第弐拾壱話 ネルフ、誕生

 

 

早朝 葛城宅にて

「おはよーございます!葛城三佐!」

「あ、おはようございます。ミサトさん。」

寝ぼけた頭のままダイニングルームにやってきたミサトを出迎えたのは
制服に黄色いエプロン姿でキッチンに立ち、朝っぱらから元気良く挨拶するレイ。
そして、テーブルにちょこんと座っているシンジだった。
彼は落ち着かない様子でキッチンに立つレイの後姿を見ている。

「ん、おはよ・・・。」

2人の挨拶に力の無い返事を返すミサト。

「あの・・・、ミサトさん。僕、本当に朝ごはんの準備をしなくて良いんですか・・・?」

シンジが不安そうな声でミサトに尋ねる。
普段なら、シンジがほぼ毎日食事の支度をしてきたのだが、今現在キッチンにて食事の準備をしているのはレイなのだ。
シンちゃんは病み上がりなんだから座ってて!と、レイに押し切られ自分の席に座らされたシンジだったが・・・
いつもと状況が全く違う為、自宅だというのにまるで落ち着きが無い。しかし・・・

「あー、大丈夫よ。
シンちゃんがいない間、レイに食事の用意とかやっててもらっちゃってたんだし。」

それがさも当然であるかの様に、頭をぽりぽりかきながら答えるミサト。
そう・・・、シンジがEVA初号機に取り込まれて不在となっている間、葛城家の家事全般はレイが行っていたのだ。
最初の頃こそ遠慮していたミサトだったが、一宿一飯の恩があるから、とレイに言いくるめられ今に至っている。
もっとも、レイの食事量から考えれば一宿一飯の恩どころでは無いのだが・・・

「それにしてもシンちゃんも運が良いわねぇ。最初の頃のレイの料理は酷かったのよ〜。ね、ペンペン?」

と、自分の席に着いたミサトは自分の事を棚に上げ、シンジに笑いかけながら昔語りを始めた。
同意を求められたペンペンもミサトに相槌を打っているように見える。

「だって、ご飯は黒コゲ、魚は生焼け、味噌汁なんか煮立っちゃってたんだからぁ。
ペンちゃん、またあの時のレイの料理食べたい?」

その言葉にブンブンと全力で首を横に振るペンペン。本気で嫌がっているみたいだ。
生活能力に欠けるミサトに酷いと言わしめるくらいなのだから、その料理はシンジの想像を超えていると見て良いだろう。
思わず、ミサトさんより酷いんですか?と言いかけて、慌てて言葉を止めるシンジ。

「もぉー、昔の事なんだから良いじゃないですか。それにほら、今ではこんなに上手になったし。」

キッチンで食事の準備をしていたレイが、出来上がった料理を手にやってきた。
今日の献立は、ご飯、味噌汁、焼き魚、漬物、洋風サラダ、と・・・やや、妙な取り合わせであるが見た目にはごく普通・・・
先程のミサトの話からは想像も出来ない程に普通であり、その様にシンジはポカーンとしている。

「綾波って・・・こんなに料理上手くなったんだ・・・。」

次々と運ばれてくる料理を前に、率直な感想を漏らすシンジ。
彼にとっては初めての状況なのだから無理も無い。

「エヘへ、スゴイでしょ?能ある鷹は爪を研ぐって言うじゃない。」

「・・・言わないよ。」

照れてシンジの肩をバシバシ叩きながら見当違いの事を言うレイに思わずツッコミを入れるシンジ。
その時、ようやく起きてきたアスカもダイニングルームにやってきた。

「あ。おはよう、アスカ。」

シンジが挨拶するも、アスカは返事もせずに自分の席につく。
もっとも、アスカがシンジにきちんと挨拶を返す事など滅多に無いのだが・・・

「いっただっきま〜す!」

すべての準備を終え、食卓についたレイが誰よりも大きな声でいただきますを言う。
その声につられるようにいただきますを言う3人。しかし・・・

「綾波・・・これ、僕のお茶碗じゃないんだけど・・・」

と、自分の前に置かれたどんぶりに圧倒されたシンジがレイに尋ねる。
当然、そのどんぶりにはご飯が山のように・・・どう少なく見ても3人分はありそうな量がよそられている。

「シンちゃん、病み上がりなんだからしっかり食べないと駄目だよ?」

その量が、さも当然であるかのようなレイの返答。
今さら言うまでも無い事だが、レイはすでにいつも通りどんぶりでご飯をかっ込んでいる。その量は尋常ではない。
しょうがないので、仕方なくご飯を食べ始めるシンジ。

「ファースト!ご飯硬すぎ!
私、やわらかい方が良いって言ったでしょうが!」

今度はアスカからのクレームである。

「え?これでもやわらかく炊いたつもりなんだけど・・・」

「十分硬い!」

困り顔のレイに対し、我を押し通すアスカ。
レイが食事を作るようになってからというもの何度となく繰り返されてきた光景なので、ミサトはすでに慣れきってしまっている。
しかし、今日が初めてのシンジはただオロオロするばかり。

「アスカったらワガママさんだなぁ〜。シンちゃん、サトウのご飯ってどこにあったっけ?」

「なんでレトルトなのよ!1人だけ疎外感味わえってぇのぉ!」

レイとしては最善の策だったのだが、アスカはどうしても気に入らないらしい。
少し考えたレイはアスカから茶碗を受け取るとポットからお湯を注ぎ、再びそれをアスカに手渡そうとする。が・・・

「それはふやけてるだけでしょうが!アンタ、いい加減にしなさいよ!」

アスカに再び茶碗を返され困り果てた顔のレイ。
しばらく考えた後、一度お湯を捨てた後で茶碗にお茶を注ぎ、たくわんと一緒にアスカに差し出す。

「・・・何コレ?」

「お茶漬け。美味しいと思うんだけど・・・」

流石にそれ以上は堂々巡りになると判断したのか、不機嫌そうに茶碗とたくわんを受け取りブツクサ文句を言いながら食ベ始めるアスカ。
食事の途中でクレームに見舞われたレイも再び元気良く朝ごはんを食べ始めた。
ミサトは3人の騒ぎをよそに黙々と食事をしており、シンジもホッとした表情でご飯に手をつけている。

「・・・・・。」

さっきまで文句を言っていたアスカだったが、しばらくすると何も言わずにサラサラとお茶漬けを食べている。
どうやらまんざらでも無いらしい。
食事が進む中、シンジ、アスカ、ミサトの3人が味噌汁に口をつけたその時・・・

「ぶっ!」

同時に味噌汁を噴き出す3人。

「あれ?どしたの?」

と、きょとんとするレイに対し、口火を切ったのは・・・

「どしたの?じゃないわよ!なんで味噌汁ん中にきゅうりが入ってんのよ!おかしいでしょうが!」

当然、アスカである。
これを見ろ!と言わんばかりに彼女がレイに突き出したお椀の中には、
大きくぶつ切りにされたきゅうりがこれでもかと言うほど無造作に入れられている。

「いつも大根とか豆腐とかのおんなじ具じゃつまんないでしょ?だからちょっと変えてみたんだ。
それに、友達の実家とかでも作ってるって話だし。」

「変えなくていい!誰もアンタにそんな変化球は求めてないわよ!」

アスカのクレームにしょんぼりするレイ。
しかし、今日の味噌汁に不満なのはアスカだけではないようで、
レイに文句こそ言わないものの、シンジとミサトも一度味噌汁を口にして以降、再び手をつけようとはしていない。

「あ、そうそう。あんた達、今日も学校が終わったらネルフ本部に来るようにね。シンクロテストがあるから。」

食事を終え、一息ついたミサトが思い出した様に3人に言う。

「すみません、葛城三佐。今日は・・・」

そこまで言うとレイは途中で言葉を止めてしまった。さっきまでの明るい表情とはうってかわって神妙な顔をしている。
シンジもアスカもさっきまで騒いでいたのが嘘の様に静かになってしまった。
その3人の様子にミサトも何か思い出したらしい。

「あ、そういえばそんな事を言ってたわね。分かったわ、リツコには遅れるって言っておくから。」

 

同日 夕刻 共同墓地にて

その日の放課後、レイ、シンジ、アスカ、ヒカリの4人は第3新東京市の共同墓地に来ていた。
どこまでも続くかのような広い共同墓地に立つ4人の前には、最近置かれたと思われる墓石が一つ・・・

「鈴原・・・」

墓石の前にそっと花を置いたヒカリはトウジの名を呟く。
今日の朝、レイがミサトに言いかけたのはトウジの墓参りの事であり、シンクロテストの予定を遅らせてもらったのもこの為であった。
EVA3号機の一件から1ヶ月以上経ってはいるが・・・近しい者の死による心の傷はそう簡単に癒せるものでもない。
真新しい墓石にはトウジの名前と生没年が記されている。

「・・・・・。」

いつもならマシンガンの様に喋りまくるレイも、軽口を叩くアスカも、2人に玩具にされるシンジも・・・
みんな、黙ってトウジの名が記された墓石を見ているだけ・・・。

「それじゃ・・・帰ろうか。」

墓石の前にしゃがみこんでいたヒカリが立ち上がって3人に声をかける。一同はそのまま帰路についた。

 

墓参りの帰り道、ヒカリと別れネルフ本部へ向かう3人のチルドレン。
会話もほとんど交わさずにただ歩いている。そんな時・・・

「あのさ、ちょっと話があるんだけど・・・」

先頭を歩いていたレイが立ち止まり振り返る。

「ずっと前に白黒模様の使徒を倒した後でさ、シンちゃんに独断専行するな!アスカにはチームの和を乱すな!って話したでしょ?
それだけじゃ足りない気がするから禁止事項を追加したいんだよね。」

レイが言っているのは第12使徒が来襲した後の話である。
シンジを挑発したアスカと、独断専行したシンジを正座させ反省させた時の話であるが・・・
何のことやらさっぱりなシンジとアスカはポカーンとしている。

「だからさ、EVA3号機の時にはシンちゃんが・・・あたしもだけど、ちゃんと戦わなかったのがまずかったわけだし
その後の使徒の時は、アスカが特攻しちゃって一歩間違ったら危なかったんだし・・・」

「だから何よ?」

要領の得ないレイの話しにイライラしはじめたアスカが軽くキレ気味に問い詰める。

「うん。ぶっちゃけて言うと、これからは戦意喪失とか特攻は禁止って事で。
で、これ破ったらまた正座とジオフロント20周。どう?」

「ど・・・どうって言われても・・・」

ぶしつけなレイの提案に戸惑い気味のシンジ。
何か反論しようと考えるものの、鬼軍曹の様なオーラを発しているレイに口答えなどシンジには出来そうも無い。

「じゃ、アンタはどうなのよ?こないだの使徒の時にN2爆弾で特攻してたでしょうに。」

怖いもの知らずのアスカにとっては反論などお手の物である。
相手が誰であろうと、彼女なら自分の意見はきっちり押し通してみせるだろう。良い意味でも悪い意味でも。

「あれは特攻じゃないし。ちゃんと出来る事を踏まえた上で実行した作戦だったんだよ。」

「え?」

レイの反論に意外そうな顔のアスカ。まさか、そんな答えが返ってくるとは思ってなかったらしい。

「だってN2爆弾くらいでEVAが壊れるわけ無いじゃん?
でもって、片腕しかない零号機じゃ普通の銃器なんてほとんど扱えないし、かと言ってあたしは白兵戦とかも得意じゃないし。
そうなると、その時手元にあって一番破壊力のある使えそうな武器を・・・って考えたらN2爆弾しか無かったって話だもん。」

言われてみれば確かにそうね・・・とアスカは妙に納得してしまい反論出来なくなってしまった。

「でも・・・どうしていきなりそんな事を?」

シンジがレイに尋ねる。確かにあまりにも唐突過ぎる。

「だってさ、何か出来るかもしれないのに最初から諦めちゃうのは良くないし、
自分が死んでもいいから使徒をなんとかしようってのは、残される人の事を考えたらやっちゃいけないと思うんだ。
シンちゃんやアスカがそんな事して死んじゃったりしたら・・・あたし嫌だよ。」

レイはそこまで言うと再び先頭を歩き始めた。
この偽善者!と、嫌味の一つでも言ってやろうと後に続くアスカだったが・・・
よくよく考えてみれば、前回の使徒戦後、病院のベッドで泣くレイの姿を目撃している。
自分が死んだと勘違いされていたのは腹立だしいが、さっきのレイの言葉もひょっとしたら本心なのかもしれない。

「わ〜かったわよ。私だって死にたくないもの、何度も特攻なんてしないわよ。」

「そうだよね。これからも、みんなで戦えばなんとかなるよ。
それに・・・トウジの時みたいな事は二度と繰り返したくないし・・・」

観念した様にしぶしぶレイの意見に従うアスカと珍しく楽観的な意見を言うシンジ。
その2人の言葉にレイはよかった〜!と、いつもの元気を取り戻す。しかし・・・

(分かってるんだけどね・・・。)

レイとシンジの後に続いて歩くアスカだったが、なにやら複雑な表情で2人・・・とくにシンジの事を睨みつけるように見ている。
色々思うところはあるようだが、それは当の本人にしか分からない事だ。

 

同日 深夜 葛城宅にて

「ん・・・」

葛城宅のリビングで目を覚ますレイ。むくっと上体を起こして周りを見回してみる。
ついさっきまでリビングでテレビを見ていたはずだったのだが・・・いつの間にか部屋の電気は消され1人きりになっていた。
そして、彼女はふと自分の身体に毛布がかけられている事に気付く。

(あ〜・・・、あたしいつの間にか寝ちゃってたんだ・・・。
毛布・・・シンちゃんがかけてくれたのかな・・・?後で・・・お礼言っとかなきゃ・・・)

再び横になり毛布をかけてくれたであろうシンジに感謝するレイ。
本来ならとっくに自分の家に帰っている時間なのだが・・・今日はどうにも疲れて動く気がしない。
すでにレイの頭の中ではお泊りモードに移行してしまっている。その時・・・

「ただいま・・・。」

家主であるミサトが帰ってきた。
気のせいだろうか・・・いつもよりその声に元気が無いように聞こえる。
リビングで横になっているレイの位置からはよく見えないが、ミサトは缶ビールを手にダイニングルームのテーブルに座ってしまったらしい。
いつもと違う、ミサトの深刻そうな雰囲気にレイは声をかける事も出来ない。
仕方なく寝たフリを決め込むレイの耳に、ピーッと留守番電話の音が聞こえてきた。

「葛城、俺だ・・・。」

録音されていたのは加持からのメッセージであった。
内容はミサトやリツコへの謝罪の言葉と彼自身が育てていた花の事・・・
静かに淡々と語る彼のその口調はまるで遺言であるかのようだ。

「もし、もう一度会える事があったら・・・8年前にいえなかった言葉を言うよ。・・・じゃ。」

そこで、加持の言葉は終わり無機質な機械音声が後に続く。

「・・・う・・・ぅ、バカ・・・あんた、本当にバカよ・・・。」

留守番電話のメッセージが終わると同時にミサトの泣き声が聞こえてきた。
必死にこらえてきたものを押さえきれなくなったかの様な悲痛な声・・・
今日、何が起きたのかは分からないが、加持の身に何かあったであろう事はレイにも容易に想像がつく。

(だから言ったのに・・・)

レイはいつだったか、加持に自宅へ送ってもらった時の彼との会話を思い出していた。
彼が何かしら危ない橋を渡っている事は知っていたし警告もした。それでも結局はこうなってしまった・・・。
加持がどんな意思をもって行動していたのか・・・レイには知る由もないし、今さら解りようも無い。
今のレイには、ダイニングルームで泣きじゃくるミサトにかける言葉すら見つからない。

(ホントにバカ・・・。あんな秘密のために命をかけるなんて・・・)

レイは心の中で呟く。
彼女はその後もただ、ミサトの泣き声を聞いている他なかった。

 

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