第弐拾四話 最後のシ者
夜 綾波宅にて
泣きじゃくるレイをとりあえず自分の家に連れてきたアスカ。
もっとも、自分の家とは言っても元々の家主はレイなのだが・・・。
「ぐすっ・・・」
小さなテーブルをはさんでアスカの向かいに座ったレイは膝を抱えてうつむいている。
ここまで黙りこんでしまったレイをアスカはこれまで一度も見た事が無い。事実、レイは家に帰ってくる途中でも一言も喋らなかった。
普段のレイを知っているアスカには彼女のその異常さがよく分かる。しかし・・・
「ほら、テキトーにこれでも飲んでなさいよ。私はシャワー浴びてくるから。」
と、無造作にペットボトルのお茶をドン!と置いてさっさとバスルームへと行ってしまった。
約20分後、シャワーを浴びて出てきたアスカが見たのは、バスルームに行く前に見た姿のままのレイだった。
テーブルの上に置いたお茶に手をつけた様子は無く、ペットボトルの表面にはすっかり水滴が付いてしまっている。
「ねぇ、ファースト。今日のご飯は?」
タオルを頭にのせ、髪を梳かしながらアスカがレイに尋ねる。
レイに食事の用意を催促するというのはヘンな話かもしれないが、
アスカがこの家の主となってからというもの毎日朝晩2食の準備をしていたのはレイなのである。
ふてくされたアスカをよそ目にご飯の用意し、きちんと自分も食事をしてから家を出て行く・・・まるで使用人か家政婦さんの様でもあったが、
当のレイが率先してやっていたものだから、アスカにとってもいつの間にかそれが当たり前となっていたのだ。
「・・・・・。」
レイは何も言わずに冷蔵庫を指差す。
アスカが面倒くさそうに冷蔵庫を開けると、そこには前日の夕飯に出されたカレーの残りがやや小さめの鍋の中に入っていた。
「これ1人分じゃない。アンタの分は無いわよ?」
現在のカレーは自分のモノと確定させてしまっているアスカもアスカだが、
確かに彼女の言うとおり、どう見ても1人分・・・贔屓目に見ても1.5人分しかない。
いつものレイの食事量から考えればこの程度で足りるはずは無いのだが・・・
「・・・いらない。」
「え?」
レイの返答にアスカが思わず驚きの声をあげる。
なぜなら、どんな事があっても食事はいつも通り、きっちりたっぷり摂るはずのレイからは考えられない言葉だったからだ。
シンジがEVAの中に取り込まれてしまった時ですら食事はちゃんと摂っていたのだが・・・
「ホントにいらないのね?」
アスカの前にカレーがあるだけのさっぱりとしたテーブル。
昨日のものとは言え、温めなおしたカレーからは湯気が出ており食欲を十分そそられる。
一応、アスカがレイに聞きなおすも彼女は何の反応も示さない。家に帰って来た時からずっと変わらず黙ったままだ。
「いただきます。」
カチャ・・・カチャ・・・とスプーンとお皿の当たる音だけしかない部屋・・・
レイの部屋にはテレビやラジオの類のものが無いため、誰も喋らないと本当に静かになってしまうのだ。
これまではレイが口うるさく喋っていたのでそんな事は気にならなかったのだが、
今は肝心のレイが黙っているため、静かな部屋の中はほぼ完全に静寂に包まれてしまっていた。
「・・・・・。」
アスカはカレーを口に運びながら、チラッとレイを見てみるものの・・・やはりさっきと変わらない。
「ごちそーさま。」
食事を終えたアスカは、ジッとしているレイを半ばほったらかしにする形でそのまま床に付いた。
翌日 昼 葛城宅にて
「ったく、なんで何もないのよ〜!」
葛城宅の台所にてブツクサ文句を言っているのはアスカである。
空腹という身体状況も相まって、彼女のイライラはすでに限界に達しつつある。
と言うのも、前日に食べたカレーが彼女にとって最後の食事であり、それ以来水しか口にしていない。
いつもならレイが食事の準備をしてくれるのだが、今日は毛布に包まったまま・・・まるで動こうとしなかったのだ。
「・・・なんで私、こんな事してんのかしら。」
ふと我に返るアスカ。
だが、レイの家の冷蔵庫には食材が入っているのみで、それらを食べるには調理しなければならない。
当然アスカには自炊など出来るわけも無いため、せっかくの食材も宝の持ち腐れとなってしまっていたのだ。
現在の状況で空腹を満たすにはネルフ本部の食堂へ行くか、葛城宅へ戻るかの二択・・・
コンビニに寄るという選択肢は金銭上の問題から選択肢から外さざるを得なかった。
シンジやミサトに出会う可能性が最も低い方法・・・、となるとミサトが仕事で不在な昼間に葛城宅に戻ってくるしか無かったのだ。
「あ〜もう!気が効かないわね〜!」
探索を続けるものの、めぼしいモノはまるで見当たらない。
だが、それでもレトルト食品とカップ麺をありったけスポーツバッグに詰め、ダイニングテーブルの上にしっかり確保はしてある。
さらなる戦利品を獲ようと、冷蔵庫、戸棚と物色を繰り返していたアスカが別の戸棚に手をかけようとしたその時
ガタッ!
「!!」
アスカは突然の物音に肩をビクッと振るわせる。
シンジかミサトが家に居たのだろうか・・・?アスカが恐る恐る振り向くとそこには
「クェェッ?」
ペンペンが首を傾げ、不思議そうにアスカの方を眺めていた。
「なんだ・・・、ペンペンじゃない。おどかさないでよ、もう・・・。」
ため息をついてホッと胸をなでおろすアスカ。もう一匹の家族の存在をすっかり忘れていたらしい・・・。
今さら戻ってくるだけでもバツが悪いのに、こんなところをシンジやミサトに見られたらたまったものではない。
一応、当面の食料は手に入れたので、アスカはさっさと帰ろうとスポーツバッグを手に玄関へ向かおうとする。だが・・・
ガシッ!
「キャアッ!な、放しなさいよ!」
立ち去ろうとするアスカの足にしがみつくペンペン。
久しぶりに見る家族の姿に、彼はとても喜んでいるみたいだ。
「ちょっと・・・!放しなさいって言ってるでしょ!」
「クェッ!クェッ!」
アスカがどう言ってもペンペンは足にしがみついたまま離れようとしない。
振りほどこうとしてもまるで無駄、ペンペンはつぶらな瞳でアスカを見上げており、その眼はまるで遊んでくれと言わんばかりである。
「あれ?アスカ、帰ってきたんだ。おかえり。」
「げっ!」
玄関の方から聞こえてきた聞き覚えのある声に驚くアスカ。今の彼女にとっては聞きたくなかった声・・・
声の主はもちろんシンジである。
「べ・・・、別に帰ってきたワケじゃないわよ。ちょっと・・・取りに来るものがあっただけ―――」
半ば居直り強盗の様に悪態をつくアスカであったが、途中まで言いかけたところでシンジの後ろの人影に気付いた。
ケンスケ・・・違う?紅い眼にグレーの髪をした自分と同年代の男子・・・誰だろう?アスカにはさっぱり心当たりが無い。
「おや、誰かいるのかい?」
見知らぬ人影も家の中に入ってきた。端正な顔立ちの少年だが・・・
「あ・・・そうだ、紹介するよ。彼は渚カヲル君。新しいEVAのパイロットなんだって。」
「はじめまして。君は・・・?そうか、君がセカンドチルドレンだね?」
シンジに思い出したように紹介され、挨拶するカヲルという名の少年。
対するアスカはカヲルを一瞥するのみで何も返答しない。正直、アスカの嫌いなタイプなのだ。
「君の噂は色々と聞いているよ。高い能力を持ったチルドレンだってね。」
「フン、どーせ私は自称超エリートの落ちこぼれよ。」
半ばふてくされ気味、半ば自嘲気味にカヲルに返答するアスカ。
だが、以前の様なEVAに対する執着心や頑なさは幾分少なくなっている様にも見える。
「あのさ、アスカって今、綾波の家にいるんでしょ?綾波・・・元気にしてる?」
シンジが唐突にレイの事を尋ねてきた。
なんでシンジがそんな事を知っているのかと訝しげに思ったが・・・あのレイの事だ。心配させまいとシンジやミサトに話していたのだろう。
そして、シンジの言葉からすると・・・今のレイに元気が無い事も知っているらしい。
「全然、昨日から引き篭もりっぱなし。あれは相当重症ね。」
やれやれといったポーズで答えるアスカ。
正直、アスカ自身もつい最近までは似たようなものだったのだが、その事は完全に棚に上げている。
「そうなんだ・・・、携帯にかけても繋がらないから・・・」
「そうなのかい?それは心配だね。それなら見舞いに行ってあげたらどうだい?」
レイの事を心配するシンジに対し、相槌を打ち提案するカヲル。
一方のアスカは、ヒッキー相手に見舞いは無いだろ・・・と、カヲルにツッコミを入れている。しかし・・・
「僕・・・、今の綾波になんて言ってあげたらいいか分からないんだ・・・。だから・・・」
「アンタ、これまで散々ファーストに面倒みてもらってたのに、こういう時に何もしないワケ?」
逡巡するシンジにアスカが半ば呆れたように言い放つ。
「ごめん・・・。でも、後で必ず行くから・・・。あ、そうだ。」
そう言うとシンジは冷蔵庫へ向かっていく。
何をするのかとアスカが見ていると、冷蔵庫からタッパーを取り出しアスカに差し出した。
「何コレ?」
「綾波が好きな玉子焼き。これ、渡しといてくれないかな・・・。今の僕にはこれくらいしか出来ないから・・・。」
さっき物色していた時は気にも留めなかったが、冷蔵庫の中にもちゃんとおかずは入っていたらしい。
しぶしぶタッパーを受けとり、彼女はそのまま葛城宅から出て行こうとするが・・・
「惣流・アスカ・ラングレー。」
ふいにカヲルから声をかけられ、振り返るアスカ。
「また後でね。」
カヲルは穏やかな笑顔で語りかけてくる。
年齢と比べてずいぶん落ち着いた物腰の少年だが、アスカはそれが気に入らない。
「るさい!人をいちいちフルネームで呼ぶんじゃないわよ!」
やっぱりこの男とは反りが合いそうに無い・・・と、あらためて再認識するアスカ。
不機嫌な表情のまま、彼女は葛城宅を後にした。
翌日 早朝 綾波宅にて
「ふあぁ〜ぁ・・・。」
ベッドの上で上体を起こし大あくびのアスカ。
見回してみてもそこにはすでに見慣れた風景しか無い。
彼女はめんどくさそうにベッドから降りると、キッチンに向かい朝食の準備を始めた。
もっとも、朝食の準備とは言っても昨日の戦利品がメインなので当然オールレトルトである。こういった点ではアスカもミサトとそう大差は無い。
お湯を注いだカップ麺を両手に持ち部屋に戻ってきたアスカは、床に寝ているレイをチラッと見るが・・・レイに変化は無い。
「どきなさいよ。ご飯食べられないでしょうが。」
そう言うと、アスカはレイを軽く蹴飛ばす。
「・・・・・。」
蹴りを入れられたレイはさすがに目は覚ましたが、ベッドが開いた事を確認しそのままベッドにもぐり込んでしまった。
もっとも、これは今日に限った事ではなくいつもの事なのだが・・・
「ちょっと、ファースト!いつまで引き篭もってる気よ!」
いい加減、この状況に耐えかねたアスカが怒鳴りつけたがレイは全く反応しない。
仕方なく、彼女はテーブルを置き質素な朝食を摂り始めた。
テーブルの上にはカップ麺が2つ・・・一応、レイの分も用意したのだが、さっきのやりとりからも分かるように
レイがそのカップ麺に手をつける事はおそらく無いだろう。
「ったく、人がせっかく用意したってのに・・・餓死でもしたいのかしら?」
「そうだね。もっとも、この食べ物はあまり身体に良くもないだろうけど。」
なんですって〜!と、反論しようとしたところで我に返るアスカ。この部屋には自分とレイしか居ない・・・・・・はずである。
それに、さっきの声はレイのものではない。第一、声が聞こえてくる方向が違う。
アスカが声の聞こえてきた方向を振り向くとそこには
「やあ、おはよう。惣流さん。」
カップ麺を手に持ち、満面の笑みを浮かべている少年が1人・・・
「な!な!な!なんでアンタがここに居んのよ〜っ!」
そこに居るはずの無い人間に向けて声を張り上げるアスカ。
声の主は、昨日ミサトの家で初めて出会った新しいエヴァのパイロット・・・カヲルという名の少年であった。
「僕が居ちゃいけないのかい?ここはファーストチルドレンの家だろう?」
カップ麺をズルズルとすすりながら、さも当然であるかのようにレイの家でくつろぐカヲル。
初めてこの家に来訪したとは思えないくらいの落ち着きっぷりである。
「そういう問題じゃないわよ!第一、何しに来たのよアンタは!」
「お見舞いだよ。ファーストチルドレンはどうしたんだろう?と思ってね。」
肝心のレイは相変わらず2人にに背を向けて横になったまま・・・
カヲルが一言二言声をかけてみても全く反応が返ってこない。その様を見たカヲルはフッとため息をついた。
「どうやら本当に重症みたいだね。僕が来たところでどうにもならなそうだ。」
「別にアンタに来て欲しいなんて頼んでないっつーの。さっさと帰りなさいよ。」
神妙な顔のカヲルにカップ麺を食べながら悪態をつくアスカ。
アスカの人当たりが悪いのはいつもの事だが、カヲルへの対応はいつも以上に悪い。
さっきから、一度もカヲルの方を見ようとすらしていない。
一方のカヲルはと言えば、そんなアスカに気を悪くするわけでもなく・・・むしろ好意的ともとれる笑みを浮かべている。
「フフ・・・、分かったよ。それじゃ、僕はこの辺で失礼するよ。」
「それ、アンタが食べたんだからちゃんと捨てていきなさいよ。」
アスカに言われ、カヲルは空になったカップ麺の容器を手に立ち上がる。
キョロキョロと辺りを見回すが、ゴミ箱らしきものは見当たらない。
「入り口にゴミ袋があるからそこに捨てろって言ってんの。ったく、要領悪いわね〜!」
アスカの言っている事はほとんど言いがかりに近いが、
一方のカヲルはやれやれといった態度でアスカの言葉を真面目に受け取ってもいないらしい。彼はゴミを捨てるとそのまま帰っていった。
当然ながら、アスカはカヲルを見送るどころかすら声をかけようともしなかった。
同日 ジオフロントにて
アスカはジオフロントにあるスイカ畑の近くにあるベンチに腰をかけていた。
草むしりや水撒きのためでもあるが、日がな一日ここでぼーっとするのも日課の一つとなっていたのだ。
「加持さん・・・。」
アスカはジオフロントの天井を見上げながら加持の名を呟いた。
自分が思いを寄せていた人・・・恋愛感情だったのかただの憧憬だったのかは分からないが
アスカにとって加持は間違いなく心の支えであった。だが・・・
「・・・もう、戻ってこないのかな。」
なんとなくだが、そんな気はしていた。
これまでもフラッと居なくなってしまう事はあったが、今回の様にこれほど長く姿をみせない事は無かった。
レイは加持の行方を知らないとは言っていたが・・・多分・・・・・・
嫌な想像が頭をよぎったが、アスカはそれを否定するのを止めてしまった。
おそらくそれは当たっているのだから・・・。
「・・・・・。」
ふと横を見ると、そこには加持のスイカ畑がある。今は自分で毎日のように手入れをしている畑・・・
加持は一体どんな気持ちであのスイカに水をあげていたのだろう・・・?
考えたところで分かるはずも無いのだが、つい考えてしまう。
「はぁ・・・ファーストもファーストよね。なに引き篭もってんだか。」
ため息をつきつつ、今度は珍妙な同居人の事を考えるアスカ。
今日で3日目になるが、彼女は食事も摂らずに毛布に包まって寝込んだまま・・・。
何かあったのだろうけど・・・アスカには自分から聞く気になれなかった。それに、今聞いたところで何も答えてはくれないだろう。
昨日の晩、シンジから渡された玉子焼きを見せても何の反応も見せなかったくらいである。
今回の彼女の落ち込み具合は明らかにこれまでとは違っていた。
「エヴァのパイロットってどうしてこんなに変わったヤツばっかなのかしらねぇ〜。ファーストも馬鹿シンジもフィフスもさ〜。」
自分の事を完全に棚に上げた台詞である。
そういえばフィフスチルドレンは何のために来たんだろう・・・?とふと考えるアスカ。
一応、エヴァのパイロットである以上、気にならないというワケでもない。
ファーストが引き篭もっているから、その代わりにでもするのだろうか・・・?
ここで考えるよりはネルフ本部に行って、誰かしらに聞いてくるのが早いのだろうが・・・そこまでする気力は無い。
「それにしても・・・なんで私、こんなに落ち着いてんのかしら・・・?」
ふとアスカは我に返る。
つい最近までは人の事にかまけている様な心の余裕は無かったはずなのに・・・
PiPiPiPiPi・・・
物思いに耽るアスカを邪魔するかの様に、突然彼女の携帯が鳴り出した。
同日 弐号機ケイジにて
EVA弐号機に乗り込みスタンバイを終えたアスカに、ミサトから今回の命令が下された。
目標は修理を終えたEVA零号機を奪取、ターミナルドグマへ向け降下現在中である。
「使徒・・・?あいつが?」
「そう。今はシンジ君が先行して目標を追撃してるわ。アスカも急いで初号機を援護して。」
久しぶりに聞いたミサトの声は淡々としたものだった。
もっとも、暖かい出迎えを期待していたワケでも無い。むしろ、素っ気無い態度の方がアスカとしても気が楽である。
それより問題なのは来襲した目標にある。
なぜなら、今回の使徒はアスカも昨日今日と出会い、普通に会話すら交わしていたカヲルという名の少年だったからだ。
これまでの経緯から、使徒=化け物といったイメージが強かっただけに、彼が使徒だったという事実にはアスカも驚きを隠せない。
(フィフスを追撃・・・馬鹿シンジが?)
ふと、アスカの脳裏に昨日のミサトのマンションでの光景がよみがえってくる。
カヲルを家に連れてきたシンジはいつになく嬉しそうに見えた・・・、それだけに今回の事はショックだったに違いない。
トウジの一件から考えれば・・・正直、まともに戦えるのかどうかも疑わしい。
「EVA弐号機、発進!」
今、考えたところで何も解決はしない。
余計な考えを振り払うかのようにアスカは勢いよく弐号機を駆り、ターミナルドグマへの降下を開始した。
「カヲル君!やめてよ!どうしてだよ!」
シンジが叫ぶ。
初号機は現在、ターミナルドグマへの通路を降下していたカヲル、そして彼の制御したEVA零号機と交戦中である。
両機ともプログレッシブナイフを装備、壮絶な鍔迫り合いを繰り広げていた。
「EVAは僕と同じ身体で出来ている。僕もアダムより生まれしモノだからね。
魂さえなければ同化出来るさ、このEVA零号機は君達のEVAとは少々違っているからね。」
宙に浮かんでいるカヲルは諭すようにシンジに話しかけている。
一方のシンジはカヲルが使徒だという事実をまだ受け入れられないようだ。
そんな中、零号機に弾かれた初号機のプログレッシブナイフがカヲルへと向かう。しかし・・・
カキイィィィン!
「ATフィールド!?」
カヲルに刺さるかに見えた次の瞬間、彼を護るかの様に光り輝く防壁が出現した。
ナイフが眼前に迫っているというのに彼に動じた様子は無い。
「そう、君達リリンはそう呼んでるね。何人にも侵されざる聖なる領域、心の光・・・
リリンも分かってるんだろ?ATフィールドとは誰もが持っている心の壁だという事を。」
カヲルの言葉に戸惑うシンジの隙をつき、零号機が初号機の胸部にプログレッシブナイフを突き立てた。
対する初号機も零号機の首にプログレッシブナイフを突き刺す。
その間も、彼らはターミナルドグマへと降下を続けていた。
ズシィィィン!
大音響とともに大きな白い水柱の様なものを立ち上らせながら、EVA両機はドグマの最深部に降り立った。
「カヲル君!待って・・・・っ!」
背を向け奥へと進むカヲルの後を追おうとするシンジの初号機だったが、零号機に足首を捉えられてしまった。
シンジが反撃を試みようとしたその時・・・
「どおぉりゃぁぁぁぁっ!」
ズシィィィン!
ようやくアスカの弐号機が応援に駆けつけた。
上方から降りてきた弐号機は零号機の上に着地、そのまま同機を完全に押さえつけている。
「アンタはさっさとアイツを追いなさい!」
零号機から開放された初号機のシンジにアスカが怒鳴りつける。
その間も、地面にうつ伏せで押さえつけられた零号機はすぐに起き上がろうとしたが
アスカの弐号機に全体重をかけて馬乗りにされているため、立ち上がろうとしてもそれはかなわない。
「で、でも・・・」
「でも・・・じゃないわよ!アイツを先に行かせたらどうなるかくらい分かるでしょ!さっさと追いなさいっての!」
何かを言おうとするシンジの言葉を遮るアスカ。
確かに彼女の言うとおり、使徒であるカヲルを放っておいて良いワケがない。
この先にはアダムと呼ばれる白い巨人が収められており、
そのアダムと使徒が接触するとサードインパクトが引き起こされ、人類が全て滅びるとも言われている。
それが本当かどうかは分からないが、シンジやアスカ・・・いや、ネルフという組織が存在しているのはそれを阻止する為でもあるのだ。
「アンタが行かないなら私が行くわ。
言っとくけど・・・私は使徒を止めるのに躊躇ったりなんかしないわよ。」
「・・・わかったよ、アスカ。」
アスカの言葉が何を意味するかはシンジにもすぐ理解出来た。
すでに奥へと消えてしまったカヲルを追って、シンジの初号機も彼の後を追っていく。
一方、起き上がろうとしている零号機の頭を弐号機で小突きながら、初号機の後姿を眺めるアスカ。
(不本意だけど・・・、アンタに任せるしかないのよね。)
さっきは自分で追うと言ったものの、アンビリカルケーブルをパージしてある弐号機の内部電源はすでに尽きかけており、
追撃したとしてもおそらく途中で活動限界に達してしまうだろう。
機動性を重視し内部電源のみで出撃した事が仇となってしまった格好だ。
バックアップを要請する為に第二発令所と連絡を取ろうにも、どういうわけかさっきから通信がまるで繋がらない。
正直、シンジに任せる以外に方法が無かったのである。
しかし、相手は使徒とは言え人の姿と変わらない相手であり・・・シンジがまともに戦えるという保障は無い。
「・・・て、ジタバタすんじゃないわよ!」
あれこれ思案していたアスカだったが、彼女を邪魔するかのように零号機は絶えずもがいていた。
これまでは多少手加減していたものの、いい加減動きを抑えておくのも面倒くさくなり
アスカは弐号機で零号機の後頭部に思いっきり踵落としを振り下ろす。
ゴッ!
鈍い音が周囲に響き渡る。
踵落としがさすがに効いたのか、零号機はようやく活動を停止した。
同日 夜 第3新東京市跡にて
「カヲル君が・・・好きだって言ってくれたんだ・・・。僕の事・・・」
芦ノ湖と繋がった爆心地の畔でシンジは第3新東京市跡を眺めていた。
日は完全に落ち、周囲は暗闇に包まれている。
彼の隣にはミサト、そして少し離れたところにアスカがおり、シンジの独り言にも近い話を2人とも黙って聞いていた。
2人は知らないがこの場所はシンジとカヲルが始めて出会った場所でもある。
「僕なんかより、彼の方がずっと良い人だったんだ・・・。カヲル君が生き残るべきだったんだ・・・!」
「アンタ馬鹿ぁ?フィフスが生き残ってたらアンタも私らも死んでたのよ。そこんトコ理解してんでしょうね。」
シンジの後ろで佇んでいたアスカは、腕を組み仏頂面のまま叱り飛ばすように言い放つ。
一方のシンジは地面に座ったまま・・・返答すらしない。
アスカとしても、シンジに礼を言うためにここに来たはずなのに、なぜ彼を叱責してるのかよく分かっていない。
「シンジ君・・・、生き残るのは生きる意思を持った者だけよ。
彼は死を望んだ。生きる意志を放棄して見せかけの希望に縋ったのよ。シンジ君は悪くないわ。」
アスカに続き、ミサトも自分の意見を呟く。
シンジを慰める様な内容ではあるが・・・どこか淡々とした口調でもある。
「冷たいね・・・、アスカもミサトさんも。」
シンジは率直な感想を漏らした。
確かに、シンジにしてみれば冷たいと受け取られても仕方が無い2人の態度ではあったのだが・・・
「アンタさぁ、フィフスの言ってた事が全然分かってないじゃない。馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど、アンタ、ホントに馬鹿ね。」
今日の戦闘時、カヲルを追ったシンジは地下に安置されていたアダムと呼ばれる巨人の前で僅かな時間だが会話をしていたらしい。
その状況はミサトの居た第二発令所には届いていなかったが、すぐ近くに居たアスカの弐号機には二人の声が届いていた。
その為、アスカには彼らの会話の一部始終が分かっていたのだ。
― 滅びの時を免れ未来を与えられる生命体は1つしか選ばれないんだ。そして、君達は死すべき存在ではない。 ―
カヲルの言葉がアスカの脳裏に蘇る。彼の言葉が意味する事は彼女なりにだが理解はしていた。
あのまま彼を放っておいたら・・・本人の言うとおり、おそらく人類は滅びていたのだろう・・・。
だが、カヲルは人類を滅ぼして生き残る道ではなく、シンジに殺される事を自ら望んだのだ。
「シンジ、アンタがやらなかったら私が代わりに殺してたわよ。私は死ぬのはイヤなんだから。」
口ではこう言っているがアスカ自身、シンジと同じ行動が取れたかどうかは分からない。
また、出会ったばかりとは言え知り合いが死んだという事実は彼女にとっても気分の良いものではなかった。
さっきのアスカの台詞は、シンジをフォローしようとしたものだったのだが・・・彼は何の反応も示さない。
「ふぅ・・・、もういいわ。アンタとこれ以上話しても無駄ね。」
彼の気持ちは分からなくも無いがアスカとしては癪に障るものでもある。
シンジの態度に心底呆れたのか、アスカはその場から立ち去ろうとした。その時・・・
「アスカ、そろそろ家に帰ってこない?」
立ち去ろうとするアスカに声をかけたのはミサトである。
思えば、しばらく葛城宅には帰っていない。昨日の一時帰宅は例外として。
「今はまだ帰る気はないわ。じゃあね。」
アスカの返答はあっさりしたものであった。
一時期の様なEVAの操縦に支障をきたす程のスランプは無くなり、シンジやミサトに対する嫌悪感もほとんど消えている。
アスカ自身に、葛城宅に帰らない理由は無いのだが・・・
「そ・・・。でも、元気そうで安心したわ。」
ミサトの返答に対し、別に元気でもないわよ。と、手をヒラヒラ振りながらアスカはその場を後にした。
同日 夜 綾波宅にて
「たっだいま〜・・・。」
綾波宅の金属製の扉がバタンと閉まる。声の主は当然アスカ。
交通の便が悪くなってしまったせいか、ここに帰ってくるだけでも一苦労である。
しかも、室内は完全に真っ暗闇であり室内の配置を何も知らなければ前に進むのも困難だろう。
「え〜と・・・電気のスイッチは・・・痛っ!」
電灯のスイッチを探しながら進んでいたアスカが悲鳴をあげる。
ようやく見つけたスイッチを入れると・・・キッチンから奥の部屋へと続く入り口部分のちょっとした出っ張りが目の前に。
どうやら、足の小指を見事にぶつけてしまったらしい。あまりの痛さにうずくまって痛みをこらえるアスカ。
「いったぁ〜!なんでこんなトコに壁があんのよ!」
八つ当たり気味に出っ張りの部分に正拳突きを放つアスカ。鈍い音とともに壁が少し凹んでしまった。
まだ痛みの残る足に我慢しながら、ズンズンと奥へと進んでいく。そして・・・
「ファースト、起きなさいよ!私、寝るんだから!」
今度も八つ当たり気味に今度はレイに怒鳴りつけるアスカ。
勢いよく掛け布団を剥ぐと・・・そこには胎児の様な姿でベッドの上で丸まっているレイの姿があった。
だが、横にはなっていたものの寝てはいなかったらしい。
「・・・・・。」
レイは何も言わずにアスカが剥いだ掛け布団をむんずと掴むと自分の身体の上に乗せ、再び横になってしまった。
どうやら今回はベッドを明け渡すつもりはないらしい。
「・・・どく気が無いなら、せめて端に寄ってくんない?そのまんまじゃ私、寝られないでしょ。」
本来ならレイをムリヤリ引き摺り下ろしてでもベッドを独り占めしたかったアスカなのだが、いつもよりなぜか実力行使は少ない。
それも何の事はなく、今日はカヲルの一件があったため酷く疲れており一刻も早く横になりたかっただけなのだ。
一方のレイは、アスカに言われるままモゾモゾとベッドの端に移動している。
その間にアスカは制服を脱ぎ、Tシャツとホットパンツに着替え寝支度を整えていた。
正直、シャワーを浴びたいのだが襲い掛かってくる睡魔には勝てそうに無い。
「ほら、もうちょっと向こうへいきなさいよ。寝にくいでしょうが。」
ベッドの上、レイの隣に横になったアスカだが、
ポジションが悪いらしくレイの身体をゲシゲシと蹴っ飛ばしている。
枕も1つしか無いため、レイが使っていた枕を奪いちゃっかり自分のものにしてしまった。
いつものレイなら反論の1つや2つが返ってくるのだろうが・・・やはり何のリアクションも無い。
アスカが喋らなくなったら、室内はとたんに静かになってしまった。
チラッと隣を見やるアスカだが・・・レイはアスカに背を向けてしまっていてその表情はさっぱり分からない。
もっとも、話しかけてところで何も返答は無いだろう。最近のレイから考えればそれは当然である。ところが・・・
「・・・アスカ、起きてる?」
今にも消え入りそうな小さな声でレイが話しかけてきた。
彼女が喋らなくなったのはここ数日の話だが、レイが自分から話しかけてくるというのはずいぶん久しぶりの事の様に思える。
「起きてたら返事するわけ無いでしょ。で、何よ?」
面倒くさそうに返答するアスカだったが、レイはそれっきりしばらく黙り込んでしまった。
「・・・アンタ、人に話しかけといて寝てたりしたらアイアンクローじゃ済まないわよ。」
恐ろしく低い声で脅しをかけるアスカ。
その口調から、その言葉がただの脅し文句ではなく正真正銘の本気モードである事が伺える。
それでもレイから返答が返ってくる事は無かった。アスカも珍しく少しは待ってみたものの、やはりレイはだんまりのまま。
沈黙に耐えかねたアスカがレイの額に手を伸ばそうとしたその時・・・
「アスカ、あのね・・・・・」
レイが意を決した様に口を開いた。彼女の声に、アスカもアイアンクローのために伸ばした手を止める。
だが、レイも以前みたいにハキハキ喋る事は出来ていない。しかし、それでも必死に言葉を選んで話そうとしている。
「あたしさ・・・、普通の人間じゃ無いんだ・・・・・・・。」
それからレイは自分の事をアスカに話し始めた。
自分の生まれた場所、育てられた場所、存在理由・・・レイ自身が知っている自分の事を全て・・・・・・
その中にはもちろんダミーシステムやダミープラントの事なども含まれている。
そして、それらの事実がシンジに知られてしまったという事も・・・・・・
「いつかは・・・知られちゃうって・・・わ、分かってたん・・・だけど・・・・ぐすっ・・・・・」
一通り話し終えたレイは再び泣き出してしまった。
彼女にとっては自分の事が悲しいというより、シンジに知られてしまったというのがショックだったのだろう。
「・・・・・。」
一方のアスカはレイの話を黙って聞いていた。
相槌を打つでも余計な茶々を入れるでもなく・・・ただ黙ったまま・・・・・
その後、長い間沈黙が続いた。時間にしてみれば1〜2分だったのだが、彼女達にとっては1時間にも2時間にも感じられた。
「ファースト、精子バンクって知ってる?」
唐突にアスカが別の話題を切り出した。思わずレイもアスカの方を振り向く。
その話にあまりに脈絡が無かったため、レイもアスカが何を言っているのかさっぱり理解出来なかった。
「私の父親はその精子バンクから買った精子の1つ・・・、私は試験管の中で生まれたのよ。」
アスカは天井を見ながら独り言の様に話している。
さっきまで泣いていたレイもキョトンとした顔でアスカの横顔を見ている。
「で、私の事どう思う?人の手が入ってるから、私は普通に生まれた人間じゃ無いでしょ?」
アスカはレイの方を向き直ると、いつになく真面目な表情で彼女に尋ねた。
「え?どう・・・って?何が?」
アスカの話が突拍子もなかったため、レイは状況がまるで掴めなかった。
どうしていきなりそんな話をするのか・・・、そんな状況でどう思うかと聞かれたところで答えられるはずも無い。
「あの・・・、よく分かんないけど・・・アスカはアスカだよね?」
素直な意見を口にするレイ。
「それと一緒。私にとってもアンタはアンタだし、多分・・・馬鹿シンジに聞いても同じ事を言うと思うわよ。」
「でも・・・、あたしは人間じゃ・・・・・・」
「アンタが人間じゃなかったら、この世に人間がいなくなるわよ。食う寝る遊ぶを地でいくアンタはどう見ても人間だっての。」
レイの言葉を遮るように悪態をつくアスカ。
途中で話を遮られてしまい、レイはどうすることも出来ずに黙るしかない。
「アスカ・・・、あたしの事聞いても・・・驚かないの?」
「何をどう驚けってのよ。
朝っぱらからどんぶり五杯かっ喰らういつものアンタの方がよっぽど信じられないわよ。」
不安そうに尋ねるレイに対し、アスカはまるで取り合おうとしない。
実のところ・・・アスカは少し前からレイが人とは何かが違うというのを薄々ながら感づいてはいた。
キッカケとなったのは十六番目の使徒・・・紐状の使徒が襲来した時の事である。
アスカがレイの零号機とともに使徒からの侵食を受けていたその時・・・
侵食されているレイの思考や苦痛と一緒に、もう1人のレイの様なモノとの会話も使徒の身体を通してアスカに流れ込んでいたのだ。
その時は漠然としていてよく分からなかったが・・・さっきのレイの話でそれらがようやく1つに繋がった。
「アンタさ、紐の使徒の時に零号機で変な事してたけど・・・アレ、死ぬ気だったんでしょ?」
これも十六番目の使徒の時・・・レイが零号機のATフィールドを反転させた時の話である。
コアが潰れればその後のEVAがどうなるかは分からないが、パイロットが無事で済む道理は無い。
「でも・・・、あたしは死んでも・・・・・・代わりのあたしが居るから・・・。」
「フン。外見がアンタでもアンタじゃ無いでしょ?そんなんじゃ意味ないでしょうが。」
アスカはそう言うとレイに背を向けてしまった。
まるで、それ以上話すことなど無いと言わんばかりに・・・
「私、もう眠いから寝るわよ。今度話しかけたら・・・踵落としだからね。」
ドスの効いた声でアスカはレイに念を押す。
あまりのアスカの迫力にレイは言葉を失ってしまった。これ以上話しかければ間違いなく踵落としの刑に処せられるだろう。
「・・・うん、わかった。ゴメンね、アスカ・・・。」
そう言うと、レイは気まずそうにアスカに背を向けてしまった。
「ファースト、私にとってはアンタはアンタ。代わりなんて居ないんだから・・・それは覚えときなさいよ。」
そう言うとアスカは眼を閉じてしまった。疲れも相まって、すぐに眠りにつく事が出来るだろう。
正直、さっきの台詞はアスカにとっては気恥ずかしいものだったのだ。
一方のレイは・・・アスカの意外な言葉に驚いていた。レイ自身、相当な覚悟で打ち明けた話だったのだが・・・
「・・・・・。」
アスカのさっきの言葉は、自分を元気付けようとしてくれたのかもしれないと感じられるレイではあったが・・・
それでも、自分の心を覆ってしまった暗く澱んだ感情を完全に振り払う事は出来なかった。