪えている。
― それは頭が痛いんじゃない・・・。その痛みは貴方が閉じ込めておいた心の痛み・・・。 ―
「分からない・・・何の話か分からないよ・・・。」
首を振り、誰に言うとも無く呟くレイ。気を抜けば一瞬にして意識を失ってしまうだろう。
一方、そんなレイを満足そうに眺めながら幼女は言葉を続ける。
― さぁ・・・心を解き放って・・・。 ―
その幼女の声は届いたのだろうか・・・。
気丈に耐えるもレイの精神は限界に達し・・・彼女の意識は再び暗闇に落ちていった。
「あれ・・・?あたし・・・・・あれ?」
ガコンガコンという工事を続ける重機の音に眼を覚ますレイ。
見回してみると・・・そこは、いつもと変わらない自分のマンションの一室だった。
「え〜と・・・、あれ?・・・・・なんだっけ?」
何か大事な事があった気がするがさっぱり思い出せない。
「あ・・・そうだ!学校学校!えと・・・時間は・・・?」
ひとしきり頭を捻っていたレイだったがすぐさま我に返る。
時計を見ると、いつも家を出る時間はとっくに過ぎていた。
「うわ!遅刻しちゃう!急がなきゃ!」
ベッドから飛び起き身支度を整え始めるレイ。
ブラウスに袖を通しスカートを穿き・・・キョロキョロと眼で周りを探してみるが、どういうワケか鞄が見当たらないのだ。
もしかしたら、学校に置きっ放しなのかもしれないが・・・いまいち思い出せない。
「う〜ん・・・、ま、いっか。」
と、思い出すのをあっさり止めてしまうレイ。
実際問題、のんびり思い出している時間は無いし遅刻する訳にもいかない。
支度もそこそこにレイは慌しくマンションを後にした。
いつもの通学路、見慣れた街の風景・・・だが、何かいつもと違う気がする。
「おはよ〜!」
学校も近くになるとクラスメイトの姿も増えてきた。
いつも通り大きな声で挨拶をするのだが、どういうわけか声をかけても返事がまったく返ってこない。
誰に声をかけても同じ・・・無視されるような心当たりは無いし、これまでそんな事は一度も無かった。
どうしたんだろ・・・?と訝しげに思うレイだが、考えてみてもさっぱり分からない。
「あ、アスカ、ヒカリ・・・!おはよ!」
学校の下駄箱でアスカとヒカリを見つけ声をかけるレイだったが、2人からの反応も無い。
これまで出会ったクラスメイト同様に無視・・・
いや、レイの存在にすら気付いていなかった様にも見える。
彼女達は楽しそうにおしゃべりしながら学校の中へと行ってしまった。
「・・・どうしちゃったんだろ。」
学校の廊下を歩きながら考えるレイだが・・・やはり心当たりが無い。
段々、足取りも重くなってきている・・・。
これじゃいけないと思い直し、レイが改めて2−Aの教室に入ろうとしたその時
「あ、綾波。おはよう。」
声をかけてきたのはシンジだった。
彼のそばには紺色のジャージを来た少年とメガネをかけた少年が一緒にいる。
「シンちゃん!おはよ〜!あのさ―――」
何かとても大事な事を忘れている様な気もするが、ようやく声をかけられ嬉しさ一杯のレイ。
彼女は元気に話しかけようとするが・・・
「え・・・?」
突然、自分の背後から現れたありえない人影にレイは言葉を失った。
現れたのは、自分と同じ蒼い髪に透き通る様な白い肌・・・そして特徴的な赤い眼をした同い年くらいの少女。
身体的な特徴だけではなく、着ている制服の着こなし方まで全てが一緒なのだ。彼女が手にしている学生鞄も自分と同じもの・・・
違うと言えば表情くらいのもので、その少女はシンジに声を賭けられてもほぼ無表情のままである。
「・・・おはよう。」
少女はそっけない態度で挨拶するとさっさと教室に入っていってしまった。
さっき、シンジが声をかけたのは自分に対してではなく、その少女に対してのものだったのだろうか・・・?
でも、彼は確かに綾波と言ったはず・・・
「綾波って、あたしの事じゃないの・・・・・?」
レイがあれこれ考えている間に、シンジはジャージ姿の少年に小突かれつつ教室へと入っていこうとしている。
彼を引きとめようと、レイは思わず彼の肩に手を伸ばすが・・・
「そ、そんな・・・!」
伸ばした自分の手が彼の身体をすり抜けてしまい驚愕するレイ。
状況か分からず、レイは自分の身体を触ってみるが何も異常は無い。
その間にシンジ達は何事も無かったかの様に教室へと入っていってしまった。
呆然と立ち尽くすレイの事は気にもかけずに・・・
「なに・・・、これ・・・?」
廊下から教室の中を覗いたレイは自分の眼を疑う。
先程の自分とよく似た少女が自分の席に座っており、自分の居場所がどこにも無いのだ。
手を伸ばせばすぐに届くはず、得られるはずの日常・・・
しかし、今のレイには決して届かない。
― これはもう1つの世界の姿・・・、数ある可能性のうちの1つよ。 ―
ふいに聞こえる幼女の声。
振り向くとそこには、赤いワンピース姿の幼女がさも当然の様に立っている。
そして、彼女の姿を見て、レイは自分が眼にしているこの光景が現実では無い事を知った。
― ほら、あなたが居なくても世界はちゃんと動いてる・・・。 ―
確かにレイの眼にも、普通の日常が過ぎていく光景が見える。
そっけない態度ながらもシンジやアスカと会話をするレイの姿に違和感は無い。まるでそれが当たり前であるかの様に・・・
レイの眼に映る青髪の少女は綾波レイそのものであるが・・・、それは決して自分では無い。
― 分かった?必要とされているのは、綾波レイとしてのあなたじゃなく、綾波レイそのものなのよ・・・。 ―
「これ・・・あなたがやったの?元に戻してよ!戻して!」
この世界が虚構である事を知ったレイは幼女に向かって叫ぶ。彼女は幼女の言葉を聞くつもりは毛頭無い様だ。
次の瞬間には周囲の光景は消え去り、再び真っ白い世界へと戻ってしまった。
― なら、現実に戻してあげる・・・。でも、この現実にあなたの存在理由ってあるのかしら・・・? ―
「え?」
あまりに唐突な幼女の言葉。
自分の存在理由・・・?EVAに乗る事・・・?使徒と戦う事・・・?碇司令の目的のため・・・?
いくつか理由は思い浮かぶが口からは中々出てこない。
― もう使徒は現れない・・・。碇司令も居ない・・・。あなたがこの世界に必要とされる理由って何? ―
自分の心の内を読んでいるかの様な幼女の問いかけに対し、
レイは返す言葉が見つからない。
「分からないよ・・・。でも、碇司令はあたしの事・・・」
自分の事を娘と言ってくれた人・・・。だが、彼はもうこの世界には居ない。
その現実をレイは改めて自覚する・・・。
スカートのポケットに入っている眼鏡の感触・・・それは、レイに彼の死を再認識させるには十分だった。
― でも、彼はもう居ない・・・。それに、彼が死んだのはあなたのせいなのよ・・・。 ―
「っ!・・・そんな!だってあれは・・・!」
予想外の幼女の言葉・・・、それ聞いたレイの心臓の鼓動が一気に早まった。
胸に手を当て、平静を保とうとするも・・・鼓動の激しさが収まる事は無い。
そんなレイをよそに幼女は再び周囲の光景を変化させている。
「ここは・・・?」
レイの眼に映るのはオレンジ色の水槽と天井からぶら下がっているパイプ群・・・
彼女にとって、この光景はあまり気分の良いものではない。
そして、その光景の中心には白衣を来た1人の女性の姿が在った。力なく立っているだけの彼女に生気は感じられない。
「赤木・・・博士・・・・・?」
― 彼女はダミープラントを破壊して・・・最後は碇司令もろとも死のうとした・・・。彼女がどうしてそんな行動をとったのか分かる? ―
そんな事を言われてもレイには見当がつかない。
ターミナルドグマで銃を突きつけられるまで、リツコが自分にあの様な感情を抱いていたとは知らなかったのだ。
ダミープラントにシンジやミサトを連れてきた時ですら、何かの間違いかと思っていたくらいなのだから・・・
― 彼女は貴方の代わりに詰問を受けたの・・・。ゼーレという組織の人達に呼び出されてね・・・。 ―
初めて聞く幼女の話にレイは何も言う事が出来ない。
― 冷静な彼女をあそこまで駆り立てたんだから、相当酷い事をされたんでしょうね・・・。本当はあなたがそうなるはずだったのに。 ―
「そんな・・・!どうしてあたしが呼び出されなきゃならないの?」
クスクスと笑いながら話す幼女に聞き返すレイ。
ゼーレという組織については碇司令と冬月副司令の会話を聞いた事もあり、全く知らない訳では無かったが・・・
それでもレイには縁の無い話のはずである。だが・・・
― 貴方はロンギヌスの槍を勝手に持ち出した・・・。呼び出されるには十分よ。 ―
幼女が言っているのは第15使徒の来襲時の話である。
衛星軌道上の目標を撃破するため・・・アスカを救うためにレイが独断で槍を使ってしまった戦い・・・
特別な槍だとは知っていたが、使徒を倒す為に使ったのだから問題があるはず無い。
少なくとも、レイはそう考えていたし、何か問題があるなら碇司令が止めたはずである。しかし・・・
― 碇司令にとっては大丈夫でも、ゼーレにとっては問題があったのよ。それに、第3新東京市消失の原因を作ったのも貴方だしね。 ―
レイの心を見透かしたかの様に幼女は冷ややかに言い放つ。
第3新東京市の消失とは第16使徒が来襲した時の話だろう。3機のEVAで交戦し、最終的には目標が自爆してしまったが・・・
確かに、第3新東京市消失の直接的なきっかけはレイが作っていたのだ。
「あ・・・あ・・・・・」
幼女の言葉に耐え切れず、レイの身体は震え始めている。
両手で自分の両腕を抑えるようにして必死に堪えてはいるが・・・
― そして、貴方は・・・結果的に彼等を殺してしまった。 ―
「止めて・・・!そんな話、聞きたくない!」
止めとばかりに言い放たれた幼女の言葉にレイはしゃがみこんで両手で耳を塞いでしまう。
頭に直接響く声なのだから、そんな事で聞こえなくなるわけは無いのだが・・・そうせずにはいられなかったのだ。
― そんな事をしても無駄よ・・・。事実は変わらないわ。 ―
幼女はしゃがみこんでいるレイのそばに近寄り、彼女の顔を覗き込む様にして語りかけている。
いつの間にか周囲の光景は白一色に戻ってしまっていたが、レイにはそれを認識出来るほどの余裕は無い。
― 碇君がこの事実を知ったら・・・どう思うかしら?お父さんとの会話・・・喜んでいたわよね? ―
「っ!」
もはや言葉を返す事も出来ず、両耳を押さえながら首を振るだけとなってしまったレイ。
そんな彼女の様子を幼女は満足げに眺めている。
― そういえば・・・、碇君にとっての貴方って・・・それほど重要な存在なのかしら? ―
畳み掛けてくる幼女の問いかけ・・・、聞きたくなくてもレイの頭の中に直接入り込んでくる声。
分かりたくないのに、その言葉の意味を瞬時に理解してしまう・・・。
― 惣流さんの時は彼女を一生懸命探していたのに・・・、貴方が塞ぎこんでいた時には一度も来てくれなかった・・・。 ―
シンジがレイの見舞いに行かなかったのにはの彼なりの考えがあっての事だったのだが・・・
幼女は自分の目的の為なら全てを利用するつもりだ。
シンジの意図を省き、事実を歪曲してレイに思い出させている。
いくらレイでも、普段の精神状態ならこのくらいの小細工はすぐに見抜く事が出来たのだろうが・・・今回は事情が違う。
「あ・・・、や・・・やめて・・よぉ・・・・・。」
― 寂しいんでしょう?心が痛いんでしょう?だから・・・、満たされたいんでしょう? ―
これまでとはうって変わって誘惑するかの様な幼女の言葉。
その声にレイはピクンと身体を反応させる。
― 他の人達との絆が欲しいのよね?今より、もっと・・・もっと・・・・・ ―
レイを覗き込む幼女の顔は慈愛の表情に溢れている。
偶然、見上げたレイの眼に映った幼女のその表情に対し・・・もはや抵抗する力を失っていた。
「そう・・・、だって・・・・・あたしには・・・何も無いんだもん・・・・・・。何かしなきゃ・・・誰もあたしを見てくれない・・・・・。」
レイはこれまで心の内に閉じ込めていた思いを語り始めた。
友達や知り合いをたくさん作ろうとしたのも・・・誰に対しても訳隔てなく面倒見が良かったのも・・・
それらはもちろんレイの心からの行動ではあったのだが、
何も無い自分に、他者との絆が欲しかったからというのが一番の理由だったのだ。
「でも・・・もう、駄目だよ・・・。
あたし・・・要らないんだもん・・・・。居ても居なくなくても・・・・・何も変わらないんだもん。」
レイの言葉通り、これまで信じていた絆はすでに無い・・・。
自分ではあると思っていても向こうがどう思っているかが分からず、不安で自信が持てない・・・。
実際はそうではなくても、先程の幻覚や幼女の言葉に惑わされており、レイは他者とのつながりが失われたものと思い込んでいるのだ。
「あぁ・・・どうしよう・・・、あたしのせいで碇司令と赤木博士が・・・鈴原君だって・・・!
どうしよう・・・!あたし・・・・どうすれば・・・・!」
レイは完全に情緒不安定になり、彼らの死すらも自分のせいにしてしまっていた。
彼女の精神は限界ギリギリまで追い込まれている。
― 大丈夫・・・。今の貴方にも出来る事はある・・・。世界を元に戻せるの・・・。 ―
そんな中、レイの頭を優しく包み込む様にして語りかける幼女。
「あ・・・、う・・・うぅ・・・・・うわぁぁぁぁぁ!」
涙をボロボロと流していたレイは幼女に縋り付く様にして大声で泣き出してしまった。
限界まで追い込まれていたレイにとっては、
彼女を追い詰めた張本人である幼女の提案であろうと、自分に出来る事があるなら・・・自分が必要とされるのなら・・・
虚構であっても、それを一筋の希望と受け取ってしまうのも無理は無い。
一方、幼女は優しい声をかけながらレイの頭をゆっくりと撫でている。しかし・・・
(フフ・・・、これで全ては整ったわね・・・・・。)
幼女が心の中で呟く・・・。
すると、次の瞬間にはさっきまで浮かべていた優しい表情は何処にも無くなり、元の薄笑みを浮かべた禍々しい顔へと戻ってしまった。
そして・・・レイは幼女の変貌に気付く事無く、その身を彼女に委ねていた。
「シンジ君、アスカ、時間よ。準備はいいわね?」
第二発令所の主モニターに映るシンジとアスカ。
すでに戦自の各基地からは長距離弾道弾が発射され、その軌道もネルフ本部ではすでに捕捉している。
リリスへの着弾は戦自の指揮官が要請したとおり・・・14:00に命中するものと推察された。
現在の時刻は13:50、高度12000mのリリスへ到達するまでの時間も加味する必要もあるので、
直接攻撃を行う彼らは弾道弾の着弾以前に行動を起こさなければならない。
「アスカ、活動限界には気をつけて。無理するんじゃないわよ。」
「分かってるっての。」
ミサトが珍しくアスカに対する気遣いを見せる。
これまではこういった言葉は彼女の神経を逆撫でするだけだったのだが・・・アスカは意外にも素直に返答した。
「シンジ君・・・、チャンスは一度よ。この作戦はあなたの行動に全てが掛かっているの。頑張ってね。」
「・・・・・。」
今度はシンジに激励の言葉を送るミサト。
S2機関を搭載・・・そして、ミサトの指示が正確に届く初号機こそが今作戦の主軸を成すのだ。
シンジは言葉にこそ出さないが・・・決意の程は、その真剣な表情から見て取れる。
「シンジ君、アスカ・・・アスカちゃんも・・・必ず生きて帰ってくるのよ。」
「ファーストを連れて・・・でしょ?」
2人+1機に対するミサトの言葉に対し、アスカが軽口を叩く様な口調で返答する。
そう・・・彼らはリリスの殲滅だけではなくレイの救出もこなさなければならないのだ。
だが、任務の遂行がさらに困難になってしまったというのにどういう訳か彼らに不安の表情は無い。
あるいはすでに達観してしまっているのかもしれないが・・・。
「日向君、上空のリリスは?」
「依然、変化無し。目標は沈黙を守って・・・・・・待ってください、これは・・・!」
ミサトが何気なく聞いたリリスの現状。
だが、報告の途中で日向二尉の口調が緊迫したものへと変わった。
主モニターに映し出されているリリスは先程までまるで動いていなかったのだが、
猫背気味に前屈みになったかと思った次の瞬間、背中から無数の羽根の様なモノを展開させ始めたのだ。
しかも、姿形だけが変わったというだけでも無い。
「目標よりアンチATフィールドの発生を確認!出力が増大していきます!」
「なんですって!」
日向二尉の報告に驚きの声を上げるミサト。
彼女の脳裏に、今後起こりえるかもしれない最悪のシナリオが想像される。
「まずいです!このままでは個体生命の形を維持出来なくなります!」
続けて聞こえてくる青葉二尉の声。彼からの報告はミサトの想像を裏切らなかった。
「アンチATフィールドが臨界に達するまでの時間は!?」
「これまでの経緯から、あと5分で臨界に達するものと推察されます!」
ミサトの問いにすぐさま返答する日向二尉。
ミサトの手元には即興で組み立てた作戦スケジュールと現有戦力を記したボードがあるのだが・・・
彼の返事と、手元のボードに記されている情報にミサトは唇をかみ締める。
「状況は最悪ね・・・。どうするか・・・。」
頭の中で現在の状況を再確認するミサト。
現在、ネルフ本部が有している対空迎撃システムの稼働率は5%にも満たない。
一方・・・リリスのATフィールドによる反撃は正確無比であり、
一度攻撃してしまえば、仮に残弾があったとしてもリリスの反撃を受け二度と使えなくなってしまうだろう。
また、十分な弾幕を展開するにはある程度の火力を集中させる必要があり、数回に分けて波状攻撃を行えるだけの余裕も無い。
つまり、今のネルフの戦力ではリリスの注意を引く事が出来たとしてもせいぜい1回きり・・・そこまでが限界なのだ。
おまけに、戦自の弾道弾が来るまで待っていられる時間も無い。
(迷っている暇は無い・・・か。)
もう時間は無い・・・。
これ以上の逡巡は自分達の生存率を落とすだけと判断したミサトは決断を下す。
「シンジ君、アスカ、出撃よ!至急、リリスへの接近を開始して!」
ミサトからの指示を受けた初号機と弐号機、
そして13号機は与えられた役目を果たすために行動を開始する。
「いまいち不安だけど・・・、落としたりすんじゃないわよ?」
EVA13号機に抱えられるようにして待機する弐号機の中で、やや疑心暗鬼気味ながらアスカが13号機に声をかける。
一方の初号機はおんぶする様に13号機の背後に回り、その背中にしがみつく。
2機のEVAを上空へと運ぶ役目を負った13号機は心配するなと言わんばかりに翼を大きく展開、
一度羽ばたかせた後で、その身体を宙に浮かばせた。
「多分、大丈夫だよ。アスカちゃんは信頼できると思う・・・。」
アスカの顔色を覗うように、自分の意見を口にするシンジ。
他人の顔色を気にする彼の性格はいつも通りだが、こうして自分の意見をちゃんと言うようになったのは1つの進歩と言えるだろう。
だが、自分の言った内容がアスカの神経を逆撫でしていた事までは気付いていない。
「うるわいわね!アンタに言われなくても分かってるわよ!」
「な、なんだよ!アスカを安心させるために言ったんじゃないか!そんな言い方ないだろ!」
予想を裏切らないアスカの怒鳴り声と、それが癇に障ったのかシンジも怒鳴り返す。
その2人のやりとりは当然、第二発令所にも届いており、ミサトの眼にも映っている。
「止めんか、2人とも!
・・・アスカ、そのアンビリカルケーブルの長さは3000mよ。高度2800でパージしなさい。」
「分かってるって言ってるでしょうが!」
ミサトの指示にもアスカは怒鳴り返す。
ちなみに、アスカの弐号機は活動時間を少しでも延ばすため、まだアンビリカルケーブルを付けたままなのだ。
その後ケーブルをパージした後は非常用バッテリーを使用。最終的には内部電源に頼るしかないのだが・・・
スケジュール通りに作戦が推移すれば十分間に合うはずである。
程なくして弐号機はアンビリカルケーブルをパージ。彼らを連れたEVA13号機はさらに上昇していく・・・。
「アンチATフィールド、出力の増大率が変化しました!臨界推定時間まで後1分!」
ミサトの耳に青葉二尉からの報告が入る。
それまでの計算では後2〜3分の余裕があったはずなのだが、新たに起こった変化がそれらの時間的余裕すら失わせてしまった。
「地対空戦闘開始!目標は高度12000mのリリス、頭部に集中攻撃!」
「了解!全ミサイル発射!弾着まであと25秒!」
報告を受けたミサトは迷う事なく命令を下した。
ミサイルの軌道をモニターする日向二尉正面の主モニターには上昇していくミサイルの映像が映し出されている。
「頼んだわよ・・・。シンジ君、アスカ・・・・・。」
これで、ミサトが直接使える兵装は全て使い果たしてしまった。
他に出来る事と言えば戦況そのものを見渡し、シンジやアスカに出来るだけ的確な指示を与える事のみ・・・。
後は・・・、上空へ昇っていった彼らに任せるしか無いのだ・・・。
羽根の様なモノを展開させ、ジオフロントの上空でアンチATフィールドを発生させ続けているリリス。
その体内で、幼女はネルフ本部の周辺施設から発射されたミサイルが自分達の方へ向かってくるのを見つけた。
これまでならATフィールドでその攻撃を防いでいたのだが、今回は様子が違う。
ATフィールドが展開されるべき空間には何も現れず・・・
ドドドドォォォン!
「う・・・あぁぁぁっ!」
リリスの身体に命中する多数のミサイル。
だが、その攻撃に、苦痛の声を上げたのはレイの方だった。
先程までの肉体的な拘束はすでに解かれているが、虚ろな表情で力無く立っているだけの状態・・・
そんな時に突然襲ったミサイルの直撃に、レイはリリスとシンクロでもしているかのように身をよじって痛みを堪えている。
「やだぁ・・・、どうして邪魔するのよぉ・・・?あたし・・・・・良い事しようとしてるのに・・・!」
― そうね。貴方は世界を救おうとしてるのに彼らは何も分かってない・・・。分かろうとしてくれない・・・。 ―
幼女にその精神を蝕まれ、正常な判断を下せなくなっているレイ。
それに対し傍らに立つ幼女はレイの顔を覗き込む様にして彼女に微笑みかけている。
― でも大丈夫・・・。私は貴方の事が分かってあげられる・・・。いつまでもそばにいてあげる・・・。 ―
「・・・うん。」
幼女の穏やかな囁きにレイは言葉少なに頷く事しかしようとしない。
そんなレイの様子に幼女は嬉しそうな表情を浮かべている。
先程のミサイルもレイの精神を追い詰めるための手段の1つとして、あえてその身に受けさせたのだ。
アンチATフィールドの臨界突破を遅延させる結果にはなってしまったが、彼女にとって時間的な余裕は十分過ぎるほどにある。
むしろ、レイをより自分の意のままに動かせる様になったという点から見れば、かなりのプラスと言える。
実際、彼女はレイの精神を掌握しつつあるのだ。
― ・・・・・ ―
幼女は何も言わずに地上の施設に視線を送る。
僅かな間をおき、先程ミサイルを放ったであろう施設の全てが灰燼と消え去ってしまった。
これでもう、ネルフ本部からの攻撃は無いだろう・・・。
以前の攻撃と合わせて、目に付く施設は全て破壊したのだから・・・。
― 来たわね・・・。 ―
そんな中、幼女の視界に入るEVAが3機・・・、
今となっては彼らなど取るに足らない存在となってしまったのだが・・・万が一という事もある。
(フフッ・・・、貴方にはさらなる絶望を贈ってあげるわ・・・。)
幼女が心の中で呟いたその言葉は誰に対してのものなのか・・・何を意味するのかは彼女にしか分からない。
リリスは彼女の意思に応える様に、向かってくるEVAに対し迎撃体勢を取り始めた。
EVA13号機によって抱えられた弐号機と背に乗る初号機。
高度は既に10000mに達しており、彼らの眼にも羽根を大きく広げたリリスの姿がハッキリと捉えられていた。
また、先程ネルフ本部から発射されたミサイルの着弾も確認している。
ATフィールドを防御に使わなかったリリスに対し、疑問を口にするシンジだったが・・・
「そんなの考えたって分かるわけないでしょ。んな事より、アンタはファーストを助ける事だけ考えてなさいっての。」
と、アスカから返ってくるのは何の実にもならない返事。
確かに、リリスの行動やその意味などは彼らが考えても分かるはずが無い。その時
「キャッ!」
エントリープラグの中で思わず悲鳴をあげるアスカ。
上昇していたはずの13号機が突然進路変更し、約90度の角度で方向転換したのである。
あまりに唐突な行動だったため、少し油断していたアスカは大きく揺さぶられてしまったのだ。
「ちょっと!いきなり何すんの―――」
アスカは途中まで言いかけたところで、
さっきまで自分達が居た空中にオレンジ色の楯の様なモノが展開されているのを確認する。
「ATフィールド・・・?」
疑問とも呟きとも取れる声を発するシンジ。
さっきの13号機の方向転換はアレを避けるための行動だったのだろう。
リリスのATフィールドによる攻撃を受けた場合どうなるのかは、ネルフ本部での出来事で実証済み。
とっさの13号機の行動で避ける事は出来たが・・・
「なんであんなにムキになって攻撃してくんのよ!」
彼らを追いかけるように展開されるATフィールドに対し、苛立ち叫ぶアスカ。
今はどうにか避ける事が出来ているが、どれだけ持ちこたえられるかは13号機任せなためさっぱり分からない。
何より、リリスに対し水平に避けているため、このままでは目標に接触する事すら出来ないのだ。
おまけに弐号機には活動限界という避けては通れない問題もある。
すでに非常用バッテリーの残量はごく僅かとなってしまっているのだ。
「おい!なんとかして接近しなさいよ!何か方法くらいあるでしょ?」
怒鳴りつけるアスカに対し、それが聞こえたのか首を横にふる13号機。
確かに今の状況では避けるのに精一杯でリリスへの接近など不可能に近い。
おまけに攻撃に使われているリリスのATフィールドは、
後を追うばかりではなく、彼らの未来位置を予測しそこに展開するまでになってきているのだ。
「もう無くなっちゃったか・・・。」
アスカの眼に映るモニターに活動限界までのカウントダウンが表示される。
弐号機の非常用バッテリーは尽き、無常にも内部電源へと切り替わってしまったのだ。
このままでは何もしないうちに活動限界を迎えかねない。そんな時・・・
「リリスからのアンチATフィールドが一時的に停止しているわ!
あなた達はリリスから距離を取って攻撃態勢を維持して。もうすぐ戦自の弾道弾がそっちにいくから!」
第二発令所からのミサトの指示。
どうしてアンチATフィールドが止まっているのかは分かりようも無いが・・・時間が確保出来たのは良い材料の1つではある。
程なくして、前線のシンジ達の眼にも上空から飛来する幾つもの光が飛び込んできた。
まるで空から落ちてくる流れ星の様にも見えるソレは、巨大なリリスへと命中するかの様に確実に落ちていく。しかし・・・
「え・・・?」
リリスが不敵に微笑った様に見え、思わず驚きの声を上げるシンジ。
次の瞬間、リリスは上を向きその方向に右手をかざす。そして・・・
ドドドドドドォォォォォォン!!
ATフィールドを攻撃に転用したリリスにより、弾道弾はその全てが彼女のはるか上空で破壊されてしまった。
破壊された弾道弾の破片が空しくリリスの周囲へ降り注ぎ、そのまま地上へと落ちていく・・・。
突入するための準備をしていたシンジ達だったが・・・ただ呆然とそれを眺めるしか無かった。
弾道弾の命中でリリスの注意を引く予定だったのが、それが全く出来なかったからだ。
「どーなってんのよ!これはぁ!」
活動限界が近いアスカが誰に言うとも無く怒鳴り散らす。
そんな中、リリスは再びシンジ達に攻撃を加えようと、視線を彼らに向ける・・・。
状況は正に絶体絶命となってしまった。その時
ドドドドオォォォォォン!
リリスの至近距離で突然起きる無数の爆発。
予想もしていなかった攻撃に不意を突かれたリリスが視線を下方に向けると、そこには・・・
「何をしているの!そこから逃げなさい!早く!」
リリス周辺で爆発が起きる少し前・・・
第二発令所で日向二尉のインカムに向かって叫んでいるのはミサトである。
弾道弾の攻撃が失敗に終わってしまったのは彼女にとっても予想外の出来事だったが、
それ以上に想像していなかった事態が起きていたのだ。
「デカブツへの総攻撃だというのに、地上の我々が何もしないというのはヘンな話だろう?」
先程の戦自指揮官らしき男性の低い声が返ってくる。
それと同時に、第二発令所の主モニターには、ネルフ本部を包囲する様に取り囲んでいた戦自の残存部隊から、
無数の対空ミサイルが上空のリリスへ撃ち出されるのが表示されていた。
戦自が撃ち出しているのは地対空ミサイルであり・・・元々の彼らの目的であったネルフ本部制圧には必要の無い兵装である。
ネルフがリリス殲滅作戦の準備を進めている間に彼らも準備を進めていたのだろうか・・・?
だが、今の問題はそこでは無い。
「上空のリリスは、自らを攻撃してきた対象にほぼ100%の報復攻撃を行ってきます!
このままではあなた達が危険なんです!」
ミサトの言うとおり・・・リリスはATフィールドで的確な反撃を行ってくる。
その攻撃でネルフ本部の迎撃システムはその機能の全てが失われてしまったのだ。
森林の陰に隠れ、出来るだけ見えにくいように展開している戦自の部隊とて、それは例外では無いはずである。
「戦場はどこも危険なものだ。我々に楽な仕事など無い。」
戦自の指揮官からの返事はまるで人事のような口ぶりだ。
本来ならリリスには手を出さない様、あらかじめ言い含めておくべきだったのだが・・・
今回、戦自が投入してきた戦力はあくまで対地攻撃用のものが中心であり、高度12000mのリリスには攻撃が届かないはずである。
ミサト自身、その事を知っていたからこそ、戦自が直接リリスに攻撃を仕掛けるなど夢にも思わなかったのだ。
しかもネルフの施設と違い、彼らが使用している地対空ミサイルの搬送や設置、管制などは有人で行う必要があり、
そのための人員もミサイル発射台周辺に配置されているはず・・・
リリスの反撃を受けてしまえば・・・ほぼ無防備な彼らはひとたまりも無いのだ。
「どうやらここまでの様だな。作戦の成功を祈―――」
通信はそこで途絶えてしまった。
ミサトが呼びかけてもそれっきり・・・何の応答も無い。
おそらく、リリスのATフィールドによる攻撃に遭ってしまったのだろう・・・。
主モニターにはジオフロントのあちこちで爆発が起きている光景が映し出されている。
その無残な光景をミサトは複雑な表情で見つめていたが・・・戦自の攻撃を無にするワケにはいかない。
「シンジ君!アスカ!今よ!」
ミサトはすぐさま上空で待機しているはずの彼らに指示を送った。
「シンジ!白ウナギ!作戦通りにいくわよ!」
ミサトの指示が届くか届かないか・・・
彼女の声が聞こえるのとほぼ同時にアスカが先陣を切って突撃を開始した。
下方に顔を向け完全に無防備となったリリス・・・
その頭部よりほんの少し上の高度から13号機に放り出してもらった弐号機はロンギヌスの槍のコピーを手に
目標目掛けて、その槍を突き立てようとしている。
「うおぉぉぉぉっ!」
ATフィールド全開で突撃する弐号機。だが、リリスも同機の接近にすぐに気が付いた様だ。
カキィィィン!
リリスは左手をかざしてATフィールドを展開。
弐号機の持つロンギヌスの槍が貫こうとするのを完全に防いでいる。
ATフィールドを中和しよう試みる弐号機だったが・・・出力が違いすぎるため、中和しきれていない。
カキィィィン!
ふいに何かを感じ、自身の背後に右手をかざしATフィールドを展開するリリス。
その先には弐号機と同様、ロンギヌスの槍を構えて突進している13号機の姿がある。
だが、2機同時に中和してもリリスのATフィールドを貫く事は出来ない。
バシィィィィッ!
その状況に、勝ち誇った様に口元に笑みを浮かべ、リリスはATフィールドをさらに増大、弐号機と13号機をいとも簡単に吹き飛ばした。
さらに、吹き飛ばした2体のEVAに向けてATフィールドで追い討ちをかける。
13号機は単独での飛翔能力があるため避ける事が出来たが、弐号機にはそれは不可能である。
リリスのATフィールドが弐号機に命中するかと思われたその時
「なめんじゃないわよぉぉぉっ!」
弐号機もリリス同様、攻撃に転換したATフィールドでリリスのATフィールドを迎え撃つ。
双方のATフィールドが展開され、オレンジ色の防壁が光を放ちながら空中で衝突した。
しかし、出力の違いから弐号機は完全に劣勢となってしまっている。
だが、危機的状況だと言うのに、アスカの表情に不安なものは感じられない。なぜなら・・・
「シンジ!今よ!」
ふいにアスカが叫ぶ。
その叫びが聞こえたのだろうか・・・?
リリスは周囲を見渡し確認しているが、初号機の姿は見つからない。
そういえば、先程弾き飛ばした13号機の背には乗っていなかった・・・。一体どこに・・・?
何者かの接近を感じ上を見上げるリリス。
そこには他のEVA同様、ロンギヌスの槍を手に降下してくる初号機の姿があった。
「!!」
しかし、初号機は太陽を背に突撃しており、その眩しさにリリスの眼は一瞬眩んでしまう。
ほんの僅かな時間だったが・・・それが彼女にとって明暗を分けた。
「綾波ぃぃぃぃぃーっ!」
レイの名を呼びつつ突撃するシンジ。
ATフィールド全開でさらに自重もプラスさせた初号機の突撃に対し、リリスもATフィールドを展開して防御したが・・・
「!!」
初めて見せるリリスの驚きの表情。
初号機はリリスのATフィールドをいとも簡単に突き破り、そのままリリスの肩口から内部へと突入していった。
オリジナルのロンギヌスの槍の力なのか・・・?それともリリスのATフィールドの展開が間に合わなかっただけなのか・・・?
とにかく、彼らの作戦はこれで成功したも同然である。
「あとはアンタ次第よ・・・。馬鹿シンジ。」
一方、その光景を見届けたところで弐号機は活動限界を迎えた。
エントリープラグ内のモニターも消え、周囲の光景は闇へと変わってしまった。
アスカにはそれ以上どうする事も出来ず・・・ただ、地球の重力に引かれ落下していくしか無かったのだが・・・
ガシィッ!
突然、弐号機を襲う衝撃。
いや、衝撃と言うよりは何かに持ち上げられている様な・・・
自分の身に何が起きたのか・・・弐号機の機能は完全に停止しているが何となく察しはついた。
「ったく、助けてなんて頼んでないってのに・・・」
エントリープラグの中で呆れ気味に呟くアスカ。
落下していく弐号機を受け止めた13号機はそのまま地上へと降りていった。
上空のリリスの状態はジオフロント地下の第二発令所でも確認されていた。
初号機突入後、アンチATフィールドの発生はそれ以上の増加が止まっているのだ。
もっとも、臨界寸前まで展開されていたアンチATフィールドはいまだ消えていないため、予断を許さない状況ではある。
「弐号機回収、パイロットの救出を急いで!」
ミサトの声が第二発令所に響き渡る。
戦いは一応の目処がついたが、まだやる事は沢山あるのだ。
「葛城三佐、戦自隊員の救助作業は順調に進んでいます。ですが・・・」
日向二尉が報告するがその声はいつになく暗い。
彼の言うとおり、ジオフロントでは先の戦闘で傷付いた戦自隊員の救助作業が行われているのだ。
戦自独自で救助作業を行おうにも指揮系統が混乱している現状ではそれもままならず・・・
何より、一番近くにいるのは他ならぬネルフなのだ。
それがさも当然であるかのように、生存者の救出を命令したミサトだったが・・・
「分かってるわよ。人間、そうそう物事を割り切れるモンじゃないものね・・・。」
ミサトの内心は複雑である。
いくら協力してくれたとは言え、戦自は先程まで交戦していた相手でもある。
彼らの手で殺されてしまったネルフ職員の数は決して少なくない。
人命尊重は理解出来ても、リリスのATフィールドによる攻撃で発生した負傷者・・・戦自隊員の救助は
ネルフの職員にとって気分の良いものではないのだ。
「それでも彼らがいなかったら、今の私達は無かったかもしれないのよ。
気持ちは分かるけど・・・任務はきっちり遂行させなさい。」
「・・・了解しました。」
ミサトの命令に素直に従う日向二尉。
一方、司令塔の最上部に位置する冬月副司令は、指揮をミサトに任せ1人考え事に耽っていた。
今はずっと主モニターに映し出されたリリスを見つめたままだ。
「人の未来は彼らに委ねられた・・・か。」
誰に言うとも無く呟く冬月副司令。
主モニターに映るリリスはその身を空中に浮かべ・・・ただ、佇んでいるままだった。
リリスの体内に侵入したはずのシンジ・・・。
その体内がどうなっているかなど想像も出来なかったのだが・・・
それでも、今見ている光景は彼の予想には無かったものだ。
「ここは・・・?綾波の部屋・・・?」
シンジの目の前にあったのは、彼が幾度か訪れた事のあるレイの部屋だった。
壁はコンクリート剥き出しで床にはゴミが散らばっている・・・
そういえばばEVAに乗っていたはずなのに、いつの間に降りてしまったのだろう・・・?
着ているのはプラグスーツだから・・・EVAに乗っていたのは現実のはずだ。
「・・・!」
だが、それより気になったのは部屋の隅で膝を抱えて座っている人影の存在である。
シンジに背を向けて座っているその人影はシンジのよく知る学校の制服を着ており・・・その小さな肩は時たま震えていた。
「綾波・・・、綾波なんだろ・・・?」
あまり自信が無い様なシンジの問いかけ。
しかし、シンジに背を向ける人影は何の反応も示さない。
だが、短めに無造作に切られた感のある蒼い髪は間違いなくレイのものだ。
目の前の人物がレイである事を確信したシンジが彼女に近づこうとしたその時
「来ないで!」
レイが発した拒絶の声・・・、その声にシンジはその歩みを止める。
今までのシンジならそこで止まったまま、レイの様子を伺うなり立ち去るなりしたのだろうが・・・
「綾波・・・、みんな・・・心配してるよ。帰ろう?」
シンジはそう言いながらレイに近づいていく。その足取りは実にしっかりとしたものだ。
「ダメ!来ないで!
あたし・・・シンちゃんにそんな事言ってもらえる資格なんかない!
あたし・・・・あたしは・・・・・!」
頭を両手で抑えて必死に叫ぶレイ・・・。
シンジはもしかしたら彼女のそんな姿を見るのは初めてかもしれない。
思えば、レイはいつも明るく自分に接してきてくれた・・・。
時には怒ったり泣いたりもしたが、それでもこれほど人を拒絶した事は無かったはずである。
少なくとも、シンジはそんな彼女を知らなかった。
― フフ・・・、何を言っても無駄よ・・・。貴方の声でも・・・もう届かない。 ―
シンジの耳に幼女の声が直接聞こえてきた。
振り返ると、そこには赤いワンピース姿の幼女が立っている。
幼女の出現とともに周囲の光景は瞬時に消え去り、何も無い真っ白な空間へと変化した。
そして、自分の後ろに居たはずのレイは、いつの間にか幼女に寄り添うように虚ろな眼のままその傍らに立っている。
「綾波・・・レイ?」
そのシンジの言葉は彼のよく知るレイに対して投げかけられたものではなく・・・目の前に居る幼女に問いかけたものだ。
だが、幼女はそんなシンジの問いを完全に無視している。
― さぁ・・・、心を解き放って・・・。貴方が世界を救うのよ・・・。 ―
「そう・・・、あたしが・・・・・あたしがやらなきゃ・・・・・」
レイの声に反応し、彼女から衝撃波の様な何かが発生して周囲に広がっていく。
身体に受ける衝撃と突風の様なモノのあおりを受けながらも必死に耐えるシンジ。
「これは・・・もしかして・・・!」
シンジの脳裏にある嫌な予感がよぎる。
作戦開始前ミサトから、このままアンチATフィールドが増大していけばサードインパクトが起きるという事は伝えられている。
しかし、肝心のアンチATフィールドが何なのかはシンジにもよく分かってない。
もしかしたら・・・今の綾波から出ている衝撃波の様な何かがそうなのかもしれないのだ。だとすれば・・・
「駄目だ・・・!綾波・・・、そんな事しちゃ駄目だ!」
何が起きているのかは確信が持てないが直感的に危機を感じ取り叫ぶシンジ。
その声にレイは僅かな反応を見せる・・・。
今の自分を否定された彼女は、今にも泣きそうな・・・哀しそうな顔でシンジを見ている・・・。
「だって・・・こうしなきゃ・・・・ダメなの。
みんなを元に戻さなきゃ・・・シンちゃんにも・・・・みんなにも嫌われちゃう・・・。」
「嫌われるって・・・そんな事ないよ。それに、綾波はみんなに好かれてたじゃないか・・・?」
シンジは思った事をそのまま口にした。
レイの言葉の意味がシンジには分からなかった。
彼女が人から疎まれているという話は聞いた事が無いし、そんな噂すら聞いた事が無い。
むしろ、シンジはそんなレイの事を羨ましく思っていたくらいなのだ。
「それに、僕は綾波を嫌ったりなんか―――」
― そうかもしれないわね・・・。でも・・・これを知ってもそんな事を言えるのかしら・・・? ―
彼の言葉を遮る様に答えたのはレイではなく・・・傍らに立つ幼女だった。
彼女が手をかざすと同時に、何も無かった空間に1人の男性の姿が浮かび上がる。
その姿はシンジのよく知る・・・・・それでいてほとんど知らない人物だった。
「父さん・・・?父さんがどうしてここに・・・!」
シンジの眼の前に現れたのは碇司令である。
彼もレイと同様、両腕をダラリと前に下ろし・・・ただ力なく立っているのみだ。
― 彼は・・・もう死んだわ。そして、その原因を作ったのは貴方の目の前にいる彼女なの。 ―
「!」
碇司令の死を突然知らされ、呆然とするシンジ。
「そう・・・、あたしのせいなの・・・!碇司令はあたしを庇って・・・!
でも、赤木博士があんな事をしたのはあたしのせいで・・・!だから・・・だから・・・!
あたしはシンちゃんに優しくしてもらえる人間なんかじゃないの!」
涙を零しながら父親の死の経緯を話すレイの声もすでに彼には届いていない。
死んだと言う幼女の言葉が頭から離れなくなってしまったのだ。そして・・・それは幼女の思惑通りでもある。
(フフ・・・、これで終わりね。)
うろたえるシンジの様子に、幼女は歪んだ笑みを口元に見せる。
これで、レイだけではなくシンジも精神が保てなくなり世界を拒絶する様になるはず・・・。
そうなれば、幼女はようやく自身の目的が果たせるのだ。すでにレイは自分を失っており、完全に幼女の意のままに動いてくれている。
「でも、あたしなら戻せる・・・、みんなを助けられるの・・・。
碇司令も・・・赤木博士も・・・鈴原君だって・・・・・みんな・・・・みんな・・・・・」
― 世界が悲しみに満ち満ちていく・・・。空しさが人々を包み込んでいく・・・。孤独が人の心を埋めていく・・・。 ―
眼は虚ろながらも嬉しそうな表情を浮かべるレイ。そして、彼女の傍らで満足げな表情を浮かべる幼女。
レイから発せられる何かがさらに増大し、その衝撃がシンジを襲う。
(綾波・・・!)
衝撃を受けた事が幸いしたのか、シンジはハッとしてすぐさま我に返る。
眼の前にいるレイはいつものレイではない。
彼女をこのまま放っておけば取り返しがつかなくなるし・・・何よりレイを助ける事が出来ない。
「綾波・・・、みんなが助かるって事は・・・僕の母さんも?」
「え・・・?」
唐突なシンジの問いにレイは言葉を失う。
シンジの家族に関する話は父親の話題がほとんど・・・とは言っても、普段の生活ではまず話題になる事は無かったし
母親についての話はそれ以上に話す機会が無く・・・まるで聞いた事が無かったのだ。
しかも、幼女からは元に戻せると聞いているだけで、実際に世界がどうなるのかは分からない。
考えようともしなかったし考えたくも無かった・・・。
自分の信じていたモノに陰りが生じ、不安気な表情へと変わるレイ。
「母さんは・・・・・もう死んだんだ・・・。
トウジも・・・カヲル君も・・・・・
リツコさんや父さんの事は分からないけど・・・・・死んだ人はもう、戻らないんだ!」
レイに問いかけるというよりは、自分自身に言い聞かせる様に叫ぶシンジ。
一方、彼女はシンジの声を否定するかの様に首を横に振るのみ。
「そんな・・・・そんな事ないよ・・・。だって・・・・」
レイは先程までと同じ様に弱々しい声で何かを言おうとしているが・・・中々言葉にならない。
「今の綾波は、ただ逃げてるだけだ!前の僕と同じ様に・・・!
でも、現実から・・・自分から眼を背けちゃ駄目なんだ!そんなんじゃ何も変わらないんだ!
逃げたって・・・何も変わらないんだよ、綾波!」
レイをしっかりと見据え大声で叫ぶシンジ。
彼の言葉は以前、加持に説得された時に言われた事でもあり・・・これまでの経験から得られたものでもある。
そんなシンジの声がようやく届いたのか、レイの顔は見る間に驚きの表情へと変わる。
「だって・・・、あたしのせいで碇司令が・・・みんなが・・・・・」
レイは頭を抱えて苦しんでいる・・・。
自分の信じていたものが分からなくなり・・・何をどうすれば良いのか完全に見失ってしまった様だ。
(そんなはず・・・!父親の死を知っても自分を失わないなんて・・・!)
だが、それ以上に驚きの表情を浮かべていたのは、これまで一度たりとも冷静な態度を崩さなかった幼女の方だった。
初めて見せるその顔は、現在の状況が信じられないといった表情である。
幼女にとって眼の前の光景はありえないものだったのだ。
(どうする・・・?どうすれば・・・?)
このままでは・・・非常にまずい事になる。
手遅れになる前に、ここでシンジを殺してしまえば・・・?いや、それではレイの絶望の矛先が自分に向けられかねない。
世界に向けてアンチATフィールドを展開させなければならないのだから・・・それでは意味が無いのだ。
「ほら、覚えてる・・・?
いつだったか、僕を使徒の攻撃から守ってくれた時の事・・・
あの時・・・・綾波が無事で本当に良かったと思ったんだ。嬉しかったんだと思う・・・。」
次の一手に迷いを見せる幼女をよそにシンジはレイに語りかける。
「僕が使徒やEVAに取り込まれた時も、綾波が助けてくれた様な気がした・・・。
さっきだって綾波は何度も僕の事を助けてくれた・・・。
綾波が居なかったら・・・僕はここには居なかったかもしれないんだ。」
優しく語りかけるシンジに対し、
レイは頭を抑えながら後ずさって距離を取ろうとする。
しかし、それ以上の速さでシンジが近づいてくるため、二人の距離は確実に縮んでいた。
「違う・・・違うよ!だって・・・あたしだから必要とされたんじゃない・・・
EVAのパイロットが必要だったから・・・綾波レイが必要だったから・・・・・それが偶々あたしだっただけ・・・・・!
あたしでも、別のあたしでも・・・何も変わらないの!」
「違うよ・・・。綾波が居たから僕はこうしていられるんだ。
僕の眼の前にいる君が居たから・・・」
そう言いながらシンジはレイにゆっくりと近づいていく。
彼を見るレイの眼は、まるで迷子の子犬が飼い主を見つけた時の様に・・・・・驚きに満ちていた。
「綾波・・・、君はいつも元気で、明るくて、僕を支えてくれて、僕には無いものを持っていて・・・・・すごく羨ましかった。
だから・・・、君がこんなに悩んでいたなんて・・・想像も出来なかったんだ。
これまで、僕は君に何もしてあげられなかった・・・・・ごめん。」
「ダメ・・・、あたし・・・シンちゃんにそんな風にいってもらえる資格なんか無いよ・・・。
何も出来ないし・・・酷い事しちゃったし・・・・・あたしなんか・・・・・」
眼を逸らし、俯き加減に呟くレイ。
そんな彼女の言葉にはあえて返答せず・・・シンジは両手をレイの肩に優しく置いた。
今にも倒れそうな彼女を支え、安心させるかのようにしっかりと・・・
「う・・・・ぐすっ・・・・うぅ・・・・・。」
優しく抱き留めるシンジにレイは力無くその身を預ける・・・。
「う・・・うぅ・・・うあぁぁぁぁぁ!」
涙をポロポロと零していた彼女は耐え切れなくなり・・・ついに大きな声で泣き出してしまった。
そんなレイの頭をシンジは優しく撫でている。こうして泣きじゃくるレイの頭を撫でるのは何度目だろう・・・?
シンジは何も言わず・・・ただ黙ってレイの身体を支え続けている。
― ・・・・・ ―
一方、その状況を幼女は苦々しい表情で見つめていた。
今まさに、これまで自分が積み上げてきた全てが無になりかけているのだ。
― もう・・・いい。私は私の力で世界を元に戻す・・・。 ―
決意を秘めた幼女の声・・・。
その声が聞こえたのか、ようやく泣き止んだレイが幼女に向き直る。
しかし、レイのその顔は、自分を利用しようとしていた相手に向けるには似つかわしくないくらいとても穏やかなものだ。
「あなたには・・・無理なんでしょ?
そんな事が出来るなら最初からそうしてるはずだもん。」
― !! ―
レイの言葉はあまりに核心を突いていたのだろう。その一言に幼女は言葉を失う。
確かに・・・幼女にはそれが出来ない。
だからこそレイを我が物として意のままに操ろうとしていたのだ。
「それに、あなただって誰かとの絆を・・・繋がりを求めてる。あたしには分かるよ。」
― 違う・・・違う・・・・!私はいらない・・・私は嫌い・・・。だから壊すの、憎いから・・・! ―
幼女は下を向き、レイの言葉を必死に否定する。
まるで自分の存在意義を確かめるように・・・
「ごめんね。あなたの存在に気付いてあげられなくて・・・・ずっと寂しかったんだよね。」
いつの間にか幼女の眼の前までやってきていたレイ。
彼女はその場にしゃがむと、そのまま幼女をしっかりと抱きしめた。
さっき、シンジが自分にしてくれたのと同じ様に・・・
― ・・・・・ ―
レイの体温が幼女に伝わってくる・・・。
彼女が最後に感じた他人の体温は・・・自らの首を締め付ける拒絶の感情だった。
苦しさは感じなかった。ただ・・・自分が拒絶されたという事と・・・だれも助けてくれなかったという絶望感・・・
幼女にとってはそこまでが人生であり・・・・・それが全てだった。
ほんの少し前まで2人目となる今のレイの中で眠っていた自分・・・。
だが、ある出来事がキッカケとなり過去の記憶を持ったままリリスの魂として覚醒した・・・。
だからこそ・・・自分はリリスへと還り、全てを無に返そうとまでしようとしたのだ。しかし・・・
「自分で言ってたでしょ。あたしはあなたで、あなたはあたしだって・・・
だから・・・あたし、これからずっと一緒にいてあげる。」
自分を抱きしめているレイの言葉に・・・嘘偽りは感じられない。
自分と同じ存在であり・・・自分とは違う存在・・・これまで良い様に利用してきたはずなのに・・・
彼女がどうしてそんな事を言うのか・・・幼女には理解出来なかった。
― ・・・それは無理。だって・・・ ―
幼女は拒絶の言葉とともに、レイの顔を見つめる。
だが、その顔はそれまでの様な禍々しいものではなく・・・哀しさとほんの少しの喜びが出ていた。
― このままだと、アンチATフィールドが放出されてしまう・・・。そうなればセカンドインパクトと同じかそれ以上の事が起きてしまうの。 ―
レイが増幅させてしまったアンチATフィールド・・・
今は臨界寸前で止まっているが・・・これが世界へ向けて放出されてしまえば
全人類が滅びる事は無くとも、幼女の言うとおりセカンドインパクト並の大災害となってしまうのは確実である。
そうなれば・・・ようやく再建されてきた世界はふたたび地獄へと戻ってしまうだろう。
― だから・・・、そうなる前にリリスを地球から遠い所へ運ばなければならない・・・。そして・・・それは私の役目・・・。 ―
「違うよ・・・あなたの役目じゃなくて、あたし達の役目。」
いまだ、幼女を優しく抱きしめるレイ。その顔には決意が秘められていた。
「ごめんね、シンちゃん・・・。あたしにもやる事が出来ちゃって・・・・・、一緒に帰れそうにないんだ・・・。」
立ち上がり、シンジに振り返ってそう話しかけるレイの顔は・・・どこか哀しげだった。
さっきの幼女の声はシンジにも聞こえており、その内容も理解出来ている。
このリリスをどうにかしなければならないという事も・・・、そして、その方法が1つしか無い事も・・・
「そんな・・・!そうだ、他に方法があるよ!初号機とロンギヌスの槍があるんだ。それを使ってリリスを止めれば・・・」
レイの帰れないという言葉に不安を感じ、ふいにシンジが提案する。
彼がリリスへの突入に使った初号機とロンギヌスの槍・・・
使徒を倒せるのだからリリスにも槍の力は通用するのかもしれない。そう考え提案したシンジだったが・・・
― 駄目・・・。それでも蓄積されたアンチATフィールドは無くならない・・・。たとえリリスを殺しても・・・無くならないものなの。 ―
幼女があっさりとその提案を却下した。
彼が口にする前から・・・色々考えてはいたのだろう・・・。
「でも・・・、えっと・・・ミサトさんに連絡とって聞いてみれば良いんじゃないかな。きっと、何か方法があるよ!」
シンジなりに考えた末での提案なのだが・・・レイは首を横に振るしかない。
彼女も一生懸命考えてはみたものの、どう考えても1つしか結論が出てこないのだ。
実際問題、アンチATフィールドの影響から地球を救う方法は1つしか無い・・・。
「ごめんね、シンちゃん。せっかく来てくれたのに・・・。でも・・・、会えて嬉しかった。
きっと帰ってくるから・・・またね!」
久しぶりに明るい笑顔を見せるレイ。
彼女の言葉が終わるか終わらないか・・・
レイの意思を感じ取った幼女がシンジの周囲にATフィールドを展開させる。
「綾波!待って!僕も一緒に――――――」
シンジの言葉は最後まで聞く事は出来なかった。
彼の周囲に展開されたATフィールドは球状にシンジを包み込むとリリスから一気に離脱。
シンジの思いを無視するかのようにそのまま地上へと降下していった。
そして、その光景はリリスの中のレイと幼女が居る空間にも映し出されている。
― 本当にあれで良かったの? ―
シンジをリリスから脱出させた幼女がレイに尋ねる。
ATフィールドで包み込んだ後も、シンジはその中で何かを叫んでいた様だった・・・。
そして、幼女には彼が叫んでいた内容も分かっていたのだ。
「うん、良いの。だって、あたし達だってちゃんと帰ってくるんだから・・・。
さ、行こ!急がないと手遅れになっちゃうし!」
努めて明るく振舞うレイ。
しかし・・・、彼女はどこか無理をしている様にも見える。
シンジに対しても、他にもっと大事な・・・何か言いたい事があったはずなのだ・・・。
「それに・・・、シンちゃんともっとお話してたら・・・お別れが辛くなっちゃうもん・・・。」
寂しげに話すレイに対し、幼女もそれ以上踏み込んだ質問をしようとはしない。
もちろん、それは彼女なりにレイを気遣っての事なのだろうが・・・
(シンちゃん、さよなら・・・。)
白い空間の中に映し出された外の風景を見ながらレイは心の中で呟く。
彼らを体内に秘めたリリスは背中に展開した無数の羽根を大きく広げ、ゆっくりと上昇していった。
地上に落とされたシンジは、ただ空を見上げていた。
その空に先程まであったリリスの姿はもはやどこにもなく・・・・・すでに雲の上の向こうへと消えてしまっている。
「綾波・・・。」
結局、シンジはレイを救う事は出来ても連れて帰ってくる事は出来なかった。
ただ呆然と空を眺めているが・・・レイが帰ってくるワケでも無い。
「アンタってホント大馬鹿ね!
なんでムリヤリ連れて帰って来ないのよ!つーか、ファーストもファーストよ!
ったく、自己犠牲なんて、そんな柄じゃないでしょうに!」
シンジの傍らで声を荒げているのはアスカである。
彼女はさっきから地面の砂を力任せに蹴飛ばしている。
さっきから、ワケの分からない怒りに苛立つ自分を抑えきれずに居るのだ。
「自己犠牲じゃないわ。レイに死ぬつもりなんか無い・・・、いつかきっと帰ってくるつもりなのよ。」
外敵からの脅威が消えたジオフロントで、ミサトが空を見上げながら2人を諭す様に呟く。
EVAパイロットの確保を名目に地上へとやって来た彼女だったが・・・
そこで待っていたのは、レイが遠くへ行ってしまったという現実だった。
「分かってるわよ!分かってるけど・・・!」
アスカはそう言うと、2人に背を向けてしまった。
レイの行動は彼女にとって気に入らないものではあったが・・・他に方法があったとも思えない。
だからこそ、何も出来なかった自分に腹が立っているのかもしれない。
「綾波・・・、帰ってくるんですよね?」
シンジがやや力の抜けた声でミサトに尋ねる。
ミサトはミサトで彼にかける事の出来る言葉が見つからず・・・笑顔を返すのが精一杯であった。
だが、そんなミサトの笑顔も今のシンジを元気付ける事は出来そうに無い。
世界を救うための行動であり、それがレイの意思だったとは言え・・・やはり別れは寂しいものなのだ。
(さて・・・、これからの事・・・どうするか。)
心の中で今後についての考えを巡らせるミサト。
リリスはロスト、EVA量産機も1機を除いて殲滅は完了。
だが、切り札を失ったとは言え、ゼーレという組織が瓦解するわけでもなく・・・彼らの影響力は健在だろう。
日本政府と交渉したとして・・・果たして、自分達の生存権は得られるのだろうか・・・?
いまだEVA2体を保有しているとは言え・・・先行きはあまり芳しくない。しかし・・・
(せっかく、レイやみんなが救ってくれたんだから・・・なんとかしなきゃね。)
ミサトは顔には出さないものの心の中では固く誓っている。
レイの想い・・・、これまで亡くなっていった人達の想い・・・それらに報いなければならない。
「綾波・・・。僕は待ってる。君が帰って来るのを・・・」
そう呟くシンジの眼に涙は無かった。
レイはいつか必ず帰って来る・・・少なくとも彼女はそう言って行ってしまったのだから・・・。
笑顔で送り出せる程割り切って考えられるものでもないが、泣いて見送ってしまっては彼女の気持ちを無にしてしまう・・・。
その後は、3人ともただ・・・、彼女が消えた空をずっと眺めているしかなかった。
着実に地球から離脱しつつあるリリス・・・
高度はすでに400kmを突破しており、ジオフロントはもう見えなくなってしまった。
だが、もっと地球からリリスを遠ざけなければならない。そうしなければ・・・
― 今ならまだ帰れるわよ・・・。私だけでも十分なのに・・・。 ―
遠ざかる地球を見ながら、幼女が傍らにいるレイに話しかける。
一方のレイは青く輝く地球を見つめるのみ・・・返事をしようとはしない。
― どうして・・・、世界を1つにしようなんて・・・思ったのかしら・・・。 ―
幼女は自分自身に問いかけるように呟く・・・。
先程まで自分の中に満ち満ちていた憎悪の感情は今となっては微塵も無い・・・。
「寂しかったから・・・じゃないのかな。
それに世界を1つにしたいって思ったのは・・・あたしも一緒だから・・・。」
そう話すレイも幼女と同じ様に地球を眺めている。
まるで、生命の息づく青い星のその姿を眼に焼き付けておくかの様にしっかりと・・・
「でも・・・大丈夫。これからはずっと一緒なんだからさ。
それにこれは、あたし達がやらなきゃならない事だもん・・・ね?」
と、傍らの幼女にニッコリと微笑むレイ。
そして、そんなレイに幼女も年相応の子供らしい笑顔で返す。
それは、これから地球を離れ、希薄な宇宙空間へと旅立つにはあまりに似つかわしくない笑顔だった。
どこまで行けるかは分からないが・・・とにかく、地球から出来る限り離れなければならない。一刻も早く・・・
「違うわ。あなた達にも必要としてくれる人がいる・・・。あなた達はここで帰りなさい。」
「え・・・?」
突然聞こえてきた女性の声に驚きの声をあげるレイ。
幼女は先程から傍らにいるし・・・シンジが居なくなってしまった今となっては、
自分と幼女以外にリリスの中に他に人が居るはずがない。居るはずがないのだが・・・
「あなたは・・・?」
レイの眼の前に現れたのは白衣姿の女性・・・。
やや短めに切られた髪の毛や顔の造詣など・・・どことなく自分に似ている。
「ヒトはこの星でしか生きていけない・・・。それはあなた達だって同じ事・・・。」
その女性の言葉に・・・レイと幼女は返す言葉を持たなかった。
アンチATフィールドを放出してしまえば、きっとリリスはその姿を保てなくなる・・・。
そうなれば・・・多分地球へ戻ってくる事は出来なくなるし、
宇宙空間で生きる事の出来ない人の身体では、その末路は決まっている様なものなのだ。
「でも・・・EVAは無限に生きていられる。
例え50億年経っても・・・地球や太陽が無くなっても残るものなの。
たった1人でも生きていけるから・・・とても寂しいけど生きていけるから・・・心配は要らないわ。」
その言葉と共に、先程自分達がシンジにしたように
レイと幼女の周囲にATフィールドを展開させる白衣の女性。
「待ってください!あなたは一体誰なんですか!」
レイの叫びも最後までは聞こえなかっただろう。だが、その言葉の意味は伝わっていたらしい。
優しげな微笑を浮かべた白衣の女性は、確かにレイの問いに答えていた。
「シンジをお願いね。私はシンジの―――」
目を覚ましたレイが見たのは、ジオフロントの地底湖だった場所の畔・・・。
近くには森林があり・・・つい先程、そこが戦場となったとは思えないほど自然が残っている。
身体を起こし、辺りを見回してみるが・・・そこに居るのは自分1人、他には誰も居ない。
さっきまで一緒だったもう1人の自分は何処へ・・・?
そう思った時、自分の中から何か返事の様な何かが聞こえた気がした・・・。
(あたしの中に・・・居るんだね。これからもずっと一緒に・・・)
幼女からの返事は無い・・・。
だが、自分の中に居るのは分かる・・・それは、ちゃんと実感として感じられるのだ。
「・・・・・。」
鳥の鳴く声が聞こえてくる・・・。
もし、あのままリリスとしてアンチATフィールドを放っていたら・・・リリスから生まれた全ての生命がLCLとなってしまっただろう。
もちろん、人間だけではなく・・・その他の主だった生命全てがその姿を保てなくなっていたはずなのだ。
本当に・・・間違った事をしなくて良かったと思う・・・。
レイはふと、さっき自分の身に起きた事を思い返していた。
「あの女の人・・・、もしかして・・・」
自分の代わりにリリスと共に地球を離れていったあの白衣の女性・・・
初めて見る人だったし・・・レイ自身に彼女の記憶は全く無い。
だが、それでも・・・なんとなくだが、あの女性が誰なのかは分かった様な気がした。多分、あの女性は・・・
「・・・・・。」
レイはゆっくり立ち上がると、あらためて周囲を見回してみる。
かつては地底だったジオフロントも今はすっかり日の光が差し込むようになってしまった。
正直、これから自分がどうなるのかは分からない。
第3新東京市は消えてしまったし、学校も・・・自分の暮らしていた家も無くなってしまった。
使徒を全て倒してしまった今となっては、ネルフにも存在意義が無くなり・・・
当然、EVAのパイロットとしての自分も・・・必要の無い存在となってしまうだろう。しかし、それでも・・・
「帰ってきたんだ・・・。みんなのところへ・・・。」
何も無いところから生まれた自分・・・、他の人とは違う自分・・・
そんな自分に、レイはずっと引け目を感じていた。
他の人が羨ましいと思った事もあった。自暴自棄になりかけ、自分を見失った事もあった・・・。
だが、それでも、自分の事を必要としてくれる人がいる・・・。自分が生きていて嬉しいと言ってくれた人がいる・・・。
多分、今も自分の帰りを待ってくれているのだろう・・・。
「あ・・・あぁ!」
地底湖の向こうに人影を見つけたレイ。
遠くてあまりよく分からないが、それはレイにとってよく知っている人達のはずである・・・。
人影を見つけるや否や、レイは自分でも気付かないうちに駆け出していた。
「お〜い!みんな〜!」
見つけた人影に向かって駆けながら、レイは右手を振りながら大声で叫ぶ。
その声が届いたのか、青いプラグスーツを着た少年はレイの姿を見て驚いている。
赤いプラグスーツの少女は・・・一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐにそっぽを向いてしまった。
赤いネルフの制服を来た女性は、安堵の表情を浮かべている様だ。
他にも何人かネルフの所員が居るみたいだが・・・やっぱり自分の事を見て驚いているらしい。
「綾波レイ!ただいま帰りました〜!」
走りながら、とびっきりの笑顔と大声でただいまを言うレイ。
彼女は今、確かな幸せを感じていた。
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