第拾六話 死に至る病、そして
朝。
味噌汁をずずっとすすって、
ミサト「あれ?シンちゃん、お出汁変わった?」
シンジ「ええ、カツオ出汁。リツコさんのお土産です」
朝食は例によってシンジのお手製。
味音痴かとばっかし思っていたミサトが、きっちり自分の仕事を評価してくれたことを喜ぶシンジ。
レイ「赤木博士って公然の秘密的隠れ猫マニアだけど、実は食事の好みまで猫っぽいんだよ。知ってた?」
嬉しそうに出汁巻き卵へ箸を伸ばすレイ。
ミサト「って、アンタもナチュラルにメシたかってく様になったわね」
それも朝食から。
レイ「いやー、朝起きて食事の準備がされてる環境に一度慣れちゃうと、中々元には戻れなくって」
ミサト「その意見には激しく同意するけど、そのために人一倍早起きするってのも本末転倒な気がしない?」
朝寝朝酒大好きなミサトに対して、行動様式が子供かお年寄りかに振り切れてるレイ、
レイ「あたし早起きって苦にならないんですよー。ってか、起きて部屋に一人でいるってのも手持ち豚さんで」
あははははーと、頭掻きつつ、大口開けて笑って見せたりして。
ミサト「ま、その気持ちもよくわかるけどー」
根っこの部分で寂しがりな自分を自覚してるミサト、ついつい笑顔の裏を勘繰ってみたり。
おーおー、朝から美味しそうに食べること食べること。つーか年頃の娘さんがどんぶりでメシ食うかね。
しかもお替り要求してるし。
いやほらレイってば、そこ照れるポイント違う。
お椀の向こうのレイの顔には嘘が無い。
甲斐甲斐しくご飯をよそうシンジの纏ってるオーラも相まって、あれだね。
これは中学生の男子女子の関係じゃなくって、お母さんと息子さんの関係だね。
もちろんシンちゃんがお母さんで、レイがその馬鹿息子。
じゃあ、あたしゃアレか。お父さんか。
男勝りだとはよく言われてたけど、こーいう形で立ち位置自覚させられると、なんつーかこう、ちょっち切ないわね。
アスカ「お風呂が熱っつーいーいーぃ!!あたしのこと煮殺す気!?聞いてんのこのバカシンジ!!」
止めを刺す様に、タオル一枚巻いただけでバスルームから飛び出してきたアスカを横目に、
うちの娘どもは何でこう慎みに欠けるかねと、そっと嘆息してみたり。
細い体のどこにしまってるのか、戦車の様な勢いで食卓を蹂躙しているレイ。
自分の寝ぼすけな生活態度は棚に上げ、風呂の温度が一度違うのとぎゃーぎゃー叫ぶアスカ。
…平和な日本の朝って感じよね。
ミサト「ごちそうさま。じゃ、お父さんは会社行ってくるから」
ふーやれやれ、どっこいせーっと、さも億劫そうに席を立つミサト。
シンジ「?」
アスカ「?」
レイ「?」
もちろん、子供たちに保護者の胸中がわかるはずもない。
ミサト「お母さんが一番疲れるわよねえ。皆してシンちゃんに甘えすぎな気がするわ、最近」
さて、ネルフ本部にて、定例のシンクロテスト中のご一同様。
マコト「ミサトさん、何だか疲れてません?」
ミサト「色々とねー。プライベートで」
どっこい、お父さんも疲れてた。
リツコ「加持君?」
ミサト「そーいうことにしといてくれる?」
この暗黙の了解的猫マニアめ、保護者の苦労がわかるかー。
ミサト「どう?サードチルドレンの調子は」
マヤ「見てくださいよ、これ」
ミサト「おぉー」
一言で言うと、ナイスな数値。
ミサト「これが自信に繋がってくれるといいんだけどねえ」
自信というか、自覚かなあ。
シンちゃんって状況に流されやすいとこあるのに加えて、女子どもはアクが強すぎるし。
もうちょっとこう、柱みたいなものを持ってくれると嬉しいんだけどなあ。
中学生に頼るのもだらしない話だけど、お父さん役ってやっぱしんどいもの。
ミサト「…身勝手なお願いかしらねえ」
リツコ「レイ!貴方また居眠りしてるでしょう!全部脳波に出てるわよ!」
子供はみんな手がかかるしさあ。父として、上司として、悩みは尽きない。
だからつい、ポロっとこぼしてしまった。
ミサト「シンちゃん、お父さんになってくんないかなあ」
全身のバネを使ってミサトの元から飛び退く潔癖症のマヤ、呆然自失して眼鏡を落っことすマコト、
LCLで溺れるシンジ、何かを叫びたいらしいが感情ばかりが先走って言葉にならず、
顔を真っ赤にして金魚のごとく口をぱくぱくさせるアスカ、
レイ「…ん?なんかあったの?」
そして居眠りのおかげで件の爆弾発言を聞きそびれ、ひとり太平楽のレイ。
この時点までは平和だった。この時点までは。
テスト終了。女子更衣室にて、チルドレンズ−1。
レイ「シンちゃん、シンクロ記録更新だったね」
アスカ「……」
レイ「あたしのシンクロ率は頭打ち同然だったから、そのうち抜かれるとは思ってたけど。
まさかアスカのシンクロ率まで抜いちゃうとは思わなかったよー。
…やっぱり悔しい?」
アスカ「まあね」
試作機である零号機、実験機である初号機のパイロット達など、
高度な戦闘訓練を経て完成された、真のエヴァンゲリオンパイロットである
自分の敵ではないと、そう思っていたアスカ。
それがどうだ、実際のところは。
ほんの数ヶ月前までは、ただのボンクラ中学生に過ぎなかったバカのシンジに、
あれだけ時間をかけて訓練したシンクロ能力を追い抜かれている。
試験結果を聞かされたシンジは、子供の様に無邪気に喜んだ。
それがどんな意味を持つのかも判っていない、間の抜けた笑顔
そのことは少なからずアスカのプライドを傷つけていたのだが…
レイ「いいじゃん、ひとつくらい譲ってあげれば。エヴァの操舵能力は元より、
情報処理、戦術立案と遂行力、エヴァ抜きでも作戦遂行に有用な諸能力は
ぶっちぎりでアスカがトップなんだし。
アスカは誰もが認めるリーダーなんだから、チームメイトの能力の正確な把握と
チーム編成に努めないとねー。うーん、責任重大だねえ」
アスカ「アンタと話してると、どうにも毒気を抜かれるのよねえ」
本当なら、もっと感情を持て余していておかしくはない。
そんな自分を自覚しているアスカだったが、横でぴーちく騒いでるレイが、普段からこんな調子で
あたしたちはチーム、アンタがリーダー、アンタが大将と言い続けるものだから、個人成績のひとつに
敗れたからって、怒り散らすのはガキのやることよねぇ、と自然に考えてしまう。
乗せられてるのは重々承知だが、それに逆らって誰も得しないってんなら、道化役のひとつもこなして見せましょう。
アスカ「ま、バカシンジは普段から暴走キャラだからね。力の初号、技の弐号ってことで勘弁してやりましょ。
アンタはアンタで、普段全然落ち着きがないくせして、精密射撃の腕はピカ1ときてるし、
これで役割分担が固まってきたわね。
ミサトの奴と、新フォーメーションを協議しとくわよ」
大人びた顔で笑うアスカに、レイ、いい顔で笑うねぇと、こちらも笑顔で返す。
アスカ「んじゃねえ、お先上がるわ、ムードメーカーの零号さん」
レイ「はーい、お疲れ様。また夕食でねー」
でもね。
一人夕焼けに影を伸ばし、帰路をたどるアスカ。
一人になれば、自分でも隠しておきたい本音が漏れ出してくる。
アスカ「……アンタみたいに、シンジ全肯定って気にもなれないのよ」
奴が悪い奴じゃないことくらいは、頭じゃ判ってるんだけどね。それとこれとは話が別。
うまく処理できないと、こっちが先に潰れるかもね、この感情。
アスカ「心の底じゃあ、シンジもレイも居なくなればいいと思ってる…あたし、ロクデナシだわ」
明けて翌朝。
MAGIの管理する探査網が、箱根に接近するパターンオレンジを検出していた。
ミサト「碇司令が不在の時に、まったく!」
召集されるチルドレン。
戦闘形態に移行する第三新東京市。
光学で観測されたそれは、ゼブラ柄の巨大な風船とでも言えばいいのか、異様と表現するしかない物体だった。
かくして、戦闘体制に移行した第三新東京市、ジオフロント外殻に射出される、
完全武装のエヴァンゲリオン三機。
スマッシュホーク装備のアスカの弐号機、
専用拳銃を構えるシンジの初号機、
そしてスナイパーライフルを携えるレイの零号機。
ミサト「アスカがオフェンス、シンジ君がディフェンス、レイがバックアップ。
相手の正体はまだわからないわ。あくまで慎重に慎重を期して、迂闊な行動は
取らない様に。いいわね?」
謎の球体は、ただ空中に浮かんで静止しているだけの様に見えるが、
それだけに得体の知れなさが恐ろしい。
鋭い声ミサトの声に、小さくうなずくシンジとレイ。
しかしそこで
アスカ「…はーい、先生!先鋒はシンジ君がいいと思いまーす!」
アスカ、場の空気をまるで読んでない様な発言。
彼女自身、自分でも一瞬何を言っているのかわからなかったが、口をついて出てしまった言葉は
止まらない。
シンジ「…僕が先鋒?」
アスカ「そりゃもう、こういうのは成績優秀勇猛果敢、シンクロ率ナンバーワンの
殿方の仕事でしょう〜?それともシンジ君、自信ないのかなあ〜?」
レイ「!?アスカ?」
以前に「悔しい?」と聞いたときには「まあね」とさらり流していたのを見ただけに、
実は先のシンクロテストで成績を追い抜かれた件について彼女が受けていたダメージの深さに
今更気付かされて焦るレイ。
そんな経緯は知らないシンジ、例によってアスカの挑発(最近、富みにからまれたり
噛み付かれたりするので、いい加減辟易しながらも慣れっこになってしまっているのだ)かと、
ため息まじりに
シンジ「…わかった。お手本見せてあげるから、アスカバックアップに入って」
なっなんですってえー!と瞬間的に沸騰したアスカを尻目に、シンジはさっさと初号機を進めてしまう。
シンジ「戦いは男の仕事!」
アスカ「前時代的なこと言ってんじゃないわよ!…ちっ、弐号機バックアップ!」
レイ「ちょっとシンちゃん、そんな勝手な!アスカも煽ってどうすんのよぅ!
あーもう、チームワークも何もないじゃない!
ええい、零号機バックアップ!三佐すいません、フォローお願いします!」
さっきまでの張りつめた雰囲気と、凛とした気配はどこへやら、どたばたと騒がしく配置を進める
チルドレンどもの無様さに、あちゃーと天を仰ぐミサト。
ミサト「…やっぱり時期尚早って奴だったのかしらねえ」
シンちゃん、最近保母さんっぷりが板についてきてたから、このくらいの皮肉は
さらりと流してくれるかと思ったけど、やっぱり男の子よね。
ちょっと挑発されたくらいで、すぐ熱くなっちゃうんだから。
アスカもアスカで、やっぱり前の試験がよほどショックだったのね…全然余裕無くしちゃってるわ。
ミサト「実は一番安定してるのはレイだったってオチなのかあ…」
N2ネズミ花火だの、便所の1メガワットだの、戦う人間発電所だのの数々の異名を持ち、
常日頃の落ち着きの無さには、定評どころか札までついてるレイに頼らなきゃならないの?えぇー。
こんなんじゃ何時足下すくわれるか、わかったもんじゃないじゃない。
トホホとため息つきたいが、いまは臨戦態勢中。
馬鹿ガキどもをシメるのは後に回すとして、まずは目の前の敵に集中しなければ。
マヤ「初号機、目標を射程圏内に捉えました。零号機移動中、目標地点まで、あと30。
弐号機、25番プラグにて電源交換中です。目標地点まで、あと47」
先行したシンジの初号機は、装備の軽さもあって早々に目標地点に到達していたが、
重武装の零号機、ポジションを譲って遠回りになってしまった弐号機の到着が遅れている。
ミサト「シンジ君、まだ動かないで。一人でやってやろうなんて考えちゃ駄目よ」
シンジ「……」
…遅い…。
マヤ「零号機移動中、遅れています。目標地点まで、あと17。同じく弐号機、あと22」
…遅い…遅い…!
シンジ「足止めだけでも、します!」
ミサト「シンジ君!?」
一人先んじて目標と相対し、緊張に耐えきれなくなったシンジ、空中の球体に銃撃、三連射!
放たれた銃弾は、狙い違わず球体に吸い込まれ…る寸前で、球体自体が陽炎の様に消えてしまった。
その瞬間、ネルフ本部発令所に鳴り響くレッドアラート。
シゲル「パターン青発見!初号機の真下です!!」
端的に事実だけを述べるなら、ネルフは惨敗した。
初号機の発砲と同時に正体を表した使徒は、空中に浮かぶ球の部分ではなく、
地を這う影の部分こそが本体だった。
その影が牙を剥き、初号機を中心に、半径数十キロの町を、ビルを、ネルフ本部使節を
底なし沼の様に飲み込んでしまった。
アスカ「…っのバカ!模試だけ満点取ったって仕方ないじゃないのよ!」
影と言うには黒々しすぎる沼に沈んでしまった初号機を引き上げるべく、残された
アンビリカルケーブルを引き上げる弐号機。
アスカ「!」
が、軽い手応えと共に帰ってきたのは、鋭利な刃物で切断されたかの様な、ケーブルの
切れっぱしだけ。
レイ「このっ!このっ!このっ!」
兵装ビルに背を預け、足を突っ張って体を固定し、再び浮かび上がった球体めがけて
スナイパーライフルの連激を叩き付けるレイの零号機。
が、球はまたしても溶ける様に消え、黒いシミの様な影ばかりが職種を伸ばしてくる。
こう着状態。
ミサトが震える声で撤退を告げ…レイは初号機の回収が済んでない事を理由に拒否し続けたが…
現行のエヴァの運用のみでは、使徒殲滅は愚か、エヴァ初号機救出すらままならないとの
MAGIの判断を受け、NERVは作戦権を一時UNに移管、撤退する事となった。
アスカ「やれやれだわ。独断先行、作戦無視。まったく自業自得もいいとこね。
昨日のテストでちょ〜っといい結果が出たからといって、お手本を見せてやるぅ?
ははん。とんだお調子者だわ」
さしあたりエヴァにやる事は無い。
電源車を背中にへばりつけて伏臥降着状態にある弐号機の横でジュースをすすりながら、
いまはいないシンジの悪口を、これでもかーと並べ立てるアスカ。
の横に、怒りの表情も隠さずに立つレイ。
アスカ「…アンタもそんな顔すんのね。シンジの悪口言われるのが、そんなに気に食わない?」
レイ「シンちゃんがアスカの悪口言ってたって、同じ顔するわよ」
アスカ「偽善的ね。反吐が出るわ」
レイ「アスカっ!?」
アスカ「なによ!殴りたければ殴ればいいでしょう!あたしが、余計なこと言わなければ
シンジは死なずにすんだかもしれないって…」
へたりこむアスカの横に、同じ様にしゃがみ込むレイ。
レイ「相手は使徒なんだよ…人類の常識なんか通用しない相手なんだよ。きょう、誰かが
飲まれる事が決まってたとしても、本当に飲まれてたのはアスカだったかもしれないし、
あたしだったかもしれない。たらればで考えても良い事なんにもないよ。
そんなのもうやめようよ」
レイ「赤木博士がね、いま、エヴァの強制サルベージ作戦を立ててるわ」
アスカ「そんなことできんの!?」
レイ「現在日本が用意できる92発のN2爆雷を使徒の影に全部投下して相手のATフィールドに
干渉、そこを残るエヴァ2機のATフィールドでこじ開けるんだって」
アスカ「そんな暴力的な作戦!初号機は無事に助かるの!?」
レイ「使徒の殲滅が第一義、機体の確保が第二儀。パイロットの保護はこの際度外視する…
博士はそう言ってたわ」
こんどはアスカが激昂する番だったが、レイに「貴方にその資格は無いわ」と切り伏せられた。
アスカ「なら、どうしろってのよ!シンジのバカが焼き殺されるまで、ここで黙って
馬鹿面下げてればいいってえの!?」
レイ「策は…無い訳じゃないわ。これから上申に行ってくる」
すいと背を向ける白いプラグスーツ。
肩越しに、
レイ「上申が通ったら、貴方も手伝って」
アスカ「…わかったわよ」
レイ「あと、碇君にちゃんと謝る事」
アスカ「…努力はするわ」
さて、その頃のミサト。
友人のマッドのマッドっぷりに、今度ばかりは大分頭に来ていたが、他に手が無いだけに
振り上げた拳の下ろし場所に困ってしまう。
現存する92発のN2爆弾の集中投下による使徒殲滅作戦!
パイロットの生死を問わず、の言をリツコから聞いたときには、思わず彼女の頬に
平手を打ち鳴らしてしまったわけだが、作戦に反対する理由は、いまのいままでまるで見つからなかった。
結局作戦課は、作戦の開始と同時に、これら爆弾の調達と、投下運用機の手配、投下管制と
爆発規模試算に追われ続け、これらを運用可能なマニュアルとしてまとめたところで、
使徒襲来の報を受けて急遽戻ってきたネルフ総司令のこもる伏魔殿、司令室に、ミサトは
件の書類を作戦課の代表として届けに上がったのだが…
重厚なオークの扉の前で、柄にも無く襟元を整えたりしてから、すうと深呼吸。
ノックなどかまそうとしたところで…
ドバン、と蹴り破ったかの様なもの凄い音を立てて、何かが飛び出していった。
「司令の鬼ー!悪魔ー!甲斐性なしー!お前の嫁さん三段腹あー!!」
ドップラー効果の向こうにちょちょ切れる涙の輝きの、ぐんぐん遠のく、白いプラグスーツ姿。
「…レイ…だわよね、あれって」
ミサト、ぼーぜん。
レイ「つまりね」
両目の下に涙の後をこびりつけたまま睨んでくるレイが怖いながらも、
肩をがっちり掴まれ逃げられないアスカ。
レイ「この戦いは、時間との勝負なわけよ。まず、取り込まれたシンちゃんのエヴァが
電力消費を押さえて最低限の生命維持モードに移行しているなら、まだ十六時間は
生存可能。その間に救出できれば、まずは私たちの勝ち。最低でも話を振り出しに
戻せるわ」
レイ「一方、例のN2絨毯爆撃作戦は、関係各省庁の連携の問題もあるし、単純に計算の問題もあって、
こちらも約十六時間後まで準備が整わないはず。その間世界に冠たる汎用人形決戦兵器
エヴァンゲリオンとそのパイロットが遊んでいていいはずがない…そうでしょう?」
アスカ、奇妙な迫力に押されて、こくんとうなずく。
レイ「…そこで…技術二課から拝借してきた、この二本の釣り竿。
名付けて垂直落下式使徒キャッチャー!」
アスカ「はいぃ!?」
レイ「ディレクターズチェアもあるよ。とっとエントリーして、あたり場所を決めたら、
ちゃっちゃと竿を振る!」
かくして、腹に物騒な爆弾をしまったUNの空軍機が飛び交う中、黒い影のほとりで、竿を垂らす暢気なエヴァが二体。
アスカ「こんなんで効果があるって、本気で信じてる?」
ちなみに釣り糸はアンビリカルケーブル、釣り餌はソケットと試作型のS2コアだ。
レイ「シンちゃんのケーブル、次元断層で切れたんじゃなくって、物理的なエッジで切れたんだって。
つまり、引き上げるときに端っこに引っ掛けちゃったせいで切れたらしいのよね。
垂直落下式なら、真上に引き上げるわけだから、その辺の問題は無い訳よー」
アスカ「…そういうんじゃなくってさあ。リツコが言ってたじゃん、虚数空間ディラックの海の
広さを三次元物理で語るなんて無意味だって。こんなんで釣れるくらいなら苦労は無いわよ…」
レイ「…そんなことはわかってるわよ…司令にも却下されたわ…」
アスカ「それでミサトの目が点になってたわけね…あんたも大概シンジのこととなると
目が見えなくなるわよねえ」
レイ「あたしが潜って調べるってのも提案したんだけどねー。さすがにこっちは却下されちゃった。
二重遭難させるつもりかって」
アスカ「あったりまえでしょ!」
レイ「だって…こんなあっさり、シンちゃんと別れ離れになるなんて、考えてなかったもん…
ずっと一緒にいられるんだって思ったんだもん…こんなのないよ…シンちゃんを返して…
返してよう…」
2時間が過ぎ、4時間が過ぎた。
使徒に動きは見えず。
渋る戦略自衛隊をなだめ、すかし、脅して、N2爆弾は着々と集まりつつあったが、
仕事が順調であるほどに、それはシンジの命をくじくために使われる。
自分のやっていることと、自身の希望との間に強い矛盾を感じながらも、手を止められないミサト。
大人が大人の責務を果たしているだけのことなのだが、子供ならざる大人の身故、
残されたチルドレンズ−1の、非常にわかりやすいアプローチの仕方が、無性に羨ましくなりもする。
リツコ「手、休んでるわよ」
ミサト「休んでないわよ…んで、アンタんとこの『サルベージ計画』、モノになるんでしょうねえ?」
リツコ「守れる約束はするわ。守れない約束はしない。…そういうことよ」
ミサト「アンタなんかから言質取ろうとしたアタシがアホでしたわよ!」
クソッタレの仕事の毒が首まで回ってきて、書類をブン投げ盛大に倒れ付す作戦本部長。
その執務室の下には、夕日に照らされながらも尚質感の正体を現さない黒々とした沼と、
リツコ「UNから苦情が来てるわよ。足元の『アレ』、なんとかならないかって」
使徒の影の畔に腰を下ろし、竿を垂れているエヴァンゲリオンが2体。
本来のエヴァの姿は、痩躯に恐るべき膂力を絞り込んだ悪魔的な決戦兵器だが、その2体までもが
のんびり夕凪に身を任せて竿を垂れてる姿には、彼の兵器の猫背っぷりも相まって
なんとも言えない風情がある。おまけに
ミサト「半端に釣果があるもんだから、止めろって言うわけにもいかないのよねえ…」
エヴァの足元にごろごろ転がる、自動車、ミサイル、兵装ビルの山、山、山。
全部、使徒に呑まれたものの欠片。
アスカ「雑魚。外道。シンジも雑魚には違いないけど、雑魚違いだってーの…」
レイ「……」
呑まれてきえたものなら、口から手を突っ込んで吐かせればいい、というレイの主張は、
まったく的外れというわけでもなかった。
事実、彼らが竿を振るい、湖面?に針を落とせば、しばらくのうちになにかしらが引っかかって来る。
さっきなどは…なんと、生きた猫の親子を無傷で釣り上げたのだ!
慌てて正体を失い、猫の元へと駆け寄ろうとするリツコの足をひょいと払い、ミサトは考える。
レイとアスカが投げているのは、只の針ばかりではない。
音波、熱波、光波、電磁波はもとより、使徒が反応を示すだろう同じ使途の残骸、使徒より回収された
エネルギーコアの再生試作品等、彼らの反応を促すようなものばかりを取り揃え、内側でATフィールドまで
展開して、アクティブ・パッシブ・双ソナーの全力をもって、シンジの初号機の探索に当たっている。
現在のMAGIは、ざっと全パワーの25%を「シンジ釣り上げ作戦」に裂き、乏しい情報からディラックの海の
海図作成に当たっている。
そこまでしてまで、ソナー、レーダーが返してよこすのは、常に真っ白。
空間が広すぎるのだ。
だが、そんな中でも、無機質ばかりはぽんぽん釣れている事実。
ミサト「シンジ君…本当は帰ってきたくは無いんじゃないかしら」
それは考えたくもない想像だったが、ある種の確信をミサトに感じさせた。
そして、遂に約束の16時間が経過した。
二人のチルドレンは交代で仮眠を取りながら「使徒キャッチ」に明け暮れたが、
めぼしい成果を上げる事はできなかった。
アスカ「……。」
レイ「……シンちゃぁん……。」
既に使徒上空には多数の爆撃機、攻撃機が禿鷹の様に輪を描いて飛び、
腹に抱えたN2弾頭弾投下開始の合図を、いまかいまかと待ち受けている。
リツコ「予定を12分早めましょう。シンジ君が生きている可能性が、少しでもあるうちに」
ミサト「アスカ。レイ。聞こえるわね。これから強制サルベージ作戦に入るわ。
アンタたちのフォローが必要なの。シンジ君がうまく釣れてくれなかった以上、
この作戦がラストチャンスよ。目標のATフィールドにN2爆弾92発分のエネルギーを
すべて叩き付けて、1/1000秒だけ干渉する!この瞬間に初号機を回収できるか否かは
アンタたちのエヴァに全部がかかってんだからね。
失敗は許されない……いいわね?」
アスカ「……弐号機了解。」
レイ「零号機、了解……。」
ミサト「作戦、開始」
その場に集う誰もが、忌々しい使徒の影を見下ろし、球体の姿を見上げた。
その時。
シゲル「使徒球体内に高エネルギー反応ー!!パターンレッド!エヴァンゲリオンです!」
リツコ「なんですって!?」
地響きと共に、ガラスのごとき砕け散り様を見せる影の沼と、
悲鳴としか形容しようの無い怪音と共に、ひしゃげ、もつれ、模様を失い、まっ二つに分かれる球。
あくまでも幾何学的な姿に生々しい傷を築き、鮮血とおぼしき液体を夥しく噴出させて
地に沈もうとするその姿から、まるで母親の腹を食い破って生まれ出でたかのごとき
禍々しさをまとって現れたのは、
ミサト「エヴァンゲリオン初号機……シンジ君!!」
既に使徒の断末魔は絶え、初号機の叫び声がその後を継ぐばかり。
人知を絶する展開と悪魔的な光景に
アスカ「アタシ、こんなものに乗っているの!?」
誰もがエヴァンゲリオンへの本能的な畏怖に打ちのめされていたのだが
レイ「……えいっ!!」
一人だけ、例外中の例外がいた。
レイの駆る零号機が、未練たらしく携えていた竿……
垂直落下式使徒キャッチャーを、思いっきり引いたのだ……
ら、どうしたことか、それまで絶好調に吠え狂っていた初号機は、んぐっ!と
なにか悪いものでも飲み込んだ様な間抜けな声を上げ、そのまま球から転がり落ち、
べたーん!と地面に突き刺さってしまった。
レイ「……。」
黙って零号機がリールを巻き上げると、釣られて初号機もじりじり近づいてくる。
やがて足下にまで達した初号機の角を掴み上げて、零号機のレイは言った。
レイ「この子、針飲んじゃってる」
どこをどうしたものか初号機、零号機が垂らした針と糸を思い切り
飲み込んでしまった状態での生還であった。
血に沈む半球、悪魔に蹂躙されたかの様な地面、そしてそれらの惨劇を生み出した
諸悪の根源は初号機であろうこと。これらは現場に居た人間すべてに共通する
見解であったが、そのオチであるところの……針を飲み込んでしまってヒクヒク痙攣しながら
陸揚げされた初号機と、釣果片手に満足げなVサインを決めるレイの零号機の絵は
あまりにもマッチしなくて……結局、大半の人間が考えるのをやめてしまい、
「綾波嬢による40m級カジキマグロ一本釣り事件」は、ネルフの数多い黒歴史の一ページに
加えられる事となった。
シンジ「……喉が痛い」
回収され、病院のベッドで目を覚ましたシンジの第一声がそれであり、
そのシンジの傍ら、腕にしがみつく様にして眠っていたレイがそれに気付いて
最初にやらかしたのが
レイ「こっ…の、バカシンジィー!!!!」
渾身のビンタの一撃だった。
レイ「このバカシンジ!アホシンジ!マヌケシンジ!シンちゃんのアホウ!シンちゃんの馬鹿あ!
あたし本気で心配したんだよ!?皆だって一杯心配したんだよ!なのに自分一人でやれるって
勝手に先行して!人の気持ちも考えないで!次にやったら絶交だからね!本当の本当に絶交だからね!?」
そこまで一気にまくしたて、あとは声にならずにシンジの胸元にしがみつき、アンアン泣いてばかりいる
レイの後頭部が、まるで撫でてくれ、安心させてくれとせがんでる様に思えて、その通りにしてみるシンジ。
シンジ「ごめんね……。」
言葉にできたのは、いつも通り何のひねりも無い謝りの言葉だったけど、今回ばかりは本当に済まないと思った。
なんせ、あのレイを、いつも笑顔でかしましいレイを、本当の本気で泣かせてしまったのだ。
シンジ「ごめんね……。」
指通りの悪い、すこしごわついた彼女の髪の毛に、ゆっくりと指を通す。
随分と長いこと、シンジは彼女の髪の毛を梳り続けていた。
やがてしゃっくりの止まったレイが、ぽつりと聞いてきた。
レイ「シンちゃん……本当に悪いと思ってる?」
シンジ「思ってるよ……僕の独断専行が招いた事態だったことくらいは、わかってるつもり。
あの使徒相手で、他にどんな手が打てたかは、今でもわからないけど、僕がやったことは
何一つほめられることじゃなかったって、反省してる」
まさか綾波を泣かしてしまうだなんて考えてもいなかったし。
本当に心から、真摯に反省しているシンジの首に
レイ「そんなシンちゃんには、罰ゲームが用意されています」
なんぞが書かれたプレート付きの首輪をぶら下げるレイ。
いわく、
「わたくしは独断専行のあげくに底なし沼にはまり、
危うくエヴァごとN2で丸焼きになる寸前だったおたんちんです」
シンジ「……これ着けて?」
レイ「正座三時間。ちなみに先客もいるから」
レイがすたすたと歩いていって、病室のドアをカシューとあけると、そこには
「わたくしはイタズラにチームの和を乱し、
チームメイトを激しく危険な目に遭わせたおたんちんです」
のプレートを下げて正座させられているアスカの姿。
かくして、正座するアスカの横に、お邪魔しますと一言告げてから、よいしょっと正座するシンジ。
アスカはシンジの方を見ようともせず、シンジもアスカに何と声をかけていいのかわからない。
長いこと沈黙が続いて
アスカ「……謝らないわよ」
アスカが突然、口を開いた。
シンジ「……なんだよそれ」
アスカ「最初は少しくらい譲歩してやろうかなーとか考えたんだけど、やめたわ。
アンタの独断専行はアンタ自身の責任だし。今回だけはレイの手前、こんなバカな罰ゲームにも
付き合ってやるけど、今回だけよ。次は無いわ。」
シンジとしても、最初から素直な詫びの言葉など期待していたわけではないから、その反応自体には
大して驚きはしなかったが、あまりにも反省のない身勝手な物言いには、さすがにカチンと来た。
シンジ「アスカはいつだってそうやって!自分ばっかりが正しいっていって!自分では何もしなくって!
勝ったの負けたのがそんなに大事なの!?僕たちが負けたら、人類が滅亡するって言ったのは
アスカじゃないか!使徒に勝つ事が大事なんじゃないの!?僕に勝ったり負けたりするのが
使徒に勝つより大事だってのかよ!アスカ一人で戦ってるんじゃないだろ!?少しは考えてよ!」
アスカ「なによ!」
シンジ「なんだよ!」
鼻先の触れ合いそうな距離で、互いにメンチをきり合う二人。
の脳天に、雷激の勢いで振り下ろされるハリセンが二発。
レイ「言ってる側からまた喧嘩してる!!
アスカはチームのエースなんだから、プライドにかけてびしっとしてればいいの!
シンちゃんはシンちゃんで実績ナンバーワンなんだから、安い挑発になんか乗らないで、
どっしり構えてて!
自分で言うのもなんだけど、二人とも、アタシにお説教されるだなんて、すっごく恥ずかしい
状況なんだからねー!?」
レイはその後も際限なくヒートアップ。
…していたのだが、この大正座大会、やがてやってきた赤木博士が、彼女の首に
「病院で騒ぐな」「司令の許可無く試作品のロッドを二本も二課からガメて使うな」のカードをかけて
シンジの横に正座させられ、たったの30分で天下取り終了。
怒る怒らない以前に、冷たいリノリウムの床の上での長時間の正座に、使徒戦を終えたのに家にも帰してもらえず
いい加減くたくたになってきたシンジとアスカにレイ、なんだかもうどーでもいいやという気持ちに。
その頃、赤木博士も葛城ミサトに「人に92発もN2徴発させておいて、今更どのツラ下げて返しに回れってのよ」と
書かれたカードをかけられて自室にて正座、ミサトはミサトで戦時のお偉方からの突き上げの集中砲火を食らって
生正座、冬月やゲンドウといった面々まで、「パイロットの命を無視してまでエヴァを優先した咎」にて
レイに正座三時間を言いつけられていたらしいが、これはまあどうでもいい話。
アスカ「……どうして帰ってこられたのよ」
シンジ「?」
レイは既に力つきてしまい、だらしなく口の端から涎をたらしつつ、
シンジの肩に頭を預けて眠ってしまっている。
そんな中、アスカが突然、ぼつりと呟いた。
アスカ「三次元空間の常識が一切通用しないディラックの海。バッテリーが尽きかけたエヴァ。
普通に考えたら、到底帰ってこられる道理なんか無いのよ。
……最後にレイの糸がヒットしてたみたいだけど、あれは結果であって理由じゃないわ。
アンタ、エヴァに何かしたんじゃないの」
シンジ「そんなこと聞かれても困るよ。ただ暗くて寒くて怖くて、開かないハッチと、汚れていくLCLに
おびえて泣き叫んでいただけなんだから、僕は」
アスカ「……」
シンジ「ただ……もう一度会いたいとは、思ったかもしれない」
アスカ「誰と?」
シンジ「皆と。そう思ったとき、誰かが手を差し伸べてくれて、それに掴まったら出てこられた。
そんな気がする」
アスカ「それ、誰だったか、わかる?」
シンジ「ごめん、わからない。」
でも。
もしかしたら、あるいは。
あれは、綾波の手だったかもしれない。
そんな気がする…。
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